二、
護が夢渡りをしていたころ、月美は土御門邸の敷地内に建てられている道場にいた。
その手には、小太刀の木刀が握られている。そして、目の前には十二天将の一人、勾陳がいる。そして、彼女の手にも木刀が握られている。
どうやら、勾陳に剣術の稽古をつけてもらっていたようだ。
相当な時間、稽古をしてもらっていたのだろう。月美の長い黒髪は汗に濡れ、頬に張り付いている。
「……すこし休め」
「え……でも、まだ」
「休め……それ以上は体に障る」
何より、休憩も入れないで動き過ぎだ。無理をしすぎたところで、急激に強くなることはできないぞ。
もっともな理由を言われ、月美はようやく木刀を置いて、壁にもたれるようにして座り込んだ。座り込んでようやくわかったが、足に力が入らない。
どうやら、しばらくは立てそうにない。
「……しかし、ずいぶん急に稽古をつけてくれと頼みに来たもんだな」
勾陳はようやく休憩することにした月美に問いかけた。
本当に急なことだったのだが、勾陳は疑問を抱きながらも稽古をつけていた。
二日ほど前だったか、突然、護に十二天将の中で、できれば女性で、戦闘に特化した式神はいないのかと尋ねられ、凶将であり、「争い」の性情を持つ勾陳が抜擢されたのだ。
なぜ女性なのか、という点に引っかかりを覚えていたが、なるほど、月美の戦闘訓練を行うためだったようだ。
しかし、なぜ月美が戦闘訓練を行いたいと言いだしてきたのかがわからないのだ。
勾陳の質問に、月美は顔を曇らせながら、答えづらそうに膝を自分の顔に寄せた。その顔を見ただけで、ここ最近、何かあったということは勾陳も理解できた。
単なる憶測にすぎないが、おそらく、先の、弓削光の一件が関係しているのだろう。
朱雀と天后から聞いた話だが、月美と護はあの事件で、文字通り、命を拾ったらしい。そして、護はあの事件以降、陰陽師としての修行だけでなく、武術の鍛錬にも集中するようになった。
「……護にばっかり、無理をさせたくないの」
不意に、月美が勾陳の質問に答えた。
弓削光との戦いで、月美も護も傷ついた。そして、護はそのことをひどく後悔し、無理をするようになった。ここ最近の護の行動を見ていればわかる。
むろん、それだけではない。彼が最近、夢渡りで出会った少年に依頼された占の内容が不穏なものであったらしく、何が起きても対応できるよう、今のうちに力をつけておく必要があると考えたのだろう。
その時、ふたたび護が命を拾うことになる事態に遭遇するかもしれない。そして、それが月美を守るためにとった行動の結果であるという可能性が一番高い。
そうならないように、そして、護が危険なときにそばにいて、ちゃんと助けられるように、自分も力をつけなければならない。
「だから、術だけじゃダメなの……武術もしっかり身につけないと……」
そう言って、月美は再び立ち上がる。
だが、まだ足の疲労が抜けきっていないのだろう。その足取りはふらふらとしていて、おぼつかない。
勾陳はそっと、月美に肩を貸し、そのまま道場を出ようとした。
「え?勾陳、私はまだ……」
「無理をするなと言っただろう。そう言う理由ならば、なおのことだ」
何より、お前が無理をして倒れれば、護はよけいに自分を責めることになる。
その言葉を聞き、月美は目を見開いた。気づいていなかった。自分が無理をして、何かあれば護がどれほど心配するかに。
そして、月美が無理をすれば、護は自分を責め、もっと無理をするようになることに。
「……ごめんなさい」
勾陳は月美の謝罪に微笑みで答え、道場から出た。
渡り廊下の一角に月美を座らせ、勾陳は道場の戸を閉める。
「無理がたたって倒れれば、護はもっと心配するだろうし、我が主と雪美も心を痛めるからな……」
無理をするのなら、心配してくれる人たちのことも、ちゃんと考えることだ。
勾陳は太陰を呼んでくると言って、その場から消えた。
月美はそれを見届けて、そっとためいきをついて、天井を見る。日は沈みかけ、夕刻を過ぎ、空はすでに昼の青と夜の紺とが混ざり合った、藍に染まっていた。