後編
昼間の繁華街の路上で外国人が「ハイ……ハイ、ワカリマシタ」と慣れない日本語で、電話をしている。電話の相手は直哉であった。
「しっかりやれ。捕まるなよ」語氣を強めた直哉のいるアトリエには、未完成の絵がある。横に置いてある絵具の赤色だけ無い。
大通りから裏通りへ歩く木田に平行するように、外国人の男が近づいて、二人は小さな声で何か喋っている。「また高くなってんじゃん」木田の言葉を外国人は無視した。「ボスによろしく言っといて」木田は、まさか、直哉であるとは思っていなかった。「ハイ」。周りに人はいない。木田が、小さく折り畳んだ金を渡すと、周りを見渡して外国人も、何かを手渡した。直後、二人は別れて何事も無かったかの様に、再び他人同士になった。木田は、ソレを転売したら儲かるかと、考えていたが、もうソレを手放せないでいた。裏通りから更に細い道へ入った時に木田は、昨日と同じく優衣を見つけた。「優衣ちゃん?」繫華街から離れ、住宅街へ歩いていたが、暫くして足を止め周りを見渡した。木田は氣附かれぬ様、少し後ろめたさを感じながらも後を追った。「何してんだろ?」
その薄い存在に氣附かない優衣は、煙草にマッチで火を点けて近くのガードレールに腰掛け、自分が捕まる事と死ぬ事どちらが早いかを考え、まだ手には火の点いたマッチを持っていたが、周りに人がいないのを確認して、目の前の郵便ポストに火の点いたままのマッチを入れた。行動に反して優衣の氣持ちは落ち着いていて、どうせ捕まったとて死ぬ迄の寄道でしかないと思い、口から煙りと溜息を憂鬱にして、空に吐出し、ゆっくりとまた歩き始めた頃には、郵便ポストの受口から煙りが滲み出て来た。「何だよ。マジかよ。やべーやべー」木田は焦ったがしかし、どうする事も出来なく、その場から足早に立去った。
同日の夕刻、洋服屋のバイト先で優衣は、「お疲れ」そう言って休憩室に入った。
バイト仲間の可奈子が携帯電話から視線を逸らさず言った。
「ねぇねぇニュース見た? 連続放火事件、怖いね。段々エスカレートしてるらしいよ。今度は何を燃やすんだろ? 家か、人間か」
「意外と近くにいたりして」
「何が?」カチカチと点かない、ライターをテーブルに放り投げる可奈子。
「犯人」優衣は笑って。「びっくりした? 冗談よ、冗談」
「マジで、心臓止まった。今、一瞬よぎったの、隣のショップの前髪パッツンの店員。なんか暗ーい空気出してるでしょ? 彼女ならやりかねないなって。あー煙草、煙草、ちょっとライター借して」
優衣は、カバンからマッチを出して可奈子に渡す。「ライターちゃうんか」と言って可奈子が火を消そうとした時「消さないで。私も吸う」と言って煙草に火を点け、優衣はマッチの火を消した。「あーいい匂い」
「わからないなぁ。絶対ライターの方が便利なのに」と言ってマッチ箱を指で弾く可奈子。
煙草を一本、吸い終えて「あぁ、今日は何だか、疲れちゃった。先帰るね」と扉を閉める優衣。
「お疲れー。あっ、忘れも……の」優衣が忘れていったマッチ箱を暫く眺める可奈子、また携帯電話を触り始める。
駅前の大型ビジョンに、連続放火事件のニュースが流れ、テロップには[犯行にはマッチが使われた可能性]、[現場近くで若い女の目撃情報]の文字。それを横目に優衣は人の波をすり抜けていた。そして、その姿を見失わないよう、可奈子は後をつけた。
繁華街で直哉は、木田を待っていた。
「おう、悪りぃ悪りぃ」両手をポケットに入れた木田がやって来た。
「俺も今来たばっか」と直哉は嘘をついた。
「優衣が犯人?」
「そう! 俺はこの目で見たんだ。確かに優衣ちゃんが郵便ポストの中に火を投げ入れたんだ」木田は人差し指で、ズレた眼鏡をなおした。
「今日4月1日だったっけ?」
「いやマジなんだって! それだけじゃない。その前日の不審火の時もいたんだよ。スロットで負けた帰りだ」
