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仲の悪い公爵姉妹

 

 公爵令嬢ウルミリア・ファルトネサは、その日、憔悴した面持ちの婚約者にこう告げられた。


「すまない、ウル。やはり、決定は覆らないそうだ。……我々の婚約は、解消される」


 彼の重い言葉に、ウルミリアは目を伏せる。


「……謹んで、承ります」


 頭を小さく下げると、婚約者……この国の第一王位継承権を持つ聖王陛下の嫡子、アルヴァ・クルシード殿下は、ますます悲しげに眉尻を下げた。


 普段、感情を表に出さぬよう教育されており、ウルミリアの前でだけそうした顔を見せてくれる彼にもう寄り添うことは出来ない事実に、胸の奥が針で貫かれたように痛む。


 ここクルシード聖教領国は、巨大な帝国バルザムの属国である。

 そして同時に、聖教会の総本山を擁する教皇猊下のお膝元。


 土地の面積は国というよりは、神山を背負う聖域と、森や湖を含む平野、という一領地程度の大きさ。

 だが、大聖殿を中心とした教都は、港を持つ交易街を遥かに上回る人口密度と隆盛を誇る、という非常に歪な国だった。


 この小国が曲がりなりにも独立自治権が認められているのは、そうした背景事情があるからだ。


 つまり、形ばかりの王族に与えられている権利は、ごくごく小さなもの。

 帝国への年税・関税・通行税等を含む一切の納税義務の免除、という、属国の中では破格の扱いを受けているが、それだけだ。


 だから、帝国や教会の定める法やしきたりの一つ……『クルシード国内に力の強い聖女が現れた場合、その者を王妃とする。』という決まりに。


 王族であるアルヴァも、国内貴族の一令嬢であるウルミリアも、逆らう術を持たなかった。



 ーーーそれにしたって。なぜ、相手がよりにもよってイルマなの……。



 ウルミリアは、自分の不運を呪わずにはいられなかった。

 それは多分、目の前のアルヴァも同じ気持ちだろう。


 15歳の時に教会で受ける、成人の儀式。

 一年前にその場で、ファルトネサ公爵家の庶子イルマは、未だかつてない現象をもって、聖女と認定された。


 それまで、没落した帝国伯爵家の母と同様の焦茶の髪と瞳だったイルマは、桃色の髪と紫がかった銀の瞳……この世で最も強い治癒魔術を操ることが出来る聖女として、この世に発現(・・)したのだ。


 12歳まで平民として育ち、高位貴族令嬢としてはどうにも出来が悪い、と言わざるを得ない奔放な妹。


 それがしきたりによって、いきなり『王妃になれ』と言われても、どうしたって執務関係も社交関係も教育が追いつかないのは明白だった。


 事情を説明し、問題を提示して、帝国にも教会にも異議を唱え。

 その結果、決定は覆らなかった。


 アルヴァは、光のない目で机の上に拳を握り締めて、淡々と説明を続ける。


「血を残す為、聖女の御身を守る為……それ以外の役割は必要最低限で良い、というのが、教会の意向だ。その上、他の公務に関しては……君を、側妃にして当たらせるなどというふざけた事を言う輩もいる」

「……殿下……」


 そのあまりの言い草に、ウルミリアも目眩がした。

 生まれながらの公爵令嬢であり、将来の王妃として教育されてきたので、王命とあればそれを受けるに否はない。


 自分を生かしてきたのは、高度な教育を受けて恵まれた生活が出来るのは、民から分け与えられる富ゆえであると、ゆえにその力は民のために生かさねばならないと、口を酸っぱくして両親には言われてきた。


「これに関して、君には断る権利がある。私は、君が否というのなら、ファルトネサ公爵にも、父上にも文句は言わせない」

「……」


 ウルミリアは目を伏せる。


 側妃でも、この方の妻となれるなら、と、一瞬だけ考えた。

 その直後に、生意気で挑戦的で、こちらを睨みつけてくる妹の顔が脳裏にちらつく。


 これからずっと、彼女とアルヴァの顔を見て生きる。


 王妃として、尊敬する彼と添い遂げられると思っていた自分に、今後はずっと妹の陰として、彼を分け合って生きろと、言われれば。


 ーーーいえ、物事の本質はそんなところではないわね。


 ウルミリアは、思考を纏めてアルヴァを見た。


「殿下は……イルマがお嫌いですか?」


 ウルミリアの問いかけに、アルヴァは驚いたように顔を上げた。

 そしてこちらの表情を見て真意を悟ったのか、苦い笑みと共に頭を横に振る。


「いいや。君の妹で、明るい少女だ。決して、そんなことはない」

「でしたら、どうか。……あの子を愛してあげて下さい。ただ唯一として」


 ウルミリアの決断を、アルヴァは複雑そうな顔で承諾した。

 

