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小さな世界

作者: ICHIKO

さきはいつも小学校から帰るとマンショの敷地内にある駐輪場を覗いて、定位置に兄の自転車がないか確認するのが日課であった。

兄の自転車のマウンテンバイクがいつものところにあると、さきは足元から崩れるような絶望感と動悸、そしてお腹の痛みを感じずにはいられなかった。


お母さんが仕事から帰ってくるのは19時を少し回ってから、今は学校が終わって15:30くらいだから3、4時間、兄と顔を合わせなければ大丈夫。

まずランドセルを家に置きにいかないと、ランドセルを持って遊びに行けばそれが「罰」の対象になってしまう。

兄はいつも自分が正しいと思っていて自分の法の中でさきを罰していた。

歩くときの足音は「マンションの階下の住人に迷惑だと」叱りつけ、自分は床が抜けるような足音を立てて歩いた。友人に電話をかければ「夜分遅くに申し訳ありません」と一言つけるのが常識だと小学一年生のさきを叱りつけた。ちゃんとしろと殴った。


兄がさきを殴りはじめ、罵倒を始めたきっかけはハッキリと分からないが、両親が離婚をした頃ではないかとさきは記憶している。

さきが5歳の頃に両親は離婚した。

さきを含めた兄弟は母に引き取られた。

当然だが母は朝から晩まで仕事をし、子どもを育てていた。

だからいつの間にか、さきと弟の躾は兄が担う事が多かった。(担う、というよりは兄が勝手に「使命」としていただけで、実際は誰からも強制されていないのだ。)

兄は13歳、さきは8歳、弟はまだ5歳だった。

親のいない、子どもだけの家など無法地帯になるのが常で、その中でも年上から年下の兄弟に強いられる精神的、肉体的いじめは、もはや虐待に近いものがある。

さきの家も例外ではなく、母がいない日の家はさきにとって地獄そのものだった。

だからこそ、さきは先述した通り「家に兄がいないか」を確認するために駐輪場を覗いてから帰るのだ。


鍵の音がしないようにゆっくりと開錠して、ゆっくりドアを開ける。それでも安いアパートだから小さな音がなる。その小さな音にさきは心臓が止まりそうなほど緊張をする。

足音を立てないように兄の部屋の前を通過しようとしたとき部屋の中から

「おい」と声をかけられた。

ああ、今日はもうダメだ。さきはここで1度諦める。無視をしてランドセルを部屋に置きに行けば兄は追いかけてきて「無視をしたこと」に対して罰として殴ってくるだろう。しかし無視をせずに相手にすると今度は自分の要求を押し付けてくる。さきは迷った挙句、殴られたくなくて小さな声で返事をした。


「はい」

「お前ぇ、帰ってきたら「ただいま」くらい言えよ。」

「ただいま」

「本当バカだな、今じゃねえよ」

「はい」


高圧的な物言いに、さきはただ時間が過ぎるのを待った。


「お前どっか行くのかよ」

「友だちと、公園に…」

「じゃあ時間あるだろ。俺の部屋掃除しとけよ。洗濯物はちゃんと畳んでタンスに入れとけ、掃除は物をどけてからやれよ、本やCDを壊したら承知しないからな」

「なんで、わたしが…」

「口答えしてんじゃねぇよ、やれって言われたらやんだよ」


さきは今出かけることを伝えたのに、自分の事しか言わない兄に辟易した。しかも兄の部屋は1週間毎に掃除機をかけて雑巾で床も拭いているのにすぐにゴミ屋敷のように汚れる。さきはもう一度諦めた。

さっさと終わらせてしまおう。そう思った瞬間頭に鈍い痛みが走る。


「何嫌そうな顔してんだよ」


痛くて痛くて涙が溢れる。

でも、泣けばもっと殴られる。ここには誰も自分を助けてくれる人はいないのだから。

涙をぐっと堪えて「そんなことないよ」とだけ言うとさきは頭を小突かれながらランドセルを自分の部屋に置きに行った。


兄の部屋はCDアルバムや漫画雑誌などが散乱していて、正直、足の踏み場もない。さきは考えられる範囲で物を避たり重ねたりしまったりとどうにか床が見えてきて人1人過ごせるスペースを作った。掃除機をかけて床を拭き、洗濯物は畳んで衣装ケースへしまう。

これだけやったのだからもういいだろうと思い、出かける準備のため自分の部屋に戻ると「さき!さきお前ちょっと来い!!」と兄が怒鳴る声がきこえた。

この怒鳴り声を聞くとさきは身体中の血管が凍ったような感覚になる。

何かミスをしたのか、ちゃんと言われたようにやったはずなのに…


部屋へ行くとやはり兄は怒っていた。

「お前、これなんだよ。何やってんだバカが!」と怒鳴られる。

なんのことかと思ってみるとコンポの上にケースに入っていないCDが置いてあった。元々ケースがなかったから傷がつかないようにディスクを逆さにしておいていたのだが、それが良くなかった。


「傷ついたらどうすんだよ、本当使えねえな!」と殴られる。

そもそもケースがない状態でCDを床に置いていたのは誰だとか、なんなら掃除なんて自分でやれよ、とか色んな言葉や反論はあったが、それを口にすれば、さらに殴られることを知っていたので、さきは小さな声で「ごめんなさい」と伝えた。

謝ったことで満足したのか、兄は「今回は許してやる」と寛大な様子を見せながら、さきの頭を小突いた。


「いつまでいんだよ、出てけよ」


呼びつけておいて今度は出ていけとは勝手な物だなと思ったが兄と一緒にいるのは耐えられないと思い部屋を出て行こうとした瞬間「ラーメン作ってこいよ」兄の言葉が続く。

断れば殴られる。さきはわかったと返事をして台所に向かった。

時間を見ると17時近かった。

鍋に水を入れて、コンロに火をつけ、ネギを切る。小2のさきにはキッチンは少し高いが作るだけなら不便はなく時計を見ながら袋麺を作る。

出来上がって兄に伝えると「ネギ入れたか、卵は入れたか」と、念入りに聞かれた、全て入っていることを伝えた。

作ったさきに感謝することもなければひと口分けることもなく、スープまで飲み干す。クチを開いたかと思ったら「皿を洗っておけ」というまたもや命令で、ここまでくるとさきは感情すら動かなくなっていた。

さすがに17時を過ぎてしまっては公園に行くなどできはしない。

あとは母親が帰宅するまで静かに息を殺して時間が過ぎるのを待つより他なかった。

この小さな世界では力を持つ者が絶対的な支配者で抗うことができない。弱者は痛みつけられる事への恐怖でただ、従うしかない。

これを母に訴えたところで「兄弟喧嘩」として片付けられてしまい。

その後は「チクッた」と言われ更なる暴力と暴言と自分の時間を奪われる結果になることを知っているので、助けを求めることもやめた。

よく世間は「そんなになるまでどうして黙っていたの」「助けを求めればよかったんだ」と言うけれど、小学校二年生の子どもに何ができると言うのだろうか。

周りの大人は気づかなかったのか?という大人もいるが、気づいていても面倒ごとから目を逸らし、綺麗なものにしか意識がいかないのが大人だということも忘れてはいないだろうか。

全ては「何かが起きてから」動き出す。

さきは兄が食べ終わったラーメンの器を洗いながら押し殺した感情が溢れ出さないよう、ギュッとスポンジを握りしめた。

押し殺した感情が明確な「殺意」であると気づくにはまだ幼かった。

誰も助けてくれない、小さな小さな家庭という地獄。

さきにはそれが世界の全てだった。


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