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商店街の飯屋

作者: 朔雪 令月
掲載日:2024/08/05


「さて、今日は何をするかな……」


 日曜日の朝。特に予定があるわけではないが、家にいるのも何となく勿体なく感じる、暖かな陽光が窓から部屋に入る。

 行きつけの店があるわけでもなく、やるべき事もない人間というのは、こういう事に厄介だ。


 何処かに行きたいと言いながらも身体が行動を起こすことは無く、気が付くと太陽が別れを告げている。

 そうして迎えた夜に食べる夕食は心なしか味が薄いのだ。

 そんな空虚な食事を避けるためにも何かをするべきだ。そう決意して家を出てみる。


 三月初旬。少しの肌寒さも上着を羽織っていれば気にならない春の兆しを感じる季節。

 とりあえず懐をまさぐり、取り出したる財布と相談会。


 その時、腹から空腹の訴えが響く。

 どうやら考えるまでもなく、ご飯を食べることになりそうだ。

 隣町のショッピングモールに向かえばフードコートの類がいくらでもある訳だが、どうせ誰かと遊ぶ時に田舎者たる我々が向かうのは決まり事のようなものだ。

 現に先週はそこで全国チェーンの牛丼を食べたのを覚えている。

 で、あれば今回は敢えて背を向けて、地元の商店街へ行ってみるのはアリかもしれない。

 手狭な個人経営の定食屋に発見があれば己の幸運を喜び、無くてもお腹が満たされて問題解決。

 そう考え、駅前の商店街へと足を運んだ。


 ――子供の頃、親と一緒に行った上野の商店街は、流石東京というだけあって熱狂にもやや似た活気があった。

 行く人を片っ端から投網漁のように見境なく声を掛けるキャッチ。

 染めた金髪とピアスを揺らして服の宣伝をする店番。

 道を歩く人間も老若男女に白人黒人黄色人と混ぜこぜになって歩くさまは、流石一千万人都市だと驚いたのを覚えている。


 ……で、僕がいるのは名を告げた所で聞き返されるような十万人都市。

 若者が絶滅危惧種とされた農村部よりかは多いものの、東京から見れば五十歩百歩、月とスッポン。


 商店街の半分はシャッター街で、メインストリートには無駄に歴史を重ねた和菓子処と文房具店が顔役の小さな町だ。

 食事処を探すどころか、そもそも存在しないのではないか……と思いながら端まで歩くと、個人経営の小さな病院を挟み、二つの飲食店があることが分かった。


 一つ目はラーメン屋。掠れているものの赤い背景に白抜き文字で書かれた「中華蕎麦」の暖簾は未だ営業していることをささやかに主張していた。

 店を見て思い出した。ローカル誌ではあるが、オススメの店として紹介されていた。

 ただ一点の懸念を除き、きっと良い体験になると想像できる。

 その懸念は、もう一つの丼物屋にある。


 そこは中華蕎麦屋のような紹介があるわけではなく、暖簾も藍染めされた枯草模様が掛かっただけのシンプルな店だった。

 しかし、店内から溢れんばかりに漂う肉の香りが鼻を撫でるたびに足が引っ張られるのである。

 しかも、店前には数人ながら列が形成されている。


 ご老人が溜まる幾つかの店を除いて開店休業かシャッターが下りているこの商店街において、人が並んでいるというのは極めて異例と言っていいだろう。


 衝動が推奨する丼物屋か、確実な評価を知っているラーメン屋か。

 五分足らずの長考を経て、最終的に丼物屋の最後尾に並んだ。

 折角だ、何も知らない方が面白いだろうという浅はかな考えであったが、列に立っていると程よい緊張が快く、期待感を煽られる。

 回転率が良いのか、思ったよりも早く店内に入る事が出来た。


 空いていたのはカウンター席。店内の古くはあっても清潔感のある雰囲気からも丁寧に使われている事が分かる。

 外に並んでいるときから親子丼が気になっていた。

 値段が財布に優しいのもあるが、それ以上に写真に写っていた卵の鮮やかな黄色が気になっていた。

 厨房にいる若い男に注文を告げるとテキパキと動き、すぐに親子丼が机の上に届いた。


 写真通りの鮮やかな色合いと、だしの香りが食欲をそそる。

 口に含むと柔らかな食感が口に広がり、卵だけでも十分に楽しめる味わいだ。

 味がやや濃口で、脂っこさを感じたものの、十分な良い出来であると素直に思えた。

 食べ終える頃には腹八分になった。


 店を出て、帰路を確認していると胸元が震えた。

 電話だ。


「もしもし?」

「おう、今どこだ?」


 聞きなれた友人の声だった。


「今商店街だな。飯食いに来た」

「丁度良かった、頼み事していいか?」


 商店街で頼み事…買ってほしい物でもあるのだろうか?


