三、
護が目を開けると、そこにはいつも見る夢の光景が広がっていた。
満天の星空と、どこからか舞い降りてくる桜。ここ数カ月で見なれた風景だ。先ほどのおぞましい光景を見た後なので、いつも以上に心が落ち着くように感じる。
ほっとため息をついて、護は近くにあった桜の樹の根に腰かける。
――あの光景は一体……
護がそんなことを考えていると、頭上に一つの気配を感じた。人間にものではない、だが、邪な気配でもない。精霊や、神仏の気配に近いものだ。
そして、それは、護がよく知っている気配だった。
「……お久しゅうございます。御使い様」
護がそういうと、御使いと呼ばれた存在が目の前に降り立った。それは、護よりも少し背が高いくらいの男性だった。白い直衣をまとっているが烏帽子はかぶっていない。そして、その頭に生えている髪は、雪のように白い。
護は彼の名を知らないが、月美は「シロ様」と呼んでいる、葛葉姫命の配下、白狐だ。
白狐は護の方に振り返り、くすりと微笑んだ。
「久しいな。土御門の若君……風森の巫女は、上手くいったようだな」
「えぇ……葛葉姫命様と、御使い様には感謝いたします」
護はすっとお辞儀をする。
白狐はその様子を見て、くすくすと微笑んでいた。
「本来ならば、供物を用意すべきところですが……」
「対価はすでに巫女が支払っている。それでもなにか用意したいと言うのならば、我が主の社へ直接」
「……父に、そう頼んでおきます」
護はそっと微笑みながらそう答える。
白狐はなおも微笑みながら護を見つめていたが、ふと、真剣な顔つきに戻り、口を開いた。
「見たのであろう?あの世界を」
「……はい」
護は白狐の言う「あの世界」というものが、先ほど見た夢の光景だということを察した。
陰陽師の見る夢には意味がある。そして、夢の世界というのは、ここではない別の世界とつながり、そこの光景を垣間見ることのできる、唯一の世界だ。
時にそれは異世界であり、時にそれは過去、あるいは未来の世界でもある。
おそらく、護がみた光景は異なる世界のものなのだろう。
だが、白狐はそれを察し、その考えを否定した。
「あれは……これから起こる未来の姿だ」
その頃。
宮が管理する森の中にあるすたれた教会に、一筋の禍々しい光の柱が立っていた。それに気づいた者はいない。だが、異常な気配だけは感じ取ることができた。
「……還せぬ、か……」
柱が立った場所、そこには一つの魔法陣が描かれていた。それはかつて、宮で教官を務めた精霊を召喚する術を操っていた人物が、かの忌まわしき魔道書『ネクロノミコン』から得た知識で、いまわしき神、旧支配者を召喚しようと試みた痕跡だった。
そして、その中心に立つ人間が一人、いた。
精悍な顔つきと黒人を思わせるほど黒い肌。よく言えば健康的、悪く言えばちゃらちゃらした印象を受けるその青年は、その瞳に邪な意思を宿しながらそっとつぶやいた。
「我が父にして唯一の神のため、あいつには還ってもらわなければ困るのだがな……」
いたしかたない。ここは、この星でもっとも我に近い存在にやらせてみるか。
青年はにやりと笑いながら、そっと魔法陣を出る。陣から出た瞬間、青年の姿もまた闇の中へと消えていった。