とある再会
それから僕達は、病院の帰りに由紀の両親が経営するカフェまで何度か足を伸ばした。
松葉杖で現れる僕はすぐに顔を覚えられて、少しだけ他愛もない会話を交わすようもなった。
結局、由紀は両親に自身の存在を打ち明けることはしないようで、いつもにこにこと眺めているだけだった。
そんなふうに、僕の日常が少しだけ落ち着きをみせ始めたある土曜日のこと。
レアチーズケーキとカプチーノをつつきながら旅行の予算を計算していると、上から声が掛けられた。
「あれ?颯ちゃん……?」
「んん……?」
ガイドブックから顔をあげると、見知った顔があった。高校の頃クラスメートだったことがある島本沙織だ。
彼女は二年生の時に僕と同じクラスで、いつも一緒にいたメンバーのひとりだ。よく学校帰りにカラオケに行ったりして、割と仲はよかった。ふたりっきりで遊びに行ったりしたことはなかったけど。
「島本じゃん…何やってんの?」
「みてのとおり、お仕事ですよ。お仕事」
パリッと折り目のついた黒のパンツとシャツ、そして臙脂のエプロン。確かにウェイトレスの格好をしている。
「ここやってるのウチの両親だし」
「…えぇ!?…ホントに?」
…ということは……。僕は思わず隣に座っている由紀に視線を向ける。
「知ってるんですか?この子、わたしの妹の沙織です。このあいだ来たときもいたんですけど……」
「高校のクラスメートだったんだ」
そういえば妹がいると言っていた。まさか知り合いのだとは……。
由紀の外見が十四歳のままだから、その妹も幼いものとして想像してしまっていた。由紀が死んでから十年以上が経っているのだから、僕と同い年という可能性も当然あったのだ。
「世間って本当に狭いですねぇ」
由紀はババくさく言った。
「颯ちゃん……?なにやってんの?」
気付くと沙織が怪訝そうにこちらを覗きこんでいた。
「あ、いや。ごめん、なんでもない。にしてもびっくりした。久しぶり」
「うん。高校以来だから…二、三年くらいになるんだっけ?」
「もうそんなになるのか……」
「早いよね……」
「そうだな……」
「あ、でもわたし颯ちゃん見かけたときあるよ」
「えっ、いつ?声くらい掛けろよ」
「いやぁ、彼女と一緒だったから。邪魔したら悪いかなーと」
「Oh…」
「どした?ひょっとして振られた?よし、お姉さんに教えてごらん」
沙織は顔を近付けて訊いてくる。この興味津々って表情は、確かに由紀ともよく似ている。
「そーですよ。振られましたよ」
「ほほぅ。何で?浮気でもした?あるいはされた?もしくは飽きて捨てられたとか?」
沙織はエプロンを取って僕の前の椅子座ると、矢継ぎ早に質問をする。
「うるせぇ。出来たばっかの傷を抉んな。てか仕事中だろ。仕事しろよ」
「ほっほぅ…つい最近振られたのね。…っと、ちょい待つ」
沙織はまた立ち上がると、バックヤードに一旦引っ込んだ。そしてコーヒーを手にしてすぐ戻ってきた。
「さぁて、休憩もらったし、聞かせてもらおうか」
「……お前もちっと空気の読めるやつじゃなかったっけ……?」
「何言ってんの。空気読んで吐き出したいこと聞いてあげようとしてるんでしょ」
隣で由紀が両手頬杖をついて、にこにことやりとりを眺めていた。僕に助け舟を出したりするつもりはないらしい。
「……お、地球の歩き方だ。どっか行く…の…」
沙織はテーブルに開いてあった本に手を伸ばし、ひっくり返すと、表紙のネパールという文字を見て動きを止める。
「…エベレスト……」
「…………」
「行くの、ここ?」
「ああ」
「ひとりで?」
「…そうだよ」
「そうなんだ……」
沙織は少しのあいだ黙ると、やがて独り言のように話しはじめた。
「わたしね、お姉ちゃんがいて……。ずっと前に死んじゃったんだけど…話したことあったっけ?」
「いや……たぶんないな」
「だよね。死んじゃったって言ったら、みんなどんな顔したらいいかわかんない、って表情して困っちゃうから基本的に話さないんだよね」
「まあ、そうだろうな。実際今もわからないし。こんなときに、まだまだガキなんだなぁって思うよ」
「ふふ。そうだね」
沙織は眉尻を下げて笑った。その表情もまた、由紀のそれによく似ている。
隣の由紀に目を遣ると、まっすぐに沙織を見つめていた。
「それで、そのお姉ちゃんがね、よく写真眺めてたんだ。いつか行ってみたい、って」
僕は黙って聞いている。
「心臓悪かったからどう足掻いても無理だったんだけどね。だから、わたしが連れてったげるって約束してたんだよね……。結局それっきりになっちゃったけど」
沙織はへへ、と頬をかきながらもう一度、寂しそうに笑った。
そのとき、隣に座っていた由紀が立ち上がり、沙織をそっと抱きしめた。こちらに表情は見えないが肩が震えている。
「ごめんね、沙織……。でも、憶えててくれて、ありがとね……」
沙織は頭に乗せられた由紀の手の感触を感じ取ったのか、上目で頭をさわった。
そして一旦コーヒーに口をつけて短く息を吐くと、僕に訊いた。
「……ところで、それいつ行くの?」
「まだ足がこれだし、きちんと決めてないけど……。十月くらいが乾季でベストシーズンらしいから、そのあたりかな」
「十月か……。結構先なんだね……」
「リハビリとかであと二ヶ月はかかるみたい。それに体力つけとかなきゃいけないしな」
沙織は視線を上のほうにやりながら、少しのあいだ黙考する。
「ねえ、それ、わたしも一緒に連れて行ってくれない?」
「……はい?」
「わたしも一緒に連れて行ってくれない?」
「いや、聞こえてるけど……」
あまりに予想外の申し出に僕は言葉を失った。
「そうじゃなくて、思いつきすぎんだろ……」
「まあ確かに思いつきだけど、でもこれってきっと天啓みたいなものだと思うの。お姉ちゃんがいなくなってからずっと行きたいと思ってたけど、ひとりでってのも怖かったし」
由紀とそっくりな表情で見つめてくる。確かに姉妹だなぁ、と何度目かの確認をする。
「いや、それはお前…色々マズイだろ。付き合ってるわけでもないのに」
「あー、その辺は…まあ…信用させてもらっちゃ駄目かな?」
「おいおい……」
まだ沙織の首に腕を回したままの由紀に視線を向けると、彼女は赤べコみたいに頷いていた。
「そうだよ。沙織も一緒だときっとすごく楽しいよ」
基本的にこの姉妹は熟考するタイプではないんだろうな……。
「……わかった。一緒に行こう」
僕は言った。
「本当?いいの?」
「でも金ないから結構キツイと思うぞ」
「そういう旅行のが楽しいじゃん。颯ちゃん一緒だと心強いし。それにわたし、英語得意だから役に立つと思うよ」
「あ、それは助かるな」
「やった!お父さんたちに話してくる!じゃね」
沙織はそう言い残して、厨房のほうへ跳ねるように消えた。由紀を引っ付けたままで。




