二、
護は月美に、自分の中に潜む神狐の力が人と妖の境界線をあやふやにさせ始めていることだけを話した。
それだけ伝えれば、おそらく、自分が抱えているものを理解してくれるとわかっていたから。
「……そう、なんだ……」
「このままいけば、半妖になるかもしれない……でも」
護は月美の頭に手を乗せる。
いきなり頭を撫でられ、若干顔を赤くした月美をよそに、護は続けた。
「俺が相手にするのは、人に仇なす妖と妖に仇なす人間だけだ」
「……うん、わかってる。わかって、るよ」
月美はうつむきながら、そうつぶやく。
――それだけじゃないのに、話してくれないんだね……
護はまだ何かを隠している。それがわからない月美ではなかった。
しかし、話してくれと言って、簡単に話してくれる護ではないことはちゃんとわかっていた。
彼が抱えているものの一部分を話してもらうことができた。それだけでも、上々というものだ。
だからこそ、護に言っておかなければならない。そう思い、月美は護の目を見る。
「……護、まだ何か隠しているでしょ?」
「……聞かないのか?」
「聞かないよ。話してくれない、というか話せないってことはわかってるから」
でも、と言って、月美は護をキッと睨む。
「どんなことがあっても、私は護の味方。それを忘れないでね」
「……あぁ。わかってる」
護は困ったようなほほ笑みを浮かべながら、そう答えた。
月美はまだ、じっと護を見つめていた。その目からは、先ほどのような怒りは感じ取れず、むしろ、本当に心配している、憂いの光が宿っているように感じ取れた。
だからこそ、と護は心の内で呟く。
――わかっているよ。だからこそ、もしもの時は……
俺を、殺してくれ。
それが、護が絶対に譲りたくない、わがままで自分勝手な願いだった。
それからしばらくして、護と月美、そして清と明美は陰陽寮に所属する戦闘訓練のための機関、通称「宮」が所有する一室に集合していた。一応、陰陽寮が再度結成されてから一ヶ月以上が経過したため、事実上「宮」は存在していない。が、各職務によって関連する所属機関を、統合した機関の名前で呼ぶことが通例となっていた。
この日は特に戦闘訓練があるわけではないが、宮に所属していたメンバーに、護たちを新メンバーとして紹介する必要があったため、呼び出されたのだ。もっとも、そのあとには座学が待っているのだが、そのことについては、四人とも特に気にはしていない様子だった。
紹介が終わり、護たちは割り当てられた席に座り、おとなしく授業を受けた。
それから数分して、護たちは同じ部屋にいた生徒たちから質問攻めを受けていた。しかし、護はそうなる前にその場から立ち去り、一人、屋上へと向かっていた。
屋上に到着した護は、右手をじっと見つめ、意識を集中させた。すると、その手に白い炎が灯った。
自分自身が忌み嫌ってきた、自分の中に潜む「力」。土御門家に脈々と受け継がれてきたもの。護が、土御門家とつながっている、という何よりの証。
「……人としてあるべきか、半妖となるべきか、か……」
「悩んでいるようだな」
ふと、後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。振り向くと、そこには白い狐の面をかぶった若者がいた。
その人物を、護は知っている。葛葉姫命の使い、白狐。それが彼の真名だが、護はそれを呼ぶことを許されていない。
「御使い様、ご無沙汰しております……というほどでもないですかね。夢でいつも鍛えてもらってますし」
「そうだな……まぁ、現の世界で会うのは久方ぶりなのだから、それでいいのではないかな?」
御使い、と呼ばれた白狐は特に気にすることなく、護の隣に歩み寄った。
手すりに寄りかかり、街を見下ろしながら、白狐は続けた。
「……お前のその力は葛葉姫命の力と同質のものだ。それゆえ、その力が馴染みすぎたからといって、お前の魂が妖になることはない」
中身が人間のままなのだ。何を悩む必要がある。
白狐は護に向かってそう問いかける。
護は、白狐と同じ方向へ向き直り、答える。
「魂が人間でも、肉体が妖というだけで、攻撃されるには十分なんですよ」
人間なんてのは、外見が異質ってだけで、その存在を排除したがる、早計で愚かしい生き物なんですから。
それは、護が人間を嫌っている理由だった。
もちろん、それは大多数の人間であって、少数の人間はそうではないことはわかっている。そして、護自身も人間だ。自分自身が嫌いな、外見で相手を判断し、排除したがっている感情が生まれることがあることもわかっている。
けれども、その被害者になるのは、正直なところ、ごめん被りたい。
なにより、月美や父親を敵に回したくはない。
「……まったく、事実上、晴明の苦悩が再現されることになるとはな」
「晴明様の?」
「あぁ……彼も、お前と同じ。いや、お前が彼と同じなのか。まぁ、いずれにしても、晴明は半妖だったことは、わかっているな?」
それくらいは、護も知っている。
葛の葉、土御門家の氏神である葛葉姫命を母とするという説がある晴明は、人間では起こし得ない奇跡や離れ業をやってのけたという。それらの逸話は、様々な古典に記されていることで有名だ。
だが、その逸話が真実であり、また、その血の影響と内包していた霊力のせいで、晴明もまた、苦悩していたことを、多くの人間は知らない。
その苦悩が、護の今の状況と同じなのだという。
「だが、晴明は少なくとも、救われていた」
白狐は、空を見上げ、そう呟く。
救われていた。護はその言葉の意味が、いや、誰に救われていたのか、なんとなく理解できた。




