6th Game
4月18日
13:00
「突入の際の確認だ。よーく聞いとけよ。まず今回の目的は事務所内の重要書類を手に入れることだ。ただ、現状は窓から見えるように中は人喰い虫が充満している。事務所と倉庫をつなぐドアが開いているからだ。まず、事務所内のやつをやっつけ、そのドアさえ閉められれば、もう事務所内に人喰い虫が入ってくることはない。いいか、わかったか?じゃあ、担当を発表する。まずは…先頭はおまえだ。」
所長の指先はまっすぐおれを指していた。
「えっ?おれですか?」
「そうだ。ここにホースが2本ある。このホースで水をまきながら中に入るんだ。二番手はヨシノ、おまえが行け。スズキとクサカベさんは事務所の入口のドアを開ける係だ。万が一外に人喰い虫が出てくるようなら入口に用意してあるバケツの水を使ってくれ。最後におれはここで蛇口の開け閉めをやる。」
「えっ、所長は中に入んないんですか?」
「当たり前だろ。ホースは2本しかないんだ。だいたいおれがいなきゃ指揮するやつがいないだろ。」
確実にハズレくじを引かされた感じだ。やはり所長はくそだ。しかし、だれかがやらないといけないことなので諦めて自分がやることにした。一旦襲われたのに大丈夫だったこともあるので、それを含め意外と緊張感は湧いてこなかった。
☆
13:59
「さあ、準備はいいか?14時になったら作戦開始だぞ。…、……さあ、カウントダウンだ。10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、ゼロ。ドア開けろ!!」
合図とともに事務所の入口のドアが開けられた。中にいた人喰い虫は、今までなかった所に急に空間が現れたため、一瞬動きが固まったが、一斉に新しく開いた空間へ進もうとした。そこへすかさず、おれとヨシノがホースで大量に放水を始める。情報通り、水を浴びた人喰い虫はバタバタと床に落ちていった。
おれはおれの生活を目茶苦茶にされた恨みを晴らすべく、飛び回っているやつにも、もう力尽きて床に這いつくばっているやつにも容赦なく水を浴びせた。ほぼ入口付近を制圧したと思ったとたん、急にヨシノが事務所に飛び込んだ。
「ばか、まだ中にはいっぱいいるんだぞ。くそっ!」
ヨシノの単独行動におれも突入しなければならない雰囲気になった。多少恐怖はあるが体は動くようだ。
「うおぉぉー。」
おれは叫びながら事務所に突っ込んで行った。事務所内は真っ黒の塊で覆われていた。足元は退治した人喰い虫の死骸が山になっており前に足を進める度に膝下まで埋まる。もちろん靴の中もいやな感触であふれかえる。
目的は事務所と倉庫をつなぐドアを閉めることだ。先に突入したヨシノの後を必死で追い掛ける。ヨシノに襲い掛かる人喰い虫に必死で水を浴びせる。ヨシノの単独行動があったものの事務所の半分くらいの所までは順調に来ている。
「ヨシノ!もう少しだ!がんば…おい、なんだよ、これ…水が…。」
来た道を振り返ると人喰い虫の屍の山の向こうに所長が慌てふためく姿が見える。所長の足元にはホースの端が転がっている。
「くそ!あのカスが!ヨシノ!引き上げ…。」
ヨシノにもう水が出ないということを伝えようとした瞬間、急に前からヨシノが現れ、突き飛ばされた。おれは人喰い虫の山に倒れ込みながら叫んだ。
「くそー!どいつもこいつもくそやろブブブ。」
最後の言葉は襲ってきた人喰い虫に覆われ、言葉にならなかった。一度体験した黒い塊の圧力に懐かしさすら感じるほど、体に力が入らない。さすがに今回はだめか。でも、いっか。おれのために泣いてくれる人もいないし…、クサカベさん…。
黒い塊の圧力はどんどん増していく。喰われて死ぬのが先か、それとも押し潰されて死ぬのが先か。どうせ喰われるなら死んでからのほうが苦痛が少ないのかな。いろいろな事を考えているうちに不思議と体の神経が全てなくなり、唯一動く脳みそだけが自分になっていく気がした。
死ぬ時はこうやって死ぬのかぁ、意外と楽に死ねるんだなぁ、と安らかな気持ちになって行くおれの脳みそに誰かの声が侵入してきた。
「おい、大丈夫か!」
その言葉を脳みそではなく、耳でキャッチした瞬間、おれの神経は脳みそからそれぞれの故郷へ戻って行った。おれ本来の体に戻ったおれは全身がびしょ濡れになっていることに気付いた。
「おい、大丈夫か?大丈夫なら、手伝え。おれ一人じゃ限界がある。」
そう淡々と話す声は、ヨシノだった。ヨシノの手にはポットややかんが握られており、それで水をばらまいていた。
「給湯室の水道を使え。水は出しっぱなしにしてある。コップや皿しかないが自分で考えてどうにかしろ。おれ一人じゃ全部は無理だ。」
