十、
スライムが完全に消失すると、月美は明美のもとへ駆け寄った。
幸い、まだ気を失っていたようで、結界の中で眠っていた。
「よかった……」
月美はほっとしたようにそう呟き、結界を解除し、明美をおぶった。
その様子を見て、護は少々困惑したような顔をしていた。月美はその様子に気づき、護を心配そうに見つめた。
その視線に気づいたのか、護はどうしたのか問いかけた。
「護、何考えてたのかなって思って」
「……自分の格好を見て言ってくれ」
護は月美の問いかけにそっとため息をつきながら答える。
初夏が近づいているとは言え、まだ少しばかり肌寒い季節だ。スプリングコートを月美が羽織っていても不思議ではない。だが、一箇所だけ、周囲に違和感を覚えさせてしまう点がある。それは、月美の下半身が素肌を晒しているという点にほかならない。
スライムに溶かされてしまったから、仕方がないといえば仕方がないのだが、普通の人間がそれを話して信じるはずがない。それどころか、護や周囲にいる人間が婦女暴行罪でしょっぴかれる可能性が高い。
そうならないように、どうやって月美だけ先に帰らせるかを考えていたのだ。
「……どうしよう……」
「俺に聞くな、俺だって困ってるんだから」
「うぅぅ……」
護の答えに、月美も一緒になって頭を抱える。
さて、どうしたものかと思案に暮れていると、感じなれた気配が漂ってきた。
「……六合か」
「姫がお困りらしいと、翼から指示を受けてな……どうやら、俺が送っていったほうが良さそうだな」
「ん、頼む」
護はそっけなくそう答えるが、内心ではほっとしていた。正直なところ、父親に応援を頼むか、十二天将を派遣してもらうかを考えていたところに、風を操る木将が現れてくれた。タイミングが良すぎるといえば確かに気にかかるところはあるが、それでも今はできる限り、自分たちが一般人の目に触れないように、かつ素早くこの場から撤収する必要がある。
怪しんでいる暇があれば、早々に撤収したほうが賢明と言えるだろう。
頼まれた六合は一度だけ頷くと肩にかけていた布をそっと月美の頭にかぶせ、脇に寄せた。
「では、一足先に」
「あぁ、頼む」
短いやりとりの後、六合の周囲に旋風が起こり、砂を巻き上げ、二人の姿を隠した。旋風が止むと、二人の姿は消えていた。
どうやら、うまく飛べたようだ。
護は、少しの間、空を見上げ、神気が向かった先を見たが、まっすぐ土御門邸に向かっていることを知り、勇樹たちの方に振り向いた。
「さて、と……俺らも撤収するか」
「そうだな……平野はこっちで預かろうか?」
勇樹は護に背負われている、未だ目を覚まさない明美を見ながら提案する。
目が覚めたあと、彼女が取る行動を考えてみれば、至極当然のことだ。
おそらく、隠し通すことは難しいだろうし、土御門家に連れていけば、どこかで本当の霊能者一族であることがばれてしまう可能性が高い。
陰陽師は、いや、怪異に関わるすべての存在は、いまや完全に日陰の存在だ。最初のうちは、面白がって群がってくるだろうが、それは徐々に恐怖の対象となり、最終的には迫害されることもある。
むろん、近所では土御門家が霊能者の血を引いていることは有名なことだし、その家の人々はだいたいが「見える」人であるという認識は、ここ数十年でしっかりと浸透している。だからこそ、今更、なのだが、月華学園は話が別だ。
月美は、見えることを隠してきている。護の方は、それこそ学園に入学したときにはすでに「見える人間」であることがバレていたし、それが原因で友達も少なかった。
月美といると怪異に巻き込まれる。そんな噂が流れれば、月美はまた、いままでつないできた絆を失うことになる。
護としては、それは断固として避けたいことだった。
「……頼む」
そう言って、護は勇樹に明美を手渡す。
勇樹は明美を受け取り、彼女の負担にならないように抱きかかえる。
「事情は、こっちで説明しておく……少なくとも、風森が関係ないことはしっかり伝えておく」
「……すまない」
勇樹の言葉に、護は目を閉じ、若干うつむいてそう答える。
その態度に、勇樹はからからと笑いながら、慣れてる、とだけ答えて、元来た道をただっていった。桜と護もその後ろに続き、この奇妙な異界をあとにした。
だが、護は穴を潜る前に、一度だけ振り返り、空間を見つめる。
――なんだか奇妙な感覚がするが……気のせい、か?
覚えた違和感を無理やりかき消し、空間をあとにした。




