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習作  作者: 深草みどり
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ドアノブになった話

 月に一度皮膚科に通っている。大通りに面した開業医の病院でブラインドの下りた大きな窓がいくつもあり開放感のある建物だった。エントランスのドアも中が見えるようになっており、金属の枠にワイヤーで強化されたガラスをはめ込まれていた。ドアノブは銀色をした円柱型で触るといつもひんやりとした。


 ある晩、僕は皮膚科に行く夢を見た。

 平日なのか、休日なのかはわからない。ただ空は明るかった。気がつくと僕は皮膚科のエントランスに立っていた。目の前にはガラスのドア。僕は右手を差し出しドアノブに手をかけた。金属の冷たさが指の神経を通って背骨の辺りまで走る。思わず手を離そうとしたが、ドアノブが糊のように柔らかくなり僕の手を離さない。無機物だった金属の筒が、突然有機物になった。ドアノブはさらに円筒形のまま冷蔵庫で冷やしたマシュマロのようになり、うにゅっ、と僕の手を飲み込んだ。逃げだそうと足を踏ん張ってみるが、いっこうに手は離れない。それどころか僕の身体はどんどんドアノブに吸い込まれていった。まず手が、次に手首、前腕、肘、二の腕。肩の辺りまで来たとき、ドア枠が大きく広がったような気がした。目の前が暗転し、次に光が見えた時、僕はドアになっていた。


 ガラスのドアは便利だ。内側から外側が、外側から内側を確認することができる。内から外の様子がうかがえるし、外から内にどれだけ人がいるかもわかる。僕もガラスドアになったので、どういう理屈かわからないが皮膚科の内側と外側を同時に見ることができるようになった。顔の前と後ろに目が出来た感覚だ。目は二つずつあるらしく、ちゃんと距離感も掴める。

しばらくすると患者がやってきた。僕だ。ドアになった僕とは違う、人間の僕だ。僕はドアノブに手をかけると、金属の冷たさに少しだけ眉をしかめ、勢いよくドアを開けた。エントランスのセンサーが反応し、院内に軽やかなチャイムが鳴る。僕は受付に行き、そこで診察券を取り出して受付の女性に手渡した。

「九時三十分に予約した……です」

僕が名前を名乗る声がした。感覚的には後ろから聞こえてくるが、その様子はしっかりと見えている。

「診察券をお預かりします。最近風邪の症状や発熱はありませんでしたか?」

「大丈夫です」

「では待合室でお待ちください。順番が来たらお呼びします」

 人間の僕は受付に目礼し、待合室のソファに座った。既に数人の先客がいる。僕はスマートフォンを取り出す。いつも通りなら好きなニュースサイトでも見ているのだろう。あるいは平日なら仕事のメールかもしれない。

 それから何人かの患者が来た。年齢や性別、身長が違うのでドアを開けるときにドアノブを触る場所が違う。年を取った女性はノブの下を持ってゆっくりと開ける。ガラスと金属でできたドアは重そうだ。三十代くらいの男性は上の方を掴むと勢いよく開ける。ドアの金属枠の部分がゴム製のドアストッパーにぶつかり小さな軋み音を上げた。母親に連れられた未就学児の男の子は飲みかけのオレンジジュースが少しかかった小さな手でノブを握った。オレンジの酸でステンレス製のドアノブがわずかに傷んだ気がした。

 病院の前を車が通る。その姿がドアのガラス部分に映っている。理屈はわからないが赤い車が映ると少しだけ気分が上向く。逆に大型トラックは苦手だ。トラックが土おると振動でドアが細かく震えた。中央のガラス部分と枠の金属部分、そしてドアノブが着いているあたりで異なる素材同士がぶつかり合い人間の目には見えない小さな傷を増やしていく。

 待合室に僕の名字の音が響いた。僕の診察の番だ。人間の僕が診察室に入る。ドアになった僕からは中の様子はわからない。いつも通りなら胸に出来た良性の腫瘍の経過観察で終るはずだ。三分ほどで僕は出てきた。その表情は嬉しくもなく悲しくもない。腫瘍が悪化したといった悪いニュースはなさそうだ。

待合室に戻って数分で受付に呼ばれる。人間の僕は会計を済ませ、領収書と処方箋を鞄に収めるとドアの僕の方にやってきた。僕の手が僕に触れる。その瞬間、僕の意識はドアから離れ、人間の僕と一つになった。ほぼ三百六十度見えていた視界は前だけになった。振り返るとドアがゆっくりと閉まるところだった。

 何か言おうと口を開こうとしたが、そこで目が覚めて夢だとわかった。


 しばらくして皮膚科に行くとノブ付きのガラスドアは自動ドアに改装されていた。

その自動ドアを潜る度に僕の頭はあの夢を思い出す。ひんやりとしたドアノブの手触り、病院の中と外を同時に見る不思議な感覚。あの夢に意味を見いだすのなら、たぶんあのドアが僕にお別れを言ってくれたのだと思う。

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