 相手が、イルマでなければ。

 もしかしたら、ウルミリアは側妃の道を選んだかもしれない。


 だけれど。


「運命を選べないのなら、せめて。……殿下だけでも、あの子一人を慈しみ愛しんで欲しいと、そう思います」


 これから先。

 あの子は王妃として、そして聖女として、どれほどの重圧を背負わなければならないか。


 ウルミリアはそれを、痛いほどに理解していた。


 心の負担にも種類がある。

 平民の価値観が強いイルマにとって、仕事が忙しいことよりも、夫に別の愛する妻がいることの方がよほど、堪えるだろうから。


「……ウル。……いや、ウルミリア嬢。どうか、幸せに」

「ええ。殿下にも、ご多幸あらんことを、お祈り申し上げます」


 お互いに泣きそうだった。

 それが分かっていたから、最後は他人行儀に、その場を後にした。


※※※


 ーーー何で私なのよ!


 イルマは怒り狂っていた。

 自分が公爵とバルザム帝国の没落伯爵家の娘の子、だということを、イルマはたまに会う優しいおじさんが、公爵の身分と共に母の素性を明かすまで知らなかった。


 3つ歳の離れた姉がいると知ったのも、それと同時だった。

 

 完璧な、生まれながらの公爵令嬢ウルミリアは、とんでもなく綺麗な人だった。


 艶めいた銀の髪に、形の良い金の瞳。

 肌など真っ白で、小さな唇は桜色。

 

 鼻筋の通った美貌は、最初は人形かと疑ったほどで。


 ーーー殿下の婚約者は、そんなお姉様なのよ!? なのに、全然、意味わかんないっ!


 そもそものことの起こりは、ウルミリアの母である公爵夫人が、彼女を産み落として亡くなったことだった。


 万が一の時は夫と子どもをよろしくね、と体が元々弱かった夫人は、自分が一番信頼していた没落伯爵家出身の侍女……イルマの母に、そう伝えていたらしい。


 遺言に従って、イルマの母は献身的に、乳母と共にウルミリアに愛情を注ぎ、公爵を支えた。

 そんなイルマの母に、公爵家の二人が好感を覚えたのはごく当然のことで。


 イルマの母は、公爵とウルミリアから向けられる二種類の愛情は受け入れたけれど……後妻として亡くなった夫人の立場を奪うことだけは、決して受け入れなかった。

 

 懐妊したイルマの母は、市井に小さな家を借りてイルマを産み落とし、人の手を借りて自分を育てながら、公爵家に通うようになった。

 

 父の名を決して口にしなかった母は、イルマが12歳の時に眠るように息を引き取った。

 彼女の病は、早期に気づいていれば治療できる病だったのに、隠していたせいで手遅れになったのだという。


 母の意志を尊重して、イルマが平民として生きる力が得られるようにと、治安の良い地域への居住と、資金援助を受け入れる限りは口出ししなかった公爵は、ひどく後悔していた。

 

 愛する妻を二人も失った彼は、もう娘までも失いたくないと思い、イルマを公爵家で引き取ったのだ。


 一緒に暮らし始めた貴族の生活はあまり馴染まず、礼儀作法に口うるさい姉は綺麗だけど疎ましい。


『私が、お姉様みたいに完璧に出来るわけないでしょ!』


 そんな風に口論することも日常茶飯事で。

 イルマはしょっちゅう屋敷を抜け出し、住んでいた地域の教会に行くと言って、元々の友達と遊んだ。


 成人したら、職を見つけて平民として生きるつもりだった。


 なのに。


 ーーー何が聖女よ! お姉様と殿下はすごく仲がいいのに! 想い合ってるのに!!


