表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

 青い空、白い雲、窓から見える木、見上げる女性、そして、白いカーテン。けれど実際に部屋にあるカーテンは、夜空のように濃い藍色をしている……はずなのに。

 カーテンは真っ白だった。レースのカーテンと二重にして、紐でまとめずに風でなびかせている。部屋に吹き込む風にふかれて、蝶が羽根を広げるように大きくたなびいていた。

 いつもは手袋をしているはずなのに。筆を握る手はなにもつけていない。

「ああ、郁ちゃん、いらっしゃい」

 ふりむくその顔に、サングラスはなかった。

「ごめんね、まだ完成してないんだ。よければ、またそこでモデルやってくれると嬉しいんだけど……」

 隔てるものなく、まっすぐに、彼は黒い瞳であたしを見ていた。その指先には、雲を描くために、白い絵の具がついている。

「嫌だったら、いいよ。そこで見ててくれるといいな」

「嫌じゃないです。やります」

 はっと我に返り、あたしはTシャツのすそに手をかけた。

「でも、間室さん、大丈夫なんですか。そんな……じかに白いもの見ちゃって」

「一日くらいなら大丈夫なんだよ。そのあと一週間はほとんど見えなくなるけどね。経験でわかってるんだ。だから絵の仕上げには、ちゃんと色を確認するために、サングラスをはずすんだよ」

 指で描くのは、そのほうが今回の絵にあう雲になるから。間室さんはそう教えてくれる。ちらりと見た絵は、最後に見たときよりもさらに繊細に描きあげられていた。女性の後ろ姿が妙になまめかしい。彼の目に、あたしの背中はこう映っていたのだろうか。

「本当に、大丈夫なんですか?」

「大丈夫だよ。大丈夫だから、大丈夫なうちに完成させて」

 あたしが窓際に立ち、肩にかけたバスタオルを外すと、間室さんの視線がぴんとはりつめた。

 今日は、談話もない。ただひたすら真剣に、彼は絵を描いていた。しんとした中、吹き込む風となびくカーテンの音が響く。

 サングラスがないからか、久しぶりだからか、彼の視線に高鳴る心がいつもより激しい。

 その音があまりに自分に響くものだから、あたしはそれが彼に聞こえやしないかとひやひやする。けれど耳をすませば、かすかにお互いの吐息がさえずるだけ。

 時折、カーテンが頬を撫でる。それがくすぐったいのと、間室さんが心配なのとで、どうも落ち着かない。


「――あと、名前いれるだけだから、もういいよ。郁ちゃん、お疲れ様」

 そう声をかけると、彼は筆を置き、長いため息をつきながら椅子にもたれかかった。

「間室さん、大丈夫ですか?」

「大丈夫。大丈夫なうちに、こっちに来て」

 手招きをする間室さんの目は、真っ赤に充血している。絵の具をふきとる手は、赤くただれ、まるで熱湯を浴びたかのようにあちこち水ぶくれができていた。

「冷やしたほうがいいんじゃないですか?」

「いいから、ここにいて」

 よいしょと一声かけて、間室さんは立ちあがる。そしてあたしの正面に立ち、そっと、タオルの上から腕に触れた。

「一度こうなっちゃえば、ちょっとぐらい無理したって同じなんだ。だから今のうちに、郁ちゃんを見たいんだけど、いいかな?」

 充血した目はさらに涙までたまっていて、あたしは嫌だと首をふりたくなる。けれど断ったところで彼はやめないだろうと思い、うなずく代わりにバスタオルを床に落とした。

「あたしが日焼けして、肌を黒くしたら、間室さんも触れるようになりますか?」

「そんな風に考えないでいいよ。郁ちゃんは今のままが一番素敵なんだから、変わろうなんて思わないで」

「でも……」

 なお続けようとするあたしの唇を、間室さんが指でおさえた。

 また怪我をすると思い、あたしは慌てて離れる。あのときのように赤くただれやしないかとおろおろしていたけど、彼の指にこれ以上の変化は現れなかった。

「唇は白くないから大丈夫みたいだ」

 にこっと笑って、間室さんはあたしにひとつ、淡いキスをした。

 すぐに離れたその唇にも、以前のような変化はない。自分でも触って確認して、彼は深く安堵の息を吐いた。

「たださ、どうせキスするなら、抱きしめたいっていうの、わかる?」

 返事を待たずに、間室さんはあたしを腕の中に引き寄せた。

 おどろいて離れようとするけど、彼はまた唇を重ねてくる。彼は服こそ着ているけど、手袋はしていない。あたしの背中に触れる手は、間違いなく、白に負けてしまう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