「いいぞ」

「今読んでる雑誌にラーメン特集があってよ、一軒だけその商店街が乗ってんだよ」

「……もしかしてローカル誌のやつ?」

「そうそう。そこのラーメン屋で醤油ラーメン食べた感想教えてくれ」


 脳裏には先程の親子丼がよぎる。

 幸せな油分によって胃は既に足ることを知っている。

 今が丁度良いのだ。これ以上は不要。

 そう思い断りを告げようと思ったのだが、


「……あー、悪いんだが昼はもう――」

「食レポ代千円だす」

「任しとけ」


 反射的に答え、通話を切る。

 しまった。金に釣られてつい答えてしまったが、既に腹はそれなりに満足している。

 己が金欠で無ければ堂々と断れたものを。

 貧乏とは、己の心を貧しくするものなのだろうか……。


 うっかりとはいえ答えた以上、やらないという訳には行かない。

 少し体操をして、せめての気持ちだけでもと食べ物を胃の奥に押し込み、二つ隣の赤い暖簾をくぐった。


「らっしゃーせー」


 さっきの店よりももう一回り年季の入った建物はやや薄暗かった。

 壁のメニューは手書きで書かれており、醤油ラーメンを基本としてトッピングが選べるようだ。

 大変残念なことに半ラーメンの類は存在しなかった。

 ……僕は覚悟を決めた。


「醤油ラーメン一つ」

「あいよ」


 店主が手早く麺を鍋に入れる。

 物が最小限に留めているからなのか、不思議とこざっぱりとした印象を抱く。

 賑やかさ、華やかさをまとった雰囲気の丼物屋とはある意味真逆だ。

 カウンター式のこの店は、どうしても店主の存在を意識してしまう。

 丼物屋で読み終えたニュース記事を見返す気にもならず、声をかけた。


「向こうの丼物屋、繁盛してましたね」

「ああ、そうでしたか……それはなにより」


 店主は含み笑いを込めた返事をした。理由を聞く前に、続きを打ち明けた。


「あれはね、弟がやってるんです」


 元々、ここは父がやっていたラーメン屋であり、長男の彼が後を継いだらしい。

 弟もしばらくは一緒に働いていたが、後継ぎが居らず閉店しようとしていた丼物屋を譲り受け、今の店を始めたそうだ。


「俺は頑固者の親父のせいでラーメンしか作り方を知らなくてな。気付けば今度は俺が頑固者だ……ラーメン、お待ち」


 ラーメンは汁が澄んでいて、儚い美しさがあった。

 口に含むとさっぱりとした品の良さがある。

 毎日来ても飽きることのないその風味は、近隣で働いている人のためだろうか。

 心が温まる不器用な味を感じた。


 ――だからこそ、困った。


 腹がいっぱいなのである。

 店主の目もある手前、頼んでおいて残す真似はしたくない。

 実際、味も良いのだ。胃に隙間があれば、押し込んででも食べきりたい。

 取り放題のレジ袋のごとく胃腸を押し広げ、その隙間に麺を入れ込む。

 己の首を境として、こうも幸福度が変化するものか。

 体内の風船を割らないように丁寧に食べていたせいで、終盤では麺が伸びてしまった。

 苦悶の表情を仮面の元に隠し、席を立つ。


「本当に旨かった。ごちそうさま」

「おう。良かったらまた来てくれ」


 引き戸をくぐり、閉める。

 途端、ピンと張った背筋が歪む。

 一時の幸せの代償と言わんばかりに、胃が存在を主張する。


「痛い……しかも、気持ちも悪い」


 幸い、すぐ隣の病院は都合良く内科であった。

 苦痛に耐え、硝子の自動ドアを通り抜ける。


 実は僕は、病院が嫌いである。注射とか待ち時間とか幾つか理由があるのだが、一番はこれ。

 鼻にツンと刺さる、湿布の臭い。

 特に体調が悪い時に香る刺激臭は、思わず医師を恨む程に嫌いなのだ。

 小さく賑やかな待合室で胃の内容物を身体に縛り付けていると、処置室に案内された。


「どうぞお掛けください」


 中では、顔に十分な皺を刻んだ老医師が先に座っていた。

 熟練の手慣れた診断ではあるのだが、年のせいか手の進みが悪い。

 そして、老医師の白衣から漏れ出す湿布の匂いがお腹に針をあてがうような刺激を加える。

 虚空を仰ぐようにしてその時を待っていると、診断を頂いた。


「食べ過ぎですね」


 知ってます。


「油っ気のあるものでも食べましたか?」

「ええと…隣のお店で親子丼とラーメンを」


 うめき声の代わりに正直な申告をすると、老医師は目を開いて笑い出した。


 なんて失礼な爺さんだ、なんなら目の前で本当に二つとも食べたことを証明してくれようか……と考えていたら殺気を読まれたか、理由を打ち明けた。

「実はその店は、儂の孫たちの店なのです」


先ほど聞いたような話に面食らい、吐き気も忘れて続きを促す。


「息子は子供の頃から大の病院嫌いでしてな。診察の後にご褒美だとラーメンを与えていたら医師よりもラーメンに興味を持ったようで……一時は東京に店を構えていた時もあったようです」


 自らを「頑固者」と名乗った彼のことだ。恐らく父の製法をしっかり今も守り続けているのだろう。

 東京で勝負に出した味を地元でその息子が引き継いでいる事実に、ただ驚愕だった。


「まぁ、お陰様で僕が死んだら医者は廃業ですがね。跡取りもいませんし」

「ははは……」


 どうして年を取ると周りのウケない自虐ネタが増えるのかは、永遠の謎だ。

 さっきの感動で話を締めれば良かったのに。


「お薬出しておきますね。お大事に」


 適当に寄った薬局で出してもらった胃腸薬を片手に家に戻る。

 夜になると、友人から電話が鳴った。


「商店街はどうだった?」


 商店街での記憶を辿る。

 若い男の熱のこもった親子丼。

 老いを知る男の飾りのないラーメン。

 確かな術を知る医師の迷いのない手捌き。


 その全てを総括するのならば--


「湿布の臭いが酷くて、脂っこいと思いながら食べたら麺が伸びていた」


「……何をどうしたらそんな嫌がらせのようなラーメンが出てくるんだ?」

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