野球ボールで殺る
ここは公立S高校の野球場。
バッターボックスに立つのは筋骨隆々の偉丈夫、アルトである。
彼は野球部員なのだ。
ピッチャーを務めれば時速300キロの球を投げ、バットを握ればファールかホームランか場外ホームランしか打たない、S高校野球部の汎用人型決戦兵器である。
トラックの正面衝突や、落ちてくる鉄骨を受け止めたことから分かる通り、アルトの身体能力は人間の比ではない。人間じゃないかもしれない。
そのため野球の練習をほぼ必要とせず、普段は妹のために家事や炊事などを優先しているのだが、今日はちゃんと部活に参加しているようだ。
「アルトー、あんまり飛ばし過ぎるなよー」
「野球ボールだってタダじゃないんだからなー」
ベンチで野球部の仲間たちがアルトに野次を飛ばす。
彼がバッターボックスに立てば、もれなくボールが一つ消える。
彼が場外ホームランを乱発するせいだ。
「……善処する」
アルトは、静かにそう呟いた。
そんな野球部の様子を、校舎の影から見守る女性が一人。
あれは誰だ。JKか。後輩か。違う、クソ女神だ。
「誰がクソ女神ですかっ!」
誰もいない空間に向かって叫びながら、クソ女神ことシェキナはアルトの様子を窺っている。
彼の妹、スミレをニューデリアに転生させるべく、一つの作戦を引っさげて。
「これから因果律をいじり、あのお兄さんのボールを場外ホームランにします。そのボールは不幸にも帰宅中の妹さんの脳天に命中し、無事死亡というワケです。いやー、こんな硬いボールでスポーツなんて、これは怪我人が出ても文句言えませんよねーっ。ではさっそく因果律をチョイチョイっと」
クソ女神らしい、クソ回りくどい作戦である。
しかし、これで因果律は確定した。
これからスミレは、兄の場外ホームランが頭に当たって死ぬ。
過去にこれほど下らない因果律操作があっただろうか。いや、無い。
あってたまるか。
「せいっ」
ピッチャーが球を投げる。ど真ん中ストレートだ。
球速は悪くない。甲子園でも十分通じる速さだろう。
しかし、超人たるアルトにとっては、空中を漂うティッシュに等しい速度だ。
「ふんっ!!」
アルトは、空間がブレるほどの勢いでバットを振り抜いた。
ボールは天高く飛んでいき、あっという間に野球場のフェンスを越えてしまった。
「あーあー、またやりやがったよ」
「アルトー、手加減しろってー」
ベンチから仲間たちが野次を飛ばす。
しかしアルトは、飛んでいったボールをジッと見つめると……。
「この球は……妹に当たりそうな気がする……!」
そう呟くや否や、猛スピードでボールを追いかけだした。
砂ぼこりを巻き上げながらグラウンドを駆け抜け、フェンスの前まで駆け寄ると……。
「ふんっ!!」
体当たりでフェンスをぶち破った。
そのまま目の前の家の塀に跳び乗り、足をかけると……。
「とうっ!!」
大ジャンプを繰り出した。
たったの一飛びで何百メートルも飛んでいくほどの超人的大ジャンプだ。
視線の先には、未だに宙を駆け抜けるホームランボールが。
「とうっ!! とうっ!!」
アルトは落下地点の塀に足をかけると、そのまま再び大ジャンプを繰り出す。
それを繰り返しているうちに、自身が打ったホームランボールに少しずつ近づいていく。
そして……。
「とーうっ!!!」
アルトは空中で、自身が打ったホームランボールをキャッチした。
そのまま落下し、下にいたスミレの目の前にズシンと着地する。
「わ、お兄ちゃん。どうしたの?」
「お前にボールが当たりそうだったからキャッチしたんだ」
「そうだったのね。ありがとう。野球やってたの?」
「ああ」
「どうだった? ホームラン打てた?」
「いや、アウトにされたよ」(自分で)
「そうなんだ。ドンマイお兄ちゃん。一緒に帰る?」
「そうだな。今日はもう帰るか。……おっとその前に、ふんっ!!!」
アルトは、キャッチしたボールを高校に向かって投げ飛ばした。
ボールはミサイルのように、空に向かって真っ直ぐ飛んでいき、見えなくなった。
以上の様子を、シェキナは高校から”遠見の術”で見ていた。
「くーっ!! 出ましたねお邪魔ムシ! 本当に自分で自分のホームランボールをキャッチするなんて、なんてデタラメな人! 次こそは必ず……!」
と、その時である。
アルトが住宅街から投げ返した硬式ボールが、シェキナの頭に直撃した。
