5話
それからは盲導犬訓練の授業が何日も行われた。しかし彼女たちにとって基本的な服従訓練でさえ困難を極めた。
服従訓練とは、カム、シット、ダウン、ウェイトの命令である。意味はそれぞれ、来い、座れ、伏せ、待てだ。
全員がその服従訓練を何とか終えて、本格的な歩行訓練に入った頃のことである。
「コラッ! そうじゃないって言ってるだろう!」
火口の怒鳴り声が響いたかと思えば、続いて犬の悲鳴のような鳴き声が響く。
「火口っ! 犬を叩いて怒るなって言ってるだろう!」
現場を見ていなかったものの、俺は状況を察して火口を叱る。彼女はそのメンタルの弱さから、少しのストレスでも堪えきれないことが多々ある。その時はこうやって、犬に当たってしまうのだ。
「なあ先生。この子はあまりにも言うことを聞かないから、私も叩いて躾けようと思う。良いだろう? だって死刑制度も、同じようなものだからね」
「死刑制度は廃止されたんだ。だから叩いて躾けることも廃止だ、黒ノ」
俺は黒ノの言うことを軽くいなした。黒ノの生意気な言動には、俺もかなり慣れたものだ。
一方で黒ノは、意外にも苦戦していた。頭が良くて何事も上手くやる印象の彼女だが、どうも自分が担当する犬を物扱いする傾向にあるようだ。犬もそれを敏感に感じ取っているようである。犬が言うことを聞いているのは、犬は飼い主の気を遣う生き物なので、犬の方が気を利かせているのかも知れない。
三人の中で、一番犬と上手くやっているのは水卜だろう。彼女はきちんと動物を可愛いと思える感情があるし、その感情に素直だ。犬も飼い主の気持ちを良く察して、安心して懐いている。順調に信頼関係を築けている。
「水卜。調子はどうだ……」
俺はそう言って、視線を水卜の方に移す。その時であった。
「ちょっと、汚いじゃないっ!」
水卜の叫びに似た怒鳴り声が響いた。続いて、ガタンと大きな物と物とがぶつかったような音が響いた。そして最後に、キャウンと犬の悲鳴が響く。
俺は丁度その様子を目撃してしまう。犬が水卜の膝あたりにおしっこをまき散らしてしまい、そのことが彼女を激昂させた。怒りに狂った彼女は、教室の椅子を犬にぶつけてしまったのだ。
「おい、水卜!」
俺は叫んで犬の方に駆け寄る。椅子は犬の腹部付近にぶつかったようだ。血反吐を吐いて、ビクビクと痙攣している。
「水卜! 何を考えている!」
俺は再度、水卜を見て怒鳴った。
「い、いや……私は……」
水卜は動揺していた。意外である。どうせ開き直っているかと思っていたのだが。水卜は犬と最も上手に信頼関係を築けていただけに、自分のしでかした事による結果にショックを受けたのだろう。
「大丈夫ですかっ!」
状況を見ていた監視役である石垣がすぐに駆けつけた。他の監視役は水卜を取り押さえる。
「彼女の拘束は必要ありません。それより石垣さん、すぐに動物病院に連絡を」
俺は指示をしながら、犬のケアをする。犬はぐったりとしながら、クーン、クーンと弱々しく鳴いている。可哀想に、辛そうだ。
「あ、あの。私は……」
水卜が俺に話しかける。
「本当にお前たちは、人にも動物にも迷惑を掛けやがる」
俺は怒りに任せて、水卜に振り向いた。
「これでこの子が死んでみろ。お前を絶対に許さないぞ」
その後、すぐに犬は動物病院に運ばれた。数時間の処置が行われ、何とか一命を取り留めたのであった。




