海で殺る
「海だー!」
「ああ、海だな」
斉賀兄妹は海に来ていた。
妹、スミレが海水浴に行きたいと言い出したのだ。
妹の安全を守るため、兄のアルトも一緒についてきた。
そしてもちろん、あのクソ女神も。
兄妹に気付かれないよう、こっそり尾行してきている。
(ふふふ……。海とはまた乙な死に場所を選んでくれましたねぇ……。水難に危険生物、そして熱中症! 海には危険がいっぱいです! 私に狙われていると知っていながらこんな場所に来るなんて、これはもう『ひと思いに殺ってくれ』と言っているようなものでは? いいですとも!)
なんと勝手な言い分だろうか。自分本位も甚だしい。
一方の兄妹は、泳ぐ前に昼食にするようだ。
「私が屋台で何か買ってくるよ。お兄ちゃん、何がいい?」
「うーむ、焼きそばの気分だな」
「あ、いいなぁ。私も焼きそばにしよー。じゃあ行ってくるね」
「ああ。死神に気を付けるんだぞ」
「はーい」
そんな兄妹のやり取りを陰から覗き見るシェキナ。
死神呼ばわりされたことに相変わらず腹を立てている。
(死神じゃないです、女神ですーっ! 何度言えば分かってくれるんでしょうか!? ……いや、それはそれとして、早速別行動をとってくれましたね。ではでは、因果律をちょいちょーい)
これで運命は確定した。
これからスミレの身に不幸が起こる。
「んー、結構並んでるなぁ」
スミレは、焼きそばの屋台の前までやって来た。
と、そこへ……。
「おー!? かわいい女の子はっけーん!」
「うわ、黒髪ロングじゃん! 超好みなんだけど!」
「お嬢ちゃんどこの子? お兄さんたちと遊ばない?」
「え? え?」
チャラ男の集団がやって来た。
絵に描いたような美少女であるスミレを見るなり、群がり始める。
絵に描いたような、というより、文に書いているのだが。
そしてこのチャラ男集団は、シェキナの差し金である。
(ふふふ……! そのチャラ男たちは女好きとして悪名高い地獄のパリピ集団です! 過去、様々な女の子たちがこの男たちに絡まれダメにされました! 妹さんも彼らの手でダメにされて、この世界にいられなくなっちゃいなさい! あなたから進んでニューデリアの門を叩くのです! 歓迎しますよ!)
そしてこちらはこちらで、絵に描いたようなクソ女神である。
直接ではなく、社会的に殺す気である。
善の女神にあるまじき、あまりにも陰険なやり口である。
だがそんなチャラ男の集団でスミレを殺れるのならば、シェキナも苦労しない。
妹の危機を察知したアルトが、チャラ男たちの背後に立っていた。
「おい」
「え? ……うわデカっ!? 誰アンタ?」
「妹に近づく悪い虫全員潰すマンだ」
「『妹に近づく悪い虫全員潰すマン』……!?」
「この子、アンタの妹さんなのかよー!」
「お義兄さん、妹さんをボクにくださーい!」
「ふざけろ。ふんっ!!!」
「ばふっ」
「あいんっ」
「おけらっ」
アルトの右フック一発で、チャラ男集団の顎がまとめて打ち抜かれた。
糸が切れた人形のように倒れていくチャラ男たち。
「一生寝てろ。さぁ、焼きそばを買いに行こう、スミレ」
「うん。ありがとうお兄ちゃん」
チャラ男たちを撃退した兄妹は焼きそばを買うため列に並ぶ。
その様子を陰から窺うシェキナ。
(……まぁ、今さらあの程度で殺れるとは思っていませんでしたよーだっ。ここからが本番ですよ、お兄さん……!)
シェキナは、まだ諦める気は無いようだ。
すぐさま次の作戦に移る。
(次は太陽光線です! 太陽の光を女神パワーで強化して、妹さんを日射病でぶっ殺してさしあげます! ふふふ、次は自然の猛威が相手ですよ! どうします、お兄さん……!?)
焼きそばを買った兄妹に、強烈な熱が襲い掛かる。
灼熱の太陽の光に照らされ、みるみるうちに弱っていくスミレ。
さすがのアルトも少し汗ばんでいく。
「お、お兄ちゃん、暑い……」
「うむ……そうだな……。少し離れるか……」
(無駄ですよ、無駄無駄ーっ。太陽光線の角度は私が自由に変えられるんですよー! 屋内に逃げ込もうと、光の反射を利用して狙い撃ちにしてあげますからねーっ!)
スケールが大きいのかそうでもないのか、よく分からない攻撃である。
……と、ここでアルトが突然、その場で腕立て伏せを開始する。
身体を上げ下げするたびに、ズン、ズンと大地が鳴動する。
「ふんっ!!! ふんっ!!!」
(む。お兄さん、突然腕立て伏せを……? 何のために……?)
「あ、お兄ちゃん。少し温度が下がったよ」
(え? 腕立て伏せで太陽光線の温度を下げた……? 一体どうやって……?)
