二、
護が異界に招かれてから数分。
突然と言えば突然の十二天将からの試練で、護は現在、岩山を登らされていた。
――くっそ……いくら、十二天将を配下にするための試練だからって……
何も、蓬莱山のような山を素手で登らせなくてもいいじゃないか。
胸中で文句を漏らしながら、護はどうにか座れそうな出っ張りがあるところまで登り、腰掛けた。
手のひらを見れば、大量の細かい切り傷や擦り傷がある。ところどころ、血が滲んでいる。
「ちっ……」
傷だらけの手のひらを見て、両手のひらをあわせた。
手のひらが暖かい気配に包まれた。それと同時に、傷が少しずつ消えていく感覚があった。
――さて……山、か。とすると、ここにいるのは……
護は今まで身につけてきた陰陽道の知識を総動員させて、この場に現れる可能性のある天将を推測しようと試みた。
今、護がいる場所は山。
山は、八卦で土に属する地形。それだけを考えるならば、おそらく出てくるのは土将の誰か。
とすれば、ここで戦うことになる、あるいは問答をすることになるのは。
「……最初がお前なのか天一」
「はい。本来ならば、最後なのですが。どうしても、あなたの信念を確かめたくて」
「……なるほど、な」
護はそう言いながら、天一の声がした方に視線を向ける。
いや、天一だけではない。
勾陣を除いた、全ての土将と玄武がこの場にいる。
「で、どうするんだ?俺をここから突き落としてさっさと処分することも可能だぞ?」
「それもそうですが、あなたは半分は人間。それをするということは、神として穢を負うことになります」
護の言葉に答えたのは、十二天将、土将がひとり、太裳。穏やかな性情で知られる天帝の文官として知られている天将。
その性情とは裏腹に、護に向ける視線と神気は冷たかった。
だが、天一の合図で太裳が下がり、その神気は収まった。視線は、依然として護の方を向いていたが。
「……我らの力を求めるものよ。汝、何ゆえに我らと使役にと望む?」
天一が問うのは、十二天将全員が感じていること。
もちろん、護本人が十二天将と契約を望む理由を聞きたい、というだけなのだ。そして、双方、その答えには気づいていた。
「守りたいものがある。俺が、土御門護が、生涯をかけて守ろうと誓ったものを、守るために」
予想通り、とでも言いたげな、しかし満足したようなほほ笑みを浮かべ、天一は護を見つめた。
護は表情を崩すことなく、天一を見ていた。
まるで、次の一言があることがわかっているかのように。その一言を、待ち構えているかのように。
「されば、我が名を……いえ、この場にいる我らの名を呼びなさい。ただし、機会は一度のみ。その言霊を違えることのないように」
「……汝が名は、土将、天乙貴人」
天一からの言葉を待っていたかのように、護は天一を指差し、名を呼んだ。
名は、この世で最も短い呪。
それは晴明の言葉だが、護はそれが真実であることに気づいていた。名前は、そのものの存在を、そのものたらしめるための楔。
そして、名を違えずに呼ぶことは、そのものに呪いをかけ続けるということ。
すでに知っている名ではあるが、それでも護はしっかりと彼女の名を呼ぶ。
違えることが怖いからではない。彼女が、天一が護を正式に主として認めようとしてくれている、その誠意に応えるために、違えるわけにはいかなかった。
護は続けて、太裳を指差した。
「……汝が名は、土将、太裳」
太裳は護に名を呼ばれ、細く、しかし柔らかなほほ笑みを浮かべた。
護に名を呼ばれたことが嬉しかったというわけではない。
彼が天一の名を呼んだとき、誠意に答えようという気が伝わってきた。
それだけで、十分だった。
太裳のその気持ちを、護は知る由もなく、他の天将の気配を探した。
感じることができるのは、水気と木気。今いるこの場、そして感じ取れる気配から考えられるのは。
「……汝が名は、水将、玄武。そして、その隣にいるのは、木将、六合」
名を呼ばれて、二人の天将が姿を現した。
ひとりは、名に表されたように漆黒の髪、漆黒の瞳を持つ、やや細身の青年。その隣には、青い長髪をした細身の、しかし筋肉質な体格をした青年がいた。
もとより、水を司る性質故なのだろうか、その表情はひどく静かで、まったく感情が読み取れない。
しかし、放たれる神気から、彼らが安堵していることは、察することができた。
そして、もう一つ。天一、太裳と同じ土気を放つ存在がある。
だが、その気配に吉将のようなやわらかさはない。ともすると、鋭い刃のような冷たさを感じるその気配は、凶将の気配だ。
だが、勾陣のような闘気を感じられない。とすれば、答えは。
「……汝が名は、土将、天空」
その呼びかけに答えたかのように、髭を蓄えた老人が結跏座の姿勢で姿を現した。よく見れば、宙に浮いているのだが、それは十二天将ゆえのことだと知っているため、別に驚いてはいない。
――これで、この場にいる全ての天将の名を呼べたはずだが……
護は再度、注意深く気配を探った。
しかし、十二天将の気配は感じられない。
どうやら、この場は、ここにいる全員だけのようだ。
「では、次の場所へ飛ばすぞ。主よ」
最後に呼ばれた天空が、手にしていた杖を護のほうに向け、何かを呟いた。
頼む、の一言を言う間もなく、護は次なる試練の場へと飛ばされた。