ヨシノはおれの上に覆いかぶさった屍を足で振り払い、給湯室に水を確保しに戻って行った。
「また生き残った…。」
しかし、そんなことを思うのもつかの間。黒い塊が襲ってくる。おれは給湯室へと必死で向かった。給湯室の入口でヨシノとすれ違う。おれは給湯室にある水が入るものに手当たり次第水を入れた。給湯室の外で水を使い果たしたヨシノが給湯室に戻ってくる。ヨシノはおれが水を入れた容器を持ってまた給湯室の外に飛び出して行く。そんなことを数回繰り返しているうちに、おれは流しから水を溢れさせることを思い付き、流しの排水溝を塞いだ。
しばらくすると水は流しから溢れ出し、給湯室の外へ流れて行った。ただこれだけでは飛んでいるやつらはやっつけられないし、やっつけてもやっつけても倉庫から事務所へとやつらはなだれ込んでくる。やはりあの倉庫と事務所をつなぐドアを閉めるしかない。おれは所長が水道から外したホースをたぐりよせ、事務所と給湯室を行き来しているヨシノに叫んだ。
「ヨシノ!やりながらでいいから聞いてくれ!このままじゃ、らちがあかない。おれが一気に倉庫のドアまで突っ込むから、ホースで支援してくれ。」
「わかった」
ヨシノからはいつもと変わらず無愛想な応えが返ってきた。人喰い虫は水に弱い。おれは少しの足しにでもなればと、頭から水をかぶった。そして手に持てるだけの容器を準備し、作戦開始のタイミングを伺った。
「行くぞ!」
おれはホースを水道に差し込み、ヨシノと共に水の入った容器を持って給湯室を出た。今まではヨシノ一人だったが、今回はおれが加勢したことにより、人喰い虫はいつもよりやや後退した。おれとヨシノは給湯室に駆け戻り、おれは突入用に準備していた容器を手に持ち、ヨシノはホースを手にし、給湯室を飛び出した。
「うおぉぉー。」
おれは肝心な所にくるとこの叫び声になるんだな、と今さらながら気付いた。また生きて、この「うおぉぉー。」を言えればいいなという思いと、「クサカベさん…。」という文字が頭の中に浮かんだ。
人喰い虫は先程のおれとヨシノのダブルアタックからまだ態勢を立て直せていなかった。おれはヨシノの放水の援護をもらいながら黒い塊へと突っ込んで行った。人喰い虫が体に絡み付いてくるが、頭から水をかぶったのが効いているせいか、力無く剥がれ落ちて行く。この手持ちの容器は最終兵器だから最後のドアノブにたどり着くまでは使えない。が、最初に比べ突進する速度は下がっている。まだドアノブは見えない。おれはどこまでもつのか。まだこの切り札を使ってはならない。いろいろな葛藤の中、限界を迎えた。
「くそっ!もう使うしかねぇか!くそっ!」
ドアノブが見える前には使いたくなかったが、左手に持っている容器の水を前方に浴びせ掛けた。しかし、ドアノブは現れなかった。
「くそっ!残り一個。こいつでうまく行かなかったら最後だ。くそっ!」
最後の力を振り絞り、右手をふりぬいた。飛び散った水を避けるように、人喰い虫が隊列を崩した。そしてその隙間から銀色に光るドアノブが顔をのぞかした。目の前にある塊が人喰い虫だかドアだかわからなかったが、おもいっきり蹴飛ばした。
ガチャン!
塊は1メートルほど前に吹き飛び、ドアが閉まる音がした。ドアについていた人喰い虫はドアが閉まった衝撃で一旦は下に落ちかけたが、態勢を立て直し一斉におれに向かって飛んできた。
「ヨシノ。これで最後だ。」
「わかった。」
相変わらずのトーンで後ろからおれの頭上を越して、放水がされた。今までは倒しても倒しても倉庫から事務所内に流れ込んできていたが、ドアを閉めたおかげであっという間に人喰い虫を駆逐できた。 ほんの5分程前までは真っ暗に思えていた事務所内は蛍光灯の明かりで隅々まで照らされるようになった。ただ、いつもと違うのは足元に積み重なったこの死骸の山と事務所と倉庫をつなぐガラス窓から見える倉庫内の景色だ。
「これだけ殺しても、まだ中にこんだけいるのか…。」
倉庫内の人喰い虫は、おれらが事務所に突入したことにより、パニックになっているようだ。ガラス窓がメキメキと軋む音と建物がギシギシと唸る音がする。
「けっ、事務所が汚い虫だらけになっちまったな。まあ、おまえらよくやったよ。あ~、きたねぇ。後でこのゴミの山処理しといてくれよ。」
足の踏み場もない事務所の中に足を踏み入れながら、ワタナベ所長が言った。
「所長、ちょっと聞きたいんですけど、なんでホース抜いたんですか?あれは抜けたんじゃなくて、あんたが抜いてましたよね?」
「あ?あれか。しょうがないだろ、おまえらがちゃんと処理していかないから、何匹かあの虫が外に出てきたんだよ。」