「あいたーっ!?」
シェキナはバタリと倒れて気絶した。
その様子を、グラウンドから野球部員たちが見ていた。
「おい、なんか白いローブ着た姉ちゃんにボールが直撃したぞ」
「俺たちのせいだって思われたら面倒じゃね?」
「穴掘って埋めとくべ」
こうして死神は桜の木の下に封印された。
来年にはキレイな花が咲くでしょう。
そして後日。
「先日は酷い目にあったわ」
残念ながら、シェキナは生きていた。
彼女の視線の先には、帰宅途中のスミレ。シェキナには気づいていない。
そしてシェキナの手に握られているのは、硬式の野球ボール。
これをスミレの頭に直接ぶつけるつもりなのだ。悪魔か。
「因果律なんて回りくどい方法使わずに、始めからこうしておけば良かったのよ! これなら確実に殺れる! ふふふ、今度こそあなたをニューデリアにご招待するわ! さぁて、ピッチャー振りかぶってぇ、死ね……!」
シェキナの剛速球が、スミレの側頭部目掛けて真っ直ぐ飛んでいく。
スミレはまだ気づいていない。
もはやこれまでか。そう思ったその時。
「ふんっ!!!」
どこからともなく現れたアルトが、シェキナの球を金属バットで打ち返した。
カキン、とボールは地平の彼方へ飛んでいき、あっという間に見えなくなった。
「え? お兄ちゃん!?」
「下がってろスミレ、死神だ」
「出ましたねお邪魔ムシ!」
シェキナはすぐさま二球目を用意する。
バットを構えて対抗するアルト。
なぜかグローブと防具を用意してキャッチャーを務めるスミレ。
「女神の変化球、打てますかっ!?」
シェキナが二球目を投げた。
ボールは外角高めから、エグい角度で落ちていき、スミレの脳天を狙う。
「ふんっ!!!」
しかしアルトはそれを打ち返した。
球はシェキナに向かって真っ直ぐ飛んでいき、彼女の頬をかすめた。
「うわぁ!? 危なっ!? 当たったらどうするんですか!?」
「どの口が言うか、死神め」
「女神ですーっ!! こうなったら私の必殺の魔球で沈めてあげますよ! 妹さんをね!」
「ピッチャービビってんのか。勝負しろ」
「ふーん! 無駄な勝負をするつもりはありませんので! 行きますよ、一球奪魂です!」
「『奪魂』って、やっぱり死神じゃねぇか」
「三球目の正直です! 喰らえーっ!!」
シェキナが三球目を投げる。
しかし……。
「あーっ! 手が滑ったァー!!」
三球目はヘナヘナと兄妹の頭上を飛び越え、背後にコテンと落下した。
コロコロと転がるボールを、呆れた目線で追いかける兄妹。
「……バカめ背中を見せましたね! 取った、死ねぇ!!」
兄妹の背後から、シェキナは卑怯にも四球目を投げつけた。
「……ふんっ!!!」
それで騙せるなら苦労はしない。
アルトは不意打ちに素早く反応し、振り向きざまに四球目を打ち返した。
しかし、チュドーン! と、四球目が大爆発を起こした。
兄妹は爆風に巻き込まれる。
「ふはははは! 引っかかりましたね! これぞ私の『消し飛ぶ魔球』です! ボールを接触式の爆弾に変えました! 打ち返してくれてありがとうございまーす!!」
満面の笑みで勝ち誇るクソ女神。
だがしかし、駄菓子菓子。
爆風が晴れると、そこには無傷の兄妹が立っていた。
「げぇ!? ウソでしょ!? なんで無事なんですか!?」
「俺のバッティングが強すぎたようだな。爆風は振り抜かれたバットの衝撃によって、俺たちの方には到達できなかったということだ」
「く……本当にデタラメな人ですね……! いいでしょう、ならば次は涙の五球目で……!」
「……そろそろか。スミレ、頭を下げろ」
「う、うん」
兄妹が頭を下げると、その背後からいきなり硬式ボールが飛んできて、シェキナの顔面に命中した!
絶世の美貌に硬球がめり込む。
「ほげぇ……。なんでぇ……? どこからボールがぁ……?」
「最初に俺が打ち返した一球目だ、そいつは。地球を一周して、今ここに戻ってきたんだ」
「どこまでデタラメなんですか、あなた……がくっ」
そこまで言うと、シェキナは気絶した。
スミレは兄に頭を下げる。
「ありがとう、お兄ちゃん。また守られちゃったね」
「気にするな。……さて、そこの死神、どうしてやろうか」
「桜の木の下に封印する?」
「それは良いな。それでいくか」
こうして死神は桜の木の下に封印された。
明日には復活してるでしょう。