069 VS姫咲高校 その7 天才の弱点
体が軽い。なんでだ?
昼飯は……
そう言えばすぐに試合だからっておにぎり1個だけだったな。
ゼリー状の補食もとったが明らかに足りない。でも空腹感はない。体が軽いのは胃の中が空っぽだからか?
体の隅々まで力が入る。いつもよりもボールのことが見えている。……気がする。
笛が鳴った。
いつものように2歩目でトス。
あ、これ良いトスだ。
続く3歩で助走からの跳躍。そして――
あたりも渾身だったサーブはコースもよく触れさせることなくそのまま相手コートに突き刺さった。
「優ちゃんナイサー!※」
(※バレー用語:ナイスサーブの略)
「優ちゃんさっきからサーブ凄いじゃん!」
「優莉どうしたの?急に絶好調?」
「凄いな!あんなのどうやっても取れないよな!」
「優莉ナイサー!」
次のサーブまでのわずかな時間、チームメイトが俺を褒めたたえる。
う~ん。正直、さっきのと第2セットの最後の方に打てたサーブは練習でも50回に1回出ればいい方というくらいのベストサーブだ。それがこの短時間で2本も打てた。なんでだろうか?
しかしまあこれで19-15
あと1点で大台の20点。あと6点でこのセットが取れる。
ピーッ!
笛が鳴り響く。姫咲からのタイムアウトだ。
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「ここでタイムアウトということは姫咲も優莉のサーブに手を焼いているということね。だからと言って気負う必要はない。1点を大切にして、それを6回繰り返す。今までできなかったことがいきなりできるようになったりはしない。焦らず攻めかかろう」
佐伯監督は集まった俺達にそう告げる。要するに作戦変更しないでこのままいけと言うことだ。
「それにしても優莉ちゃんのサーブはやっぱりすごいね。調子を上げてくると姫咲だって簡単に取れないんだ」
「まあ私達だって滅多にちゃんとレシーブ出来ないしね」
「サービスエースを獲れているのはスパイクサーブの方だけだけどね。フローターはやっぱりいらないのかな?」
なんだかんだで決まっているのはスパイクサーブだけでフローターサーブは苦労して習得した割に決まらない。
「いや、それは違うんじゃないか?あれだ。立花のフローターサーブは野球の見せ球みたいなもんなんだろ」
フローターサーブいらない子説に異議を唱えたのは唯一の――本当なら唯二なんだが――男性、上杉コーチ。なるほど見せ球か。
「見せ球?」
歌織が声を上げる。というかチームメイトの殆どがなんだそれ?って顔をしている。
「野球の言葉で凡打や空振りをねらって投げる決め球の前に、その決め球を効果的に見せるためにわざと遅いボールを投げたり変化球でタイミングをずらしたりして打者の心理を揺さぶるのが見せ球だ。
俺はバレーのことはよくわからんが心理自体は同じ人間なんだから似たようなもんだろう。あのスパイクサーブに比べれば遅くてでも変化をするサーブが来るかもしれない、そう思わせるだけで効果があるはずだ」
俺個人としては腑に落ちる説明だな。なるほどそう考えるとサーブの二刀流は効果的だな。
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視点変更 同時刻
姫咲高校 女子バレーボール部 視点
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事ここに至り赤井監督は半年間あえて言わなかったことを本人に告げようと決心した。
姫咲高校のスーパールーキー 徳本 正美と沖野 知佳。
2人とも同世代トップクラスの実力を持つ。
事実小学生の時には2人のずば抜けたセンスをもって無名のチームに所属しながらも県大会を勝ち抜き全小へ導いた。
当時身長が2人とも160cm未満であったことから有力中学からは声がかからず、そのまま地元の公立中学へ。
ところがその中学3年間の間で身長が徳本は17cm、沖野は13cmも伸び、中学3年生の頃にはド素人の足手まといを入れて何とか6人確保、というこれまた不利なチーム状況でありながら県大会を勝ち抜いて全中まで勝ち抜いた。
さらには2人ともU-16にも選ばれたこともある。
まさに天才だ。
が、その天才には共通の欠点があった。
格上から狙われると急に萎縮してしまう。
先ほどから相手の強烈なサーブ、スパイクが自身に飛んでくるたびにプレイの質が下がっている。落ち着いて対処すれば決して対応できないわけでもないにもかかわらずだ。
この欠点は小中学生時代には露見しなかった。ひょっとしたら本人達も気が付いていないのかもしれない。なぜならチームメイトには常に自分よりはるかにレベルの低い選手がいたから。狙うなら明らかに実力の劣る選手を狙う方がよい。始末の悪いことに、「チームメイトのフォロー」をする分には格上との勝負に萎縮することはない。
だが、ここは全国レベルの選手が集う姫咲高校だ。彼女達2人はレギュラー争いで上位を狙えるくらいには巧くとも、飛びぬけて巧いわけではない。故に試合中に狙われることなどよくあること。ここまでは巧みに騙してきたが、果たしてこの先はどうか。
幸か不幸か自分は大なり小なりこうした殿様気質――女性だからお姫様気質というべきか――のプレイヤーは多く見てきた。
治し方もある程度ノウハウを持っている。
そのノウハウ上、一番は本人自らが天狗であることに気が付き謙虚になることだが、気が付いていないうちに自分の様な年寄りがあれこれ言ってしまうとかえって拗らせてしまう。
故に半年超待った。
しかしここで負けては仕方がない。このタイムアウトはそのために取った。
今まさにそのことを指摘しようとしたその時
「正美。少し落ち着いたら?あなたの実力をもってすれば慌てるような相手じゃないわよ?」
意外な一言は主将を任せた3年生から出た。
「あ、わかる。正美。ちょっとは先輩を信用しなさいって。全部自分でやんなくていいのよ」
「あ、はい。……その、そんなに変でしたか?」
「すごく焦っているのが伝わってくるプレイだったわね。あなたは明奈達3年生を追い抜いてユニフォームを着てるのよ?あ、怒っているわけじゃないの。少なくとも3年生は納得している。正美の方が巧いって知ってるもの。コートに立つべきはチームで最強の6人であるべきよ。
だから仕方がない。だからわかるのよ。正美の実力はこんなもんじゃないって」
1年のスーパールーキーの表情が少し変わった。この変化を見逃さなかった赤井監督は作戦を少し変えた。
「いいかしら?私の言いたいことは先ほど西村さんが言ってくれました。徳本さん、少し落ち着きましょう。第2セットの中盤から点数で負けているからとプレイが雑になっています。自信を持ってください。
あなたは現姫咲高校女子バレー部で最高のスパイカーです。あなたが打