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第9話 壁の向こうへ

 地下水路を抜けた先は、巨大な城壁のすぐ外側……ではなく、まだ壁の内側の、見張りも少ない寂れた区画だった。

 目の前には、夜空に向かってそびえ立つ、絶望的な高さの石壁。

 これが王都を囲む外壁か。


「……ここまでか……!」


 背後からは、地下水路を追ってきた帝国兵たちの怒号と足音が迫っている。

 松明の光が通路の奥で揺らめいているのが見えた。

 もう時間がない。


(どうする……!? この壁を越えなければ……!)

 

 王女の思考にも焦りの色が濃い。

 

 壁を……越える……?


 無茶だ、と頭では分かっている。

 この高さ、この厚みの壁を、しかも人間二人を道連れにしてテレポートするなんて。

 今までだって、自分一人で壁を透過するのは相当な集中力とエネルギーを要したんだ。

 三人同時なんて、限界を超えている。


 だが……やるしかないのか。


 俺は、隣に立つ王女と侍女を見た。

 二人とも、覚悟を決めた目で俺を見ている。

 俺の力に、俺たちの未来を託している。


「……しっかり掴まってろ」


 俺は日本語で短く告げると、二人の腕を掴んだ。

 二人分の体温が、俺の冷え始めた身体には少しだけ温かく感じた。


 深く、息を吸い込む。

 全身の神経を、残された力の全てを、一点に集中させる。

 目の前の巨大な壁……その向こう側にあるはずの『外』の世界を、強くイメージする。


 空間が、軋む。視界が、歪む。


 「行け……っ!!」


 俺は叫ぶと同時に、テレポーテーションを発動させた。


 世界が、光と闇の奔流に飲み込まれる。

 身体が原子レベルまで分解され、再構築されるような、あの独特の浮遊感。

 だが、今回は違う。

 三人分の質量と、巨大な城壁という障害物。

 空間を捻じ曲げる負荷が、俺の精神と肉体を限界以上に蝕んでいく。


 脳が焼き切れそうだ。血管が凍りつきそうだ。

 意識が……遠の……。


 ――ドン!


 鈍い衝撃と共に、俺たちは硬い地面の上に叩きつけられた。


「……はぁ……はぁ……っ……」


 成功……したのか……?

 薄目を開けると、目の前には鬱蒼とした森が広がっていた。

 月明かりが木々の隙間から差し込んでいる。

 背後には、もうあの巨大な城壁はない。


 壁を……越えたんだ……。


 安堵した瞬間、俺の身体から完全に力が抜けた。

 ガクンと膝が折れ、そのまま地面に倒れ込む。

 寒い。身体の芯から凍えるように寒い。

 指先は感覚がなくなり、吐く息が白く見えた。

 能力の代償……限界を超えた反動が、一気に襲ってきた。


『……しっかりして!』


 王女が、悲鳴のような声(異世界語だ)を上げて俺に駆け寄ってきた。

 彼女は俺の身体を抱き起こすと、自分のマントで俺を包み込み、必死に温めようとしてくれる。

 その紫の瞳には、涙が浮かんでいた。


(死なないで……! お願い……!)


 彼女の必死な思考が、途切れかけた俺の意識に流れ込んでくる。


 侍女は、短剣を抜いて周囲を警戒している。

 その冷静な横顔だけが、ここがまだ安全ではないことを示していた。


 王女の温かさを感じながら、俺の意識は急速に闇へと沈んでいった。

 それでも……最後に思ったのは、不思議な達成感だった。


 俺は……自分の意志で、壁を越えたんだ……。

 

 ◇


 意識が浮上した時、俺は森の中にいた。

 木々の隙間から差し込む朝の光が眩しい。

 どうやらいつの間にか夜が明けたらしい。

 身体を動かそうとすると、芯に残るような疲労感があったが、あの凍えるような寒さは消えていた。


『……気がつきましたか?』


 すぐそばから、心配そうな声(思考)が聞こえた。

 見上げると、王女様が俺の顔を覗き込んでいた。

 彼女の顔にも疲労の色は濃いが、俺が意識を取り戻したことに安堵したような表情を浮かべている。

 

 反対側からは、侍女が俺の腕を支えてくれていた。

 彼女は相変わらず無表情に近いが、その視線は常に周囲に向けられ、警戒を怠っていない。


 どうやら、俺が意識を失っている間、この二人が交代で俺を運びながら、森の中を進んでくれていたらしい。


「……ああ、なんとか……」


 俺は掠れた声で、日本語で答えた。

 もちろん、彼女たちには通じないだろうが。


『無理はしないでください。もう少し行けば、小さな村があるはずです。そこで休息を……』

 

 王女様が、身振りを交えながら、俺を気遣うように何かを伝えてくる。

 その思考からは、俺への心配と共に、追手から逃げ切れたかもしれないという、わずかな希望も感じ取れた。


 森の空気は澄んでいて、土と草の匂いが心地よかった。

 鳥の声も聞こえる。王都の喧騒や、地下水路の悪臭とは大違いだ。


 俺は、自分を支えてくれる二人の存在を改めて意識した。

 王女と、侍女。立場も、育ってきた世界も違う。

 言葉だって通じない。

 だが、俺たちは共に王都を脱出し、今、ここにいる。


 俺はもう、一人じゃない……?


 そんな考えが頭をよぎった、その時だった。


(……今の音は……?)


 侍女が鋭く顔を上げ、森の奥……俺たちが向かっている方角へと視線を向けた。


 俺の耳にも、そしてテレパシーにも、微かに何かが届いた。

 風の音じゃない。鳥の声でもない。

 遠くから聞こえる、甲高い……悲鳴のような音?


 そして、森の空気が変わった。

 さっきまでの穏やかな朝の気配が消え、代わりに、獣のような……いや、もっと異様で、不吉な気配が漂い始めた。

 木々が不自然にざわめき、地面が微かに震えているような気もする。


(……まさか……魔獣……!? なぜこんなところに……!?)


 侍女の思考に、焦りと強い警戒が浮かぶ。


(村が……! 早く行かないと……!)

 

 王女の思考にも、新たな危機への恐怖と、見知らぬ村人への心配が混じる。


 俺は、二人を支えからそっと離し、自分の足で大地を踏みしめた。

 まだ完全じゃない。

 だが、動ける。


 俺は、悲鳴が聞こえる方角……森の奥を睨み据えた。

 灰色の俺の瞳が、内側から湧き上がる新たな意志に応えるように、静かに、しかし強く、青白い光を帯び始める。


 逃げるだけじゃない。

 利用されるだけでもない。


 俺たちの、本当の異世界での冒険は、どうやらここから始まるらしい。


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