一、
陰陽寮が江戸城四方封印と鬼門封じをになっていた寺社仏閣を取り戻してから一週間。
護たちの気分は、沈んでいた。
その理由は、江戸城のある方向に立ち込めている暗雲にあった。
「……これほど早く、妖どもが侵攻してくるとはな」
「……朱雀か」
「浮かない顔だな。主」
なぜ、十二天将が自分を主と呼ぶかはわからないが、いまはそれを追求するつもりはない。追求することもできない。
それだけ、気力が削がれている。
「当たり前だろう?まさか、本丸が取られるとは思わなかったからな」
暗雲の正体は、九尾たちの妖気。それが江戸城にあるということは、江戸城が彼らに占拠されたということを意味する。
いや、単に占拠されただけならばまだいい。すでに予想できていたことなのだから。
護たちの気力を削いでいるのは、江戸城に集まる気脈の乱れだった。
どうやら、陽の気を集めるはずの装置の中心に、巨大な陰の気が居座っている影響で、気脈の均衡が崩れてしまっているようだ。
感覚が鋭敏な人間ならば、気力の低下だけではなく、肉体にも何かしら不調を訴える可能性がある。
護はその気だるさを振り払うように頭を振り、朱雀の方に向き直った。
「……早々に、決着付けたい。朱雀、力を貸してくれないか?」
「そのことで、我ら十二天将全員がお前に話がある」
そう言うと、朱雀はぱちりと指を鳴らした。
その瞬間、護と青龍はその場から姿を消した。
気がつくと、護はどこかの闘技場のような場所にいた。
そこが異界であることに気づくまで、それほど時間はかからなかった。
しかし、護の気を引き締めさせたのは、自分の目の前に立っている十二の人影だった。
それが十二天将全員の影だと気づくまで、それほど時間はかからなかった。
「……なんのつもりだ?十二天将」
だが、護の言葉に答える天将はいなかった。
返答の代わりに、彼らから清冽な神気と殺気が叩きつけられた。
その反応に、護は反射的に霊剣を抜き放ち、臨戦態勢に入った。
――俺を、試すつもりなのか?
十二天将は、十二神将とも呼ばれている。
字のごとく、仮にも神の末席に名を連ねている存在だ。
晴明との契約があるとは言え、何もすることなしに、従うつもりはないのだろう。
――いや、俺に従うって前提で考えていいのか?
十二天将が護に従うということは、事実上、翼が護に家督を譲ったということだ。そのため、朱雀は先程、護のことを主、と読んだのだと察することができた。
だが、この緊急時に何も告げることなく、継承させようとするとは考えられなかった。
――いや、この緊急時だからこそ、なのか
緊急時だからこそ、この戦いで倒れることがあるかもしれない。
そのことを考えて、継承儀式を急いでいるのだろう。
「……本気で来い。俺たちは「晴明との契約」ではなく、「お前自身の力」を試した上で契約を結びたい」
「……わかった」
土御門家の人間、晴明の子孫であるとはいえ、半妖に、半分が相反する存在にそう簡単に従うつもりはないようだ。
――始まったか
人界と異界の境界がつながった。
それを感じ取った翼は、不意に窓の外に広がる街に目をやった。
本来ならば、護に話してから十二天将の試練を受けさせるべきだったのだが、そうも言っていられなくなった。
江戸城が占拠され、戦況はあまり思わしくない。
なにより、九尾が護に目をつけた。
陰陽師がひとり、彼らの側についたとしても、戦力的には問題はない。だが、それは普通の陰陽師が向こう側に行った場合だ。
護は、半妖だ。それも、陰陽師の術を身につけ、自身の霊力の扱い方を知っている。
これ以上、厄介な敵はいない。
無論、護が自分から彼らの側につくとは考えにくい。だが、九尾たちが何も仕掛けてこないということはない。
その対策を、少しでも早く講じる必要があった。
それが、十二天将を早々に護の守護に付けることだった。それもただの守護ではなく、主従関係を結んだ上での守護だ。
陰の気に近い存在となっている護は、妖の側に引き込まれやすい。だが、護は半妖であると同時に陰陽師だ。
陰陽師は陰陽を司るもの。陰の側にいるというのならば、陽の存在を近くに置いておけばいい。
そして、十二天将は神の末席に名を連ねるもの。神は、陽の側にある存在だ。
だからこそ、常に護のそばに置いておく必要がある。
しかし、四神の面々はともかく、天一があまりいい顔をしていなかった。
土御門家の人間であるとは言え、半妖に従うということは、神としての矜持が許さないのだろう。
おそらく、何かしらの試練を、護に与える腹積もりなのだろう。
――……死ぬなよ、護
胸中に嫌な予感を抱えつつ、翼はそっとため息をついた。
――神は、乗り越えることのできない試練を与えないという。
だが、それは、乗り越えることのできた人間の言葉だ。
神より試練を与えられ、乗り越えることのできた人間は多くない。それを乗り切った人間は英雄として称えられる。
なぜなら、神の試練とは往々にして、
――死や絶望も生ぬるいと感じるほどの、苦痛を伴うものだから。