「ああ。これくらいでいいか。あまり離れすぎると今度は寒くなる」
(『あまり離れすぎると今度は寒く』……? ……まさか、今の腕立て伏せは!?)
事態を察したシェキナは、驚愕の表情を見せる。
つまるところ、アルトが腕立て伏せをする時、彼は自分を押し上げたりはしない。彼は世界を押し下げているのだ。
これによって少しずつ地球を太陽から離し、太陽の光から逃れたのだ。
(……何なんですあの人? 現世に生き残った神か何かですか?)
呆れた顔でアルトを眺めるシェキナ。
ともあれ太陽作戦も失敗である。ざまぁ。
(うるさいでーすっ! おのれ、こうなったら最後の手段です。本当はもっと色々な方法をぶつけるつもりでしたが、あんなパワー見せられたら生半可な作戦では通用しないでしょう! なので、全部ぶち込みます!)
そう宣言すると、力を練り始めるシェキナ。
一方で、兄妹は焼きそばを食べ終え、水着に着替えた。
「どう、お兄ちゃん? 似合う?」
「ああ、綺麗だ」
「ありがとう。お兄ちゃんも恰好良いよ」
「それは嬉しいな。ありがとう」
(うわ、お兄さん良い身体すぎる……。あれが地球を押し下げた筋肉……!)
兄妹がやり取りを交わすその陰で、よだれを垂らすシェキナ。
どうやらストーカーの素質もあるらしい。知ってた。
スミレは早速、海へと飛び込んでいく。
水を跳ねながら、楽しそうに泳いでいる。
(……はっ! こうしてはいられません。妹さんが海に入りました。さっそく最終作戦決行です!)
ストーカー女神は、目の前に広がる海に渾身の女神パワーを送った。
すると、沖合に巨大な渦が発生した!
「え? え!? なに!? 流される……!」
「渦だー!? 流されるぞー!」
「うわあああ助けてくれええええ」
渦は浅瀬にいたスミレや他の客たちを巻き込んでいく。
さらに、渦の中にはサメやらクラゲやらといった危険生物がウジャウジャいる。
シェキナの「全部ぶち込む」とはこういうことだ。
楽しい海水浴場は、一瞬で阿鼻叫喚の地獄絵図へと変貌した。
「た、助けてお兄ちゃーん!?」
兄に助けを求めるスミレ。
しかし渦の勢いは凄まじい。
あっという間に危険生物たちが群がる渦の中へと引き込まれていく。
もはや手遅れか、そう思ったその時。
「させるかああああああああ!!!」
アルトが渦の中へと飛び込んだ。
スミレを水中で抱きかかえ、襲い来るサメやクラゲを殴り飛ばし、バタフライで渦から脱出した。
「あ、ありがとうお兄ちゃん。けど他の人たちが……」
「分かってる。ここにいろ、他の人たちも助けてくる」
「うん。気を付けてね……!」
「任せろ」
そう言うとアルトは再び渦へと飛び込んでいく。
渦に囚われた人々を助け出し、襲い来るサメたちを叩きのめす。
アルトの活躍により、被災者たちは全員救出された。死者も出なかったようだ。
「お兄ちゃん、お疲れ様……!」
「ああ。だがこのふざけた現象、間違いなくヤツがいるな。どこだ……」
アルトは、辺りをキョロキョロと見回し始める。
するとすぐに、爪を噛みながらこちらを覗き見るストーカークソ女神を発見した。
(くっ……! またしても失敗……! 今回も私の負けのようですね……! 悔しいですが、今日の所は大人しく引き下がってあげましょう!)
作戦の失敗を確認すると、シェキナは砂浜から立ち去ろうとする。
しかし……。
「待て死神」
「きゃいんっ!?」
シェキナの肩を、アルトがむんずと掴む。
がっしりと力を入れられたその手からは、『絶対に逃がさない』という強い意志が読み取れる。
「あー、どうも、偶然ですねこんなところで……」
「あの渦、お前の仕業だな?」
「えーと、何のことでしょう……? シェキナちゃんよく分かんなーい……」
「お 前 の 仕 業 だ な ?」
「…………………はい」
「よし分かった。せっかくだからお前も泳いでいけ」
「え? あ、ちょ」
アルトはシェキナを持ち上げると、未だに発生し続けている地獄の渦へと放り込んだ。
「あーっ!? 溺れるーっ!? 私カナヅチなんですよーっ!?」
「そうか。それは大変だな。ちょうど良い機会だ。この夏でカナヅチを克服しよう」
「出来たら苦労しませんよーっ!? あ、いやーっ!? サメがーっ!」
「死ぬ気で泳げ。人間は努力で苦手を克服できる生き物だ。死神だってやればできる」
「女神ですーっ!! たすけてーっ!! たすけてーっ!!」
こうして、皆の海水浴をメチャクチャにしたクソ女神に天罰が下された。
ちなみにこの後、シェキナはカナヅチをある程度克服できたそうな。