「何匹か?おれとヨシノはこの中で何万もの人喰い虫と闘ってたんだよ!それをたった数匹出てきただけでホース抜いた?あんたおれらのこと何も考えてないんだろ。ふざけんなよ!」
「おまえいつからおれにそんな口を利くようになったんだ?いやなら辞めてもらって結構。もうおまえには払う給料はない。」
「そういうことだ、おまえみたいな出来損ないはこのガラスの向こうにいる虫に喰われちまえばいいってことだよ。ね、所長。」
スズキが急に割り込んできた。
「そういうことだ。スズキにはこれからおれの右腕となってやってもらう。おまえみたいな使えないやつはいらないんだよ。よし、こいつに払う給料がなくなった分、おまえの給料を上げてやろう。」
「いやぁ、光栄っす。所長、ありがたいお言葉頂戴致します。」
そういえば、突入作戦の時、スズキは安全な後方部隊を任されていた。
「スズキ…おまえ、裏切ったな…。」
「裏切った?聞き捨ての悪いこというなよ。貧乏人のおまえなんか元々なんとも思っちゃいないよ。世の中喰うか喰われるかだよ。ヨシノとクサカベさんはどうする?はは、喰うか喰われるかって、クサカベさんはもう喰ってたか、この虫。」
喰うか喰われるか…。どこかで聞いたような…
「あっ…。」
『ウッド・ベル』の犯行予告だ。
『イマカラ、ソノコメニ、ホロボサレルノハ、アナタタチデス。クワレルマエニ、クラエルカ』
喰うか喰われるかではない。
『喰われる前に喰らえるか』だ。
もしかしたら…。ある一つの仮説が頭の中で組み立てられた。
パキ、パキパキ、パキ…
何の音を振り向かなくてもだいたいわかった。
「逃げろっ!!」
普段一切大声を出すことのないヨシノが地割れがおこりそうな程の声で叫んだ。全員が事務所の入口に体を向けた途端、ガラス窓が吹き飛んだ。入口に近いのは、クサカベさん、スズキ、おれ。遠くにいるのは所長、ヨシノ。真っ先に逃げ出したスズキは、あろうことか前にいるクサカベさんの肩に手をかけ弾き飛ばした。
「スズキ!てめぇ!」
おれはクサカベさんを助け起こそうとした。所長がその横を通り過ぎたと思いきや、振り向きざまにおれを蹴り飛ばした。
「くそっ!てめぇら、やっぱりそういう人種か!ちきしょう!」
倒れたおれの腕の中にはクサカベさんがいる。ガラス窓から人喰い虫が噴き出している。おれはどうすれば…。
すると、所長の後ろから現れたヨシノが所長の腕を掴んでガラス窓のほうへ投げ捨てた。そして一瞬の間におれとクサカベさんの腕を掴み、引っ張り上げた。
「急げ。」
先程の地鳴りがするような声ではなくいつもの無愛想な声でヨシノが言った。ちらっと視野に入った所長はすでに、ほぼ全身が黒い塊に飲み込まれていた。
おれとヨシノがクサカベさんを引いて入口へと足場の悪い道を通って進んで行く。あと少し、あと少しというところで、ヨシノが屍の山に足を取られ転倒した。おれとクサカベさんが止まって振り返る間もなく、ヨシノの声が聞こえた。
「行け。」
こんな時も無愛想かよ!おれは心の中で思った。ヨシノが言うように、今立ち止まったら、確実に三人とも黒い塊に飲み込まれる。クサカベさんは止まろうとしたが、おれはクサカベさんの腕を引っ張り、入口へと向かっていた。
「ダイちゃんっ!」
クサカベさんの発した言葉に一瞬おれはダメージを受けた。しかしおれはすぐにその言葉の意味を理解できた。おれが今やれること、やりたいことは、クサカベさんを泣かせないこと。そのためにはクサカベさんを無事に脱出させ、ヨシノを助けること。
おれはクサカベさんを入口の外に突き飛ばし、すぐにドアを閉め、襲い掛かってくる人喰い虫の中に飛び込んだ。黒い塊の力は強く、思ったように前に進めない。ヨシノまでたったの5メートル程なのに足がなかなか前に出ない。おれは大丈夫、大丈夫といい聞かせ、力を振り絞る。気が付くと無意識のうちにまた叫んでいた。
「うおぉぉー。」
かつてないほどの叫びに、目の前の黒い塊がバラけた。その隙にヨシノと思われる黒い物体に飛び付いた。塊の隙間からヨシノが見えた。まだ間に合う。九割九分は確信を得ていたが一分は賭けでもあった。
「ヨシノ!なんでもいいから飲み込め!早く飲め、飲み込めよ!ウッド・ベルが言ったように、こいつらに喰われる前に喰えば、助かるんだよ!いいから喰えよ!クサカベさんが待ってんだろ!」
おれはヨシノまでギリギリ届く右手でヨシノの口に人喰い虫を無理矢理に押し込み、口を押さえ込んだ。数秒前まで見えていたヨシノの顔はもう見えない。おれもヨシノも人喰い虫に完全に覆われた。もう窓から差し込む太陽の光も事務所の蛍光灯の光も届かない漆黒の世界へとなっていた。
「うおぉぉー。」
おれは手の感覚だけを頼りにヨシノの顔が潰れるくらい口を押さえ込んだ。