第5話 蛇の舌
あの後、王女様は複雑な表情を残して部屋を出て行ったきり、しばらく顔を見せなかった。
俺と彼女の間に生まれた、言葉にならない奇妙な共鳴。
それが何かを変えたのか、それとも気まずさを生んだだけなのか……俺にはまだ分からなかった。
そして、数日たったある日、侍女がいつもより険しい表情で部屋に戻ってきた。
彼女は普段の侍女服ではなく、動きやすそうな地味な色合いの旅装束のようなものを着ていた。
どこかへ偵察にでも行っていたのだろう。
侍女は、ちょうど部屋を訪れていたらしい銀髪の王女の前に進み出ると、淡々とした、しかしどこか硬い声で口を開き、何か名前のようなものを呼んだ。
俺はベッドに腰掛けたまま、黙ってその様子を見守る。
どうせ俺に話しかけているわけじゃないし、言葉も分からない。
だが、侍女の思考の断片や、彼女が纏う緊張した雰囲気から、良くない知らせであることは察しがついた。
王女は、侍女に報告を促すように頷いた。
侍女は、王宮の謁見の間で行われた出来事を語り始めた。
俺には言葉の意味は分からないが、侍女の思考や感情の波、そしてそれを聞く王女様の表情の変化から、おおよその内容は読み取れた。
どうやら、ガイスト帝国とかいう隣の大国から、特使がやってきたらしい。
侍女の思考によれば、その特使は「痩身で、蛇のように粘つく視線をした男」だったそうだ。
その蛇みたいな特使は、ヘラルド王国の国王――つまり、王女の父親――に対して、非常に慇懃な態度で、ある要求を突きつけてきたという。
(……異界より現れた『客人』の身柄を、帝国にて『保護』させていただきたい、と……)
侍女の思考が、俺にもはっきりと伝わってくる。
侍女の報告(と俺が読み取る思考)は続く。
特使は表向き「異界の知識の共有」だの「平和利用の研究協力」だの、耳障りのいい言葉を並べていたらしいが、その実、俺の力を狙っているのは明白だった、と。
謁見の間にいた貴族たちは、大国であるガイスト帝国の要求に明らかに動揺し、国王に早期の対応を迫るような雰囲気だったらしい。
ヘラルド王国にとって、ガイスト帝国はそれだけ厄介な相手ということか。
(あの臆病者どもめ……!)
王女の思考に、怒りと侮蔑の色が浮かぶ。
彼女はギリッと唇を噛みしめていた。
王女が、かろうじて平静を装った声で侍女に何かを尋ねた。
侍女は一瞬だけ視線を伏せ、そして再び王女を見据えて答えた。
その報告内容は、俺にとっても、そして王女にとっても、最悪の展開を示唆するものだった……。