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バカにつける薬

掲載日:2026/04/13

しばらく練習を兼ねて小話を書いていく予定です。

気に入りましたらご感想をいただけると励みになります。

いつか長編も書けたらいいな。

「先生、バカにつける薬ってありませんか」


診察室に入ってくるなり若い男はそう言った。


高級そうな時計をつけ、仕立てのいい服を着ているのに、座り方はだらしなく、言葉にも品がない

地元では有名な会社の社長の息子だった。

今は地元の大学に通っており、勉強もスポーツも長続きせず、何をやらせても半端で、とうとう親に見放されかけているらしい。


医者は男の顔をじっと見る。

医者の脳裏に、最近認可された薬の名が浮かんだ。

少し考えたのち、医者は机の引き出しを開けた。


「ありますよ。正確には、頭を良くする薬ではありませんが」


小さな銀色のケースを取り出して医者は一錠つまみ上げる。


「これは脳を活性化し、高速で思考させる薬です。効果は一錠で二時間、飲んでいいのは日に三錠まで。これを飲むと、あなたは自分のしたことの結果や、周囲の状況から次に何が起こるか、考えずにはいられなくなります」


男は興味を持ったのか、続きを促すように眉を上げた。


「それって、頭が良くなるってことですか」


「いいえ。考える量と速さが増すだけです。思考の内容は、あくまで本人の能力によります。ただ、何も考えない人間が常に考えるようになれば、それだけでも行動はかなり変わるでしょう」


医者はそこで少し声を低くした。


「強い薬です。用法用量は必ず守ること。管理はご両親に任せ、週に一度は私に診せに来なさい。飲み過ぎれば、脳を働かせすぎて支障が出ます」


男は何度も頷きながら、その日は素直に薬を受け取って帰った。


翌日、男は早速薬を試した。

最初の一錠で効果はすぐに実感できた。


授業中、今までなら聞き流していた話の先が気になって仕方なかった。

先生の問いに対して、何を答えればどう評価されるかを考え続けた。

人と話せば、相手の表情や声色から、次に何を求めているのかと思考を巡らせた。

スポーツでも相手の動きの先を読むようになった。


薬を飲みはじめて1ヶ月後には成績が上がり、ちょっとしたスポーツ大会でいい成績を残し、人とのコミュニケーションも上手くなっていった。


これに父親は露骨に態度を変えた。


「やればできるじゃないか」


その一言は男にとってずっと欲しかったものだった。


だからこそ、彼はすぐに理解した。


自分でこうなら、他の人にはもっと効果があるのでは?


もしこの薬の存在が広まれば、皆がこれを使うかもしれない。

そうなれば自分だけが特別ではなくなり、結局また相対的にバカへ戻ってしまうかもしれない。


そう思った瞬間、今だけはこの気持ちよさを失いたくない、と男は強く願った。

男は次第に薬が手元にないことが怖くなり、

薬の管理を両親に任せず自分で行うようになる。


結果を出せば出すほど薬は手放せなくなっていく。


飲めばうまくいく。飲めば父が認める。飲めば周囲が驚く。飲めば、自分はできる人間になれる。


やがて父は、大切な取引先の社長との晩餐の席に息子を同席させると言い出した。


「今のお前なら恥ずかしくない」


その日はすでに三錠飲んでいた。だが男は考えた。


もう少しだけ飲んでも、あとで睡眠を増やして脳を休めればいい。

一度くらいなら問題ない。

むしろここで失敗する方が損だ。


そして、飲んだ。


晩餐は大成功だった。

受け答えは鮮やかで、気配りも行き届き、取引先の社長にも気に入られた。

父は誇らしげだった。


その快感は強かった。


一度の例外は、次の例外を呼ぶ。


今日は大事な日だから。

明日は試験だから。

来週は試合だから。

今は忙しいから。


少しずつ、一日に飲む薬の量は増えた。

最初は睡眠時間を増やすことで脳を休めるようにしていたが、そのうち眠る時間すら惜しくなった。

思考が速ければ、起きている時間の価値が何倍にもなるように思えたからだ。

薬について話があると医者から電話が来ても、注意されるのが嫌ですぐに切った。

薬は、忙しくて病院に取りに行く時間がないと父に頼み込みんだ。

息子の成長とそれをもたらした薬をすっかり信用してい父は、深く考えず会社の伝手で薬を仕入れてくれた。


異変が起き始めたのはそれからだった。


薬を飲んでいないのに頭の回転だけが止まらない。

考えが次々に浮かび続けて止まらない。

連想ゲームが永遠に繰り返されて終わらない。

脳の奥で何かが焼けつくように痛む。

眠ろうとしても、意識が勝手に次のこと、その先のこと、そのまた先の最悪の可能性まで考え続ける。


眠れない。休めない。止まらない。


男は青白い顔で医者のもとへ駆け込んだ。


「助けてくれ……頭の回転が止まらないんだ……!」


医者は男の話を最後まで聞くと静かに言った。


「どうにもなりません。あなたのそれはもはや末期だ。だから、何度もお電話差し上げたのに」


男は椅子から立ち上がりかけた。


「そんな……!」


「用法用量を守らないからですよ。あなたの脳は、本来、意識的な高速思考を長時間続けられるようにはできていません。薬で無理やり高速化した。しかし脳にも負荷がかかる。その負荷が問題ない量が、おおよそ六時間です」


医者は淡々と続ける。


「あなたはそれを大きく超える時間、脳を酷使し続けた。その結果、薬がなくても脳が高速思考を続ける状態になってしまった。もう止まりません。このまま脳は負荷を強いられ続け、やがて限界を迎えます」


男は震える声で言った。


「じゃ、じゃあ睡眠薬や麻酔は……? 無理やり脳の活動を低下させれば、休ませられるんじゃ……」


医者は首を横に振った。


「難しいでしょう。今のあなたの脳を落ち着かせるために必要な量は、致死量を上回る。結局、死ぬことに変わりはない」


「そんな! あなたが処方した薬でしょう!」


男は叫んだ。

言い募り続ける男を医者はその言葉を聞いて、少しだけ考えるように目を伏せた。


「ああ」


医者が小さく息をつく。


「だから、バカにつける薬はないのですね」


勝手に毒に変えてしまうから。

医者の口にした言葉の続きを男の脳はそう考えた。

怒ろうとした男のは、しかし脳が別の思考をし始めたことでそれを口には出せなかった。

自分が死んだら父の後継はどうなる。父はどう思う。周囲は笑うか。苦しみはどれくらい続く。今すぐ倒れるのか。明日か。一週間後か。


止まらない。

もう、止まれない。


そして男は息を引き取るまでひたすら考え続けた。


自分がどうしてこうなったのかを。

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