プロローグ
○○空港についてすぐ、僕はDに電話をかけた。
夜10時。
もう仕事は終わっているだろうか?短いコールのあと、留守電になった。
早く、早く会いたい。
この二年、パソコンの画面ごしのDにしか会っていないのだ。金髪のさらさらヘアも、美しい緑の瞳も、いつも眉間にシワを寄せている端正な顔も、スラリと背の高い均整のとれたスタイルも。
直接会って、彼の瞳に映る僕を確認したい。
そして、思いっきりハグしたいんだ。
僕より一つ年下のDは、二年前、ダウンタウンで名の知れた少年ギャングのボスだった。
僕より全然しっかりしていて、学校には通っていなかったけど、勉強家で、あらゆる知識に精通していた。
Dはホントにすごいヤツなんだ。
反対に、二年前の僕は、何の取り柄もない、ただの日本人のガキだった。
ニューヨークのダウンタウンで、不良どもを率いて、毎日映画ばりにスリルのある日常を送っていたDとは、何の接点もない。だからDと出会えたことは、僕の人生の中で最大のラッキーだったんだ。
二年前の秋、僕は修学旅行先のニューヨークで迷子になった。
班ごとに別れて、三時間だけ自由行動をとるというスケジュールだったのだが、僕は班のみんなに頼み込んで、すこしだけ単独行動をとらせてもらった。
理由は、修学旅行の日程にあわせ、ある物をネットオークションで落札したからだ。それを取りに行くつもりだった。
場所は、班のみんながいる所から往復でも一時間以内だったから、僕は楽勝で帰ってこれると思った。
それが甘かった。
Pocket WiFiを持って行ったので、迷子になどなり得ないと思っていたが、間違っていた。
僕は知らぬ間に、ダウンタウンのヤバい場所へと入り込んでいたのだ。
高校で国際科に通っていた僕は、一応、英語漬けの日々を送ってはいた。
が、正直、英語を話すのは苦手だった。
オンラインゲームで、同年代の外国人とジャンク英語を使って盛り上がることはできたが、おそらく発音も文法もめちゃくちゃだったろう。
だから、迷子になった時、他の人に道を尋ねるのに躊躇してしまったんだ。
迷路のようなダウンタウン、袋小路に気づいて、引き返そうと振り向いた時、いかにも柄の悪そうな、ヒスパニック系アメリカ人の少年たちに囲まれていることに気が付いた。
「やあ、もしかして観光客か?」
「迷子か」
「俺たちが案内してやるよ」
次々と声をかけてきた。
全身から、サーッと血の気のひく音が聞こえた。
「いえ…大丈夫、です」
絞り出した声は、ひっくり返って、自分でも情けないったらない。
運動全般が苦手な僕は、格闘技からは一番縁遠い人間なのだ。170センチに少し足りない身長に、体重は55キロ。
見るからに筋肉も度胸もない。
ついでにお金もないのだが、このヒスパニック系の少年たちは、いったい何を奪おうとしているのか。
「いいモン持ってるじゃないか」
ドレッドへアで図体のデカい少年が、僕の腕を掴んで言った。
僕の手に握られていたのは、一ヶ月前にバイト代をはたいて買ったiPhone。
スマホのマップ上では、「迂回してください」の文字が点滅している。
一番、迂回したいのは、僕なんだって!!
僕は心の中で叫んだ。
「今から…人に会うんで、コレがないと…。お金だったら少しは」
万が一、からまれた時に渡そうと、財布とは別に小額紙幣を胸ポケットに入れておいたのだ。
僕は胸ポケットに手をやった。
すると、ドレッドヘアとは別の、オレンジヘアで顔色の悪い案山子みたいなヤツが、僕の手をとめた。
「いいからいいから!俺たちは迷子のおまえを助けたいだけだから。どこに行きたいのか、そのスマホで確認させてくれよ、な?」
三人の少年たちはニヤニヤしながら、互いに目配せをしている。
これは、完全にやられるパターンじゃないか!
でも、スマホがないと、オークションで落札したモノを取りに行けない。絶対、渡すわけにはいかない。
自然と後ずさりした僕の背中に、乾いたビルの壁がゴツンと当たった。そんな、三人の不良と壁に囲まれ、まさに四面楚歌の僕の前に現れたのが、彼だったんだ。
「おい、おまえら、何している」
静かで、抑揚がなくて、それでも怒っているのが分かる、そんな声だった。
「ディ…D!」
そう、叫んだ三人の顔色が変わった。
明らかに焦った様子で僕からサッと離れた。
「違うんだ、D。このガキが、いや、彼が迷子になったっていうから、案内してやろうかと思って…な?」
オレンジヘアが他の2人に同意を求める。
「そうそう、ちゃあんと、親御さんのもとまで送り届けるつもりだったんだぜ」
3人が同時に僕の方を見た。
Dも僕の顔をじっと見ている。
「えっと…。僕は一人で大丈夫です、から」
なんとか、それだけ言って、僕は円満に立ち去ろうと、きびすを返した。
が、Dが僕の腕を掴む。
「マクロバンナって知ってるか?」
「え!?」
Dの質問に僕は驚いた。
だって「マクロバンナ」っていうのは、僕がオークションで落札した出品者のハンドルネームだったから。
僕は慌てて頷いた。
「あ~、やっぱり」
Dが僕の頭の先からつま先までをジロジロ見ながら、「ヤツが、この辺で日本人のガキが迷子になってるから連れてこいって言うからさ~」
彼は、さもめんどくさそうに眉をしかめて見せた。
そこで、僕は落ち着いて、初めて真正面からDの顔を見たわけだが、とにかくすごいイケメンで、スラリと背が高く、ファッションも芸能人の休日!って感じでオシャレだった。
「あの…ミスター・マクロバンナをご存じなんですか?」
「まあな~、とにかくついて来な」
Dが歩き出したので、僕は慌てて彼のあとを追いかけた。足が長いので、一歩が大きいのである。
振り向くと、さっきの不良三人組は、煙草を吸いながら、もう別の話題で盛り上がっていた。
あんなガタイのデカい不良にペコペコされるこのDって人は誰なんだ、て、その時は疑問符だらけだった。