第十七話;Family.
暫くして、あたしがすっかり落ち着いたのを見ると小川内は言った。ココアはすっかり空っぽだ。
「お詫び、っちゃなんだけどさ。舞台上がってみるか?今日は公演休みなんだ」
「いいの!?」
「ゲンキンな奴」
初めて見る笑顔で。なんだかすっかりわだかまりも溶けたみたい。泣き叫んだかいもあったかな?
「来いよ。こっち」
「ホドホドにね〜。団長に怒られるわよ」
立ち上がったあたしの背中に、紗香さんの声が当たった。
「分かってるって」
ヒラヒラ手を振る小川内の後ろを、あたしは黙って着いて行く。あまりにズンズン歩くから、自然とあたしは小走りのような形になった。
「ここが、舞台!」
薄暗い通路を抜けて、まるで異空間に出たみたい。キラキラと、ここで輝いているのはきっと、夢の結晶。
「すごい……こっちから見ると広いんだね!」
「だろ?ここに立ってると、嫌なことなんか全部ちっぽけに感じるよな」
まただ。笑うと八重歯がチラリと見えて、ヤンチャな少年みたいな表情になる。とてもあたしにイヤミを言うときのあいつと同一人物だとは思えないな。ちょっぴり可愛いかもとか、思ってしまった。
「あ〜……えっと、小川内、さん」
「俊でいいよ」
「じゃあ、俊。あたし音響?って言うの?とか有るトコも見てみた〜い」
「ミキサールーム?ああ、別に構わないけど……」
その時、正面の客席入り口が開いた。
「な〜んか声がすると思ったら、また小川内か!」
入ってきたのは30代後半くらいの女性で、長いウェーブのかかった髪を後ろで一つにまとめている。
「「神聖な舞台で何してる」」
二人がピッタリハモるから、あたしはすっかり驚いてしまった。
「もう聞き飽きましたよ。団長」
「聞き飽きるほど言わせるな」
女の団長なんて、なんだかカッコイイなと思いながら、年を物ともしないスタイルの良さに、なんだか納得する部分もあった。
「で?このガキンチョは何?小川内のガールフレンド?だ〜れが部外者を連れ込んで良いって言ったかしら?」
「違いますよ。今日だけ、見逃して下さいって」
「とりあえず舞台から降りなさい」
俊は軽やかに舞台を飛び降りた。あたしも急いで降りようとしたけど、意外と高さがあって躊躇してしまう。俊に手を貸して貰い、あたしは何とか舞台を降りた。
「んー……あんた。名前は?」
「佐山です。佐山 響」
「響ちゃんか。あんた、入団してみる?もちろん舞台には出れないけど、みんなの手伝いをしてくれればちゃんと給料も払う。なんなら寮だって用意するよ」
どう?と、団長は目配せする。
「残念でした!団長。今回ばかりは、アテが外れたかもよ。響には大事な人が居るんだってさ」
いつの間にか、響って、呼び捨てなんですけど。別に、いいんだけどさ。なんかくすぐったいような……。
「あたし、何にも出来ないし、きっとお約には立てないと思います」
「いいんだよ、そんなことは。ただ、響ちゃんも心に重たいもん抱えてそうだったからね、誘ってみたのよ。ここは、そんな奴らばっかりの集まりだから、あんたもきっと家族になれる」
「……家族」
「そう。うちの劇団員はみ〜んな家族みたいなモンよ。気が向いたら、いつでもおいでね」
魅力的な話だった。すごく、すごく大きな人だなと思った。あたしなんかでも、自分の力でやって行けるかも。いつまでも智くんに、迷惑をかけ続けるわけにも行かない。
「少し……考えさせて下さい」
「待ってるよ」
それでもまだ、あたしには踏み出す勇気が足りなかった。
智くんと離れ離れになることが、側に居られなくなってしまうことが、とてつもなく怖い。
……あたしは臆病者だ。
夕暮れの帰り道。肌寒さすら感じない程、あたしは深く考え込んだ。