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嫁ぐ前夜

作者: Eμ

 夜も更けた宮殿内の人気の無い廊下を一人の姫君が歩いていた。

 彼女はとある部屋の前に来るが中からかすかな若い女性の啜り泣く声が聞こえたため扉の前で暫し考え込み、やがて意を決し控えめに扉を叩いた。


「こんな夜更けにごめんなさい、貴女と少し話をしたくて来てしまったのだけれど中に入っても良い?」

「――その声は大姉様!? ええ、どうぞ入ってちょうだい」


 大姉様、と呼ばれた姉姫が部屋に入ると中には目を真っ赤に泣き腫らした妹姫がベッドの上に座っていた。


「あらあら、やっぱり明日この国を離れていくことが不安なの?」


 明日、異国の地に輿入れをするためこの国を離れていくことが不安で泣いているのだろうと思い、慰めるために横に座った姉姫に向かって妹姫は吐き出すように言い放った。


「ううん、違う、違うのよ! 何故私は好きでもない人と結婚しなければならないの!? ねえ、どうして!? あのミミ姉様は自分が好きになった男性と結婚できたのに、いくら母様のお気に入りの娘だからってあんまりじゃない! 私だって同じ母様から生まれた娘なのに! それを考えてたらもう悔しくて悔しくて……!」

 

 ああそうか……と、姉姫は思い返した。この妹姫はかつてとある貴公子と恋仲になったのに母に結婚を認めてもらえず、今回の自分の意に沿わぬ政略結婚をする羽目になったのだ。

 それだけならよくある国同士の政略結婚で終わったことだろう。だが、問題は妹姫の姉でもあり、大姉姫にとっては妹にも当たる「ミミ」の愛称で呼ばれる姫の存在であった。母と同じ誕生日であったためかこの「ミミ」は何人かいる姫の中では特に母から愛されており、恋愛結婚を認められたばかりか結婚に際しては莫大な持参金まで与えられたのだ。


「そうね。確かに母上のミミに対する扱いは特に甘かったわね。でもね、貴女はまだ良い方なのよ? 私は――私はこれのせいで政略結婚の駒にすらなれなくて母からとっくに見捨てられているのだから」

 病のせいで曲がってしまった背中を指さして寂しげに笑いながらそう呟く姉姫に妹姫ははっ!としてすぐに謝罪をした。


 思えばこの姉姫も可哀想な女性だ、と、妹姫は思った。やがてはこの国――いや、この国のみならず近隣諸国をも手に入れようとしているあの兄よりも優秀な頭脳の持ち主であるのに、体が弱く、また病のために背中が変形してしまったがために母や他の弟妹から侮蔑の言葉を投げつけられているのだから。

 

「あのね、私……貴女にだけは打ち明けるんだけど」


 不意に姉姫が妹姫に向かって静かに、だがはっきりとした口調で告げる。


「明日、貴女がこの国を出たら母様に修道院に行きたいと言うつもりなの」

「大姉樣! そんな、いくらなんでもそれは!」

「いいえ、わかってるの。このままこの王宮にいても私はただの邪魔者よ。だからね、せめて民のためになることを少しでもしながら姉妹の仲で一番仲の良かった貴女の幸せを神に祈ることにしたの」


 だからどうか貴女は私の代わりに、体の不自由な私の分も思う存分自分の思うがままに生きてちょうだい。それが私の願いよ――それだけ言うと姉姫は妹姫の部屋から去って行った。そしてこれが姉と妹が最後に交わす会話となったのである。


 翌朝、西暦1769年の某日


 偉大なるオーストリアの女帝マリア・テレジアの第六皇女として生まれ、恋愛結婚を許されずに反抗的に接してきたために実の母親から「厄介者」と罵られながら育ってきたマリア・アマーリアは政略結婚の駒としてパルマ公フェルディナンドの元へ嫁ぐために故国を去った。

 後にパルマ公妃となったマリア・アマーリアは望まぬ結婚であったため夫婦仲はよくなかったが七人の子供をもうけた後1804年に58歳で亡くなることとなる。そしてその生き方はあの日姉と語ったように自分の思うままに自由なものであった。


 そして大姉様と呼ばれ、異国に嫁いでいく妹を一人静かに見送った第二皇女マリア・アンナは妹に語った通りエリザベート修道院に入ることを母親のマリア・テレジアに申し出る。

 あえてあまり条件のよくない修道院入りを望む娘にマリア・テレジアは難色を示すが、その母が亡くなるとすぐに優秀な姉である彼女を「せむしの皇女」と呼び忌み嫌っていた弟皇ヨーゼフ2世によって宮廷を追い出され、1781年にようやく修道院そばの城館に住むこととなった。

 こちらの姫君もあの日妹と語ったように民のためへの活動と神への祈りの日々を過ごし、1789年に地元の民衆に愛され惜しまれつつ51歳で亡くなることとなる。


 ちなみにもう一人の母親から特別に愛された娘――「ミミ」こと第四皇女のマリア・クリスティーナであるが、こちらは恋愛結婚した相手との間に子供をもうけることが出来ず母のマリア・テレジアの死後はオーストリア大公である兄ヨーゼフ2世からも冷遇されたとのことである。


<了>

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