 何度もお会いしたことのある殿下は、桃色の髪を持つ凄くカッコいい王子様だった。

 イルマなんかにも優しくて、礼儀知らずを姉に怒られても笑って許してくれる、穏やかな人。


 彼女と並ぶと憧れの王子様とお姫様そのものの二人。


 それを引き裂いたのが、イルマ。


 変わった髪色と瞳。

 それまで『礼儀知らずの平民出身』と蔑んでいた貴族たちの掌返し。


 礼儀知らずを怒りながらも、イルマを見下したりしなかった姉と違ってクソのクソみたいな連中にも辟易したし、王妃なんか冗談じゃないし、聖女とかまっぴらごめんだ。


 なのに、なのに、なのに。


「結局、王子妃になるのを辞めるのは無理でした、じゃないのよ! お父様も、王様も、教皇様もふざけんじゃないわよ!」

「不敬すぎるから、ここでそれを言うのはやめようね」


 あはは、と笑ったのは、公爵の話を聞いて飛び出した後に駆け込んだ、馴染みの教会。

 そこを若くして任されているという、グリム神父だった。


 黒髪と同色の瞳を持つ、イルマが10歳の時に赴任してきた彼は、多分20代半ばくらいだと思うんだけれど、正確な年齢は分からない。


 何せ彼は、赴任当時から全く外見が変わっていないから。

 精悍でヤンチャそうな印象の顔立ちだけれど、ニコニコと笑顔を絶やさず落ち着いた雰囲気を持っている。


「そうなんだ。結局、覆らなかったんだね」


 イルマは、変装していた。

 聖女になって初めてここに来た時に、目立ち過ぎるからとグリムが与えてくれた指輪。


 彼の人差し指にも嵌まっているそれは、髪と目の色を変えてくれる魔導具で。

 イルマに宿った聖なる力の使い方を教えてくれているのも、彼だった。


「ほんと、全部無駄だったわ……」


 王妃にふさわしくない、と思われる為に、もう平民仕草を隠さず、教育は全ブッチして、今まで以上に我儘に振る舞った一年間だったのに。


 結局姉と対立することが増えただけで、公爵は悲しそうな申し訳なさそうな目を娘たちに向けるだけ。

 アルヴァ殿下は相変わらず優しい。


 いたたまれなくて、余計に逃げた。


 花壇の端に腰掛けて、はぁ〜、と肌触りの良いスカートの膝に頭を落とす。


「もうどうしたら良いのよ……」

「聖王の血筋に、聖なる血を色濃く残すことは重要だって、皆が思っているからね」


 のほほん、とグリムが口にするのに、頭を上げたイルマは彼の顔を睨み付ける。


「慈愛と創造の女神様が、愛し合う二人を引き裂いてまで、そんなくだらないことをお望みになるわけないじゃないっ!」

「それはその通りだけどね。まぁ、権力があると責任もあるから」

「知ってるわよそれくらい! でもお姉様でいいでしょ!? 最初から婚約者はお姉様で、それは血筋をちゃんと認められてるからなんだから!」

「それも、そう。だから色々ややこしいよね」


 穏やかに笑うグリムは、全然気持ちを分かってくれてなさそうで、イルマはそっぽを向いた。


 聖教会は、精霊たちを統べる者たる〝慈愛と創造の女神〟を最高神として祀っている。

 クルシード聖教領国はそんな教会の総本山であり、大陸全土に数多くの信徒を持つ。


 ともすれば、一国以上の権力を持つ大組織だ。


 そんな聖教をバルザム帝国を含め多くの国が国教としており、女神から銀の加護を与えられた数多くの聖女を保護し、市井の人々に治癒や浄化の恩恵を施している。


 聖女はたくさんいるけれど、その中でも〝桃色の髪と銀の瞳を持つ乙女〟は、格別の存在だった。

 歴史上ほんの数人しかいない、この世に魔が蔓延る時に現れ、〝光の騎士〟と共にそれを打ち倒す存在で、つい数年前にも、近くの王国に現れて実際に魔を払ったという。


 その功績をもって大聖女に叙された女性は、しかし聖教会の庇護を拒絶し、光の騎士と添い遂げて王国で暮らしているそうだ。

 