「何だよ。事件の時は毎回現場にいる探偵ドラマみたいなの」
木田の携帯電話がなる。画面に[優衣ちゃん]の文字。
「噂をすれば」木田、電話をとって店外へ。「もしもーし……」店内は騒がしい。
直哉、ポケットから携帯電話を取り出し、誰かに電話をかけようとするが、木田が戻ってくる姿を見て止める。
「いやー雨降ってきたよ」
「マジで? 傘無いわ」
別れ際、木田は氣まずそうに訊いた。
「そう言えば、まだ絵、描いてるの?」
「うん。まぁ」
「そっかぁ……俺ちょっと寄ってくとこあるから、歩いて帰るわ。タクシー?」
「この雨じゃ、タクシーだな。じゃあ氣をつけて」
「またな」と言って木田は、店前の傘置きにあった見知らぬ誰かのビニール傘を盗んで、雨を凌いだ。
直哉は、人通りの少ない道へと歩いていく。空車のタクシーが停まっているが、見向きもしない。パーカーのフードをかぶり三分程立ち止まって、突然、走り出した。
古惚けたアパートが雨の中、燃えている。現場にはパトカーが数台と警察官、多数の野次馬、消防車のサイレン音が近くで響いてた。木田は駆け寄って、野次馬の人混の中に入っていき「またか」人込みから少し離れた所で優衣に電話をかけようとするが、一人の警察官が近づいてくる。
「ちょっと、君」
警察官の無線から音が出た、その瞬間に持っていた傘を投げつけ、木田は走って逃げた。
「おいっ! 待て!」
追いかける警察官の無線からは『暴行事件発生。えぇ犯人は鈍器の様な物で被害者を襲撃したと思われ、返り血を浴びていると思われる、えぇまだ犯人は近くにいるもよう。えぇ至急現場へ向かうように』の指示。
「怪しい奴だ」追うのを止め、パトカーに乗り込んだ。
雨は止んで、大きな公園に息の上がった木田はいた。「俺じゃねぇよ。犯人は若い女だって、ニュースで言ってたろ。何であいつ、俺に声掛けてきたんだよ」ポケットから何かを取り出し、ゆっくりと広げた掌の中には、パケに入った白い粉「まさかコレに氣附いた訳じゃ無いだろ」植え込みの中へ入り、周りからは死角であった芝生に寝転び「あー疲れたー。もう走れない。ってか動けない」溜息をついて目を閉じた時、二つの懐中電灯の光りが、木田の顔を照らした。
「おいっ! そこで何してる?」
「ん?」起上った目の前には二人の警察官、しかし、もう疲労で動けなかった木田の心の中に、氷が溶け崩れる音が響いた瞬間、もう全てどうなったっていい、そう思って、再び寝転び見上げた夜空には木枝や葉、霞んだ星やらがごちゃ混ぜになって、まるで直哉が描いた絵の様であった。
夜空、に見えなくもない未完成の絵がある。アトリエに入って来た直哉は雨に濡れ、上半身が返り血で染められていた。「ようやく完成だ」未完成の絵に指で、その血を塗っていく。
「あぁ、この色だよ。この色を求めていたんだ。素晴らしい」
物音を聞いた高倉が部屋に入って来て「はっ! 直哉さん、その血は……今すぐ救急車を!」と叫んだが、直哉は遮る様に「いいんだ! 大丈夫だよ……僕の血じゃないから」と言った。
「自分の血じゃないって……一体、誰の何ですか!」
「さぁ、夢中だったから、わからないな」絵は完成していた。
「その格好で帰って来たのですか?」高倉は震えている。
「かなり目立っちゃったかな。手が、勝手に動くんだ。自分の意思とは、関係無くね」血だらけの手を見て、笑った。
薄暗い部屋に、女が土足で入ってくる。女が廊下を一直線に、ベランダへ出ると風が廊下へ吹き抜けた。暗がりには、水の要らない金魚が泳いでいる。ベランダには、もう女はいない。部屋の隅に絵が置いてあり、人間が万歳をしている様に見えるが、少し不自然。ドスンと鈍い音が、ベランダの下から部屋まで響いた。絵の左上にサイン[O⊥OW∩ZIW`N]の文字。




