少女の夢
少女の名は島本由紀。生まれつき心臓が弱く、十三年しか生きられなかった。
「最期のときね、苦しかったのがふっと楽になって、気付いたらみんなを少し上から見下ろしてたの。すぐに自分が死んじゃったんだってわかった」
由紀は淡々と言った。
「でも、これでみんなやっと楽になれるんだって思うとほっとしたの。お父さんやお母さんにはいつも心配させてたし。あと沙織が…妹がいるんだけど、いつも病院嫌がってるのに無理やり付き添わせて……。まだ小さかったのにすごく我慢させてるのもわかってたし」
少しだけの、沈黙。
由紀は記憶をなぞっているらしく、瞳を閉じている。
「…じゃあ、家族に未練で残ったってわけじゃないのか?」
「ん……家族には…本当にありがとうって、それだけ。未練はもちろんあるけど、仕方ないって納得できたし」
由紀は自嘲でもなげやりでもなく、穏やかな表情でそう言った。
「それに、幽霊になってまでみんなと一緒にいたら、誰もしあわせになれないよ」
「そうかな?そんなことないと思うけど……」
「ううん。その時は寂しさを誤魔化すことは出来るかもしれない。けどそれじゃ結局過去に縛られたままで前に進めないよ」
確かにそうかもしれない。でも僕なら寂しさを紛らすだけでもいいからと、願ってしまっただろう。
「……そっか。小さいのに強いな……」
僕は感心して、子供にするように由紀の頭に手を伸ばす。すると由紀は、はっと思いついたようにそれを避け、偉そうに胸を張って言った。
「あっ、これ十年以上前のことなんで、実はわたし颯太さんよりずっとお姉さんなんですよ」
「は…?十年?」
「正確にはえっと…十二年前なので今二十五歳ですね」
「そうなんだ……」
「そうなのです。まあ、この姿から想像しろってのも無理ですよね」
そう言うと由紀はくすくすと笑った。その姿はやっぱりあどけない少女にしかみえなかった。
「それで、結局ずっと病院にいたの?」
「そうですね。他に行くアテもなくて。街はひとが多いだけで、誰も気付いてくれないから、すごく寂しくなるんです。ここは毎日のように死んじゃうひとがいる悲しい場所だけど、みえるひとも時々いたからまだ寂しさも和らいだんです。まあ、結果的に颯太さんみたいに驚かせてしまったり、みえるひとに死期が近いことが多かったせいもあって、今では怪談扱いされてますけど」
由紀は眉尻を下げて言った。
「あ、一応言っておきますけど、誰にも恨みとか呪いとかないですよ。基本的にずっと無害です」
「恨みもないとすると、どんな未練があるのさ?言葉なら誰かに託せばいいし、場所なら行けば解決するだろ。十年以上もかけて誰も叶えられないほどの難題なのか?」
すでに僕は、正直自分の出来ることは何でもしてやろうという気持ちになっていた。
「未練というか、夢があるんです」
「夢…か。まあ、仕事もなくなって暇だし、なんでも叶えてやるよ。どーんと言ってみな」
「笑わないでくださいね……」
「笑いません」
「……エベレストが見たいのです」
「……えべれすとぉ……?」
「そう。エベレストが見たいのです」
「……マジで……?」
「マジです」
「世界で一番高い山の?」
「うん。せかいさいこうほう」
「……富士山じゃ駄目なん……?」
「…やっぱり、無理だよね……」
由紀は畳があれば目を数えそうなくらいの勢いで落胆した。心が痛い。
「なんでまた……普通はもっとこう…学校にもう一度行きたいとかじゃないの?」
「それはそれで素敵かもしれないけど、過ぎたことだしもういいの。エベレストはわたしの夢だった。身体が弱かったからどうやっても縁のない場所だったし。だからこそ、とても神々しくて憧れてたの」
僕はテレビや写真でみた記憶を反芻してみる。過酷そうな場所だもんな。
「エベレストってどこの国になるんだっけ……?インドより上だったからネパール?」
「そう、ネパール。ルクラっていう場所からなむちぇばざーるに行ってそこからアタックするらしいの」
「詳しいんだな……」
「やさしいひとが調べてくれたの。でも、ここで知り合った人たちって基本的にみんな、その…無理だったから…」
まあ、病院だしな……。
「しっかしネパールってそうそう簡単に行けないよなぁ……」
そもそも海外自体行ったことがないのだ。当然パスポートもない。しかし絶望的な表情でうなだれている由紀を見るとさすがに心が痛む。というかついさっきなんでも叶えてやるって言ったのに曲げるのは男が廃る。
僕は、決心する。
「うーん……。よし。行って…みるか」
「えっ?」
「ネパール。足が折れてるからすぐには無理だし、初めてだから何にもわかんないけど」
「ホントに?いいの?」
「叶えてやるって言ったしな。ちょうど無職で時間もある」
由紀はもはやキャンセルできないほど目を輝かせて僕を見上げていた。
まあ、僕と由紀がここで会ったのも何かの縁、というかもはや啓示なんだ。
「ただし、海外なんて一度も行ったことないからあんま期待すんなよ」
「わかった。あんま期待しない!」
僕の予防線をまるで無視して彼女は目を輝かせ続けていた。