 めちゃくちゃ幸せな結末を迎えた彼女の時代に現れた、異端。


 もう一人の〝桃色の髪と銀の瞳の乙女〟。

 それがイルマだった。


「それでも、前例のない君の存在を、神爵の血を引く聖王の妃にと望むのは、気持ちは分からないでもないよ」

「分かりたくないのよ! 私は私よ! 平民の! 昔はガキ大将してたような! 女らしさのカケラもないただのイルマなのよ! 知ってるでしょ!?」

「知ってるけど、女らしさのカケラもないことはないと思うかな」

「どこがよ!?」

「うん、近所のおかみさんとかはイルマみたいな感じだし。それもある種の女性らしさだよね」

「それ全然褒めてないじゃない!!」


 イルマがギャンギャンと吼えるのに、グリムはたじろいだ様子すら見せずに肩を震わせる。


「さっきのは冗談。君は十分に可愛らしいよ」

「そういう話をしてるんじゃないのよ!」


 聖女になってからは、貴族だけでなく、平民の皆の態度も変わってしまった。

 こっちは悪意なんかないけど、代わりにすごく遠慮するようになってしまって、話していても身の置き所がない感覚に襲われる。


 そんな中で、グリムだけは変わらなかった。


 だからむしゃくしゃした時は、抜け出してここで文句をいっぱい言う。


 イルマだって分かっているのだ。

 この国に住む以上、耳にタコが出来るくらい聞かされている。


 聖王とその一族は、初代神爵の子孫とされており、古き血筋はたっとばれているのだと。

 だから、なるべく聖なる血筋には高貴な相手を望むのだと。


 それで、銀の髪に紫がかった金の瞳を持つ姉……強い魔力を備えた公爵令嬢ウルミリアが、婚約者として選ばれていたのに。


 きっと、隣国の大聖女が教会に属していたら、姉の立場は今と同じような感じだっただろう。

 そうはならなかったのに、イルマがそれを奪ってしまったのだ。


 女神様に、力の強い聖女として選ばれたばかりに。


 そして納得いかないことは、もう一つある。


「今世には、新たな〝神爵〟猊下がいらっしゃるんでしょう!? 神爵の血筋が大事なら、もうその人に王位を譲ってあげればいいじゃない! 本人なんだから!」

「暴論だけど、正論でもあるね。……まぁ、そんな単純な話じゃないんだよ。それに、あの方自身もそれを望まれてない、と聞いてるよ」


 ーーー神爵しんしゃく


 それは女神より、聖なる祝福を授かった男性に贈られる称号である。


 あらゆる奇跡を成さしめる存在にして、地位と権力は経典法により王侯貴族や教皇猊下すらをも上回る。

 聖女を遥かに上回る数々の奇跡は、治癒術を使えば大陸全土の疫病を鎮め、浄化術を使えば魔の森も瞬時に聖域と化して恵みを与えるそうだ。


 だが歴史上、伝説を含めてもたった二人しか現れたことのない神爵は、一部では眉唾とされていた。


 ーーー当代において、現出するまでは。


 その祝福を女神に与えられるのは、人柄において慈愛、信ずるに敬虔、善を為さしめ、真なる徳を積みし者のみであると言われている。


 しかも条件がそれ以外にもあり、詳細が分からない、と。


 その希少さは、格別な〝桃色の髪と銀の瞳の乙女〟を超える、絶対的存在。


 聖女は、力の大小を含めなければ、数多い。

 が、神爵は単純な加護や祝福ではなく、女神の『寵愛』を賜る、真なる申し子なのだ。


 そんな神爵の姿は、今代においては教皇猊下以外に、誰も見たことがないらしい。


 曰く『尊い者たちの側にあり、それを眺めるのが至福』と宣ったということで、彼を誰も知らぬことが神爵猊下の望みであり、だから人前に出ないのだという。


 それも、イルマには気に入らなかった。


「こーゆー時こそ権力の使い所じゃないのっ! 愛し合う二人を引き裂く聖女や貴族どもを諌めて、添い遂げさせる重大な責任があるでしょ!? 隠れてないで出てこーい!!」

「君、本当に不敬罪で処分されそうだね」

「今、この世に二人しかいない貴重らしい聖女を殺せるもんなら殺してみなさいよーーーーーっ!!」


 そのせいで困っているので、不敬罪で結婚がなくなるなら上等だ。

 うがー! と手足をバタつかせるイルマに、グリムは楽しそうに笑った。


「確かに。そこら辺にいる暴漢の方が、君には上位の権力よりもよっぽど恐ろしいだろうね」


 ーーーどんなに自由に振る舞おうと、全部全部、無駄だったけどね!

 

 憤懣やるかたないけれど、そろそろ公爵邸に戻らないといけない。

 イルマは、愚痴を聞いてくれたグリムに礼を述べてから、重い足取りで帰路についた。

 

新作短編、2万文字弱くらいで完結予定。


いつものことながらハッピーエンドです、お付き合いよろしくお願いします。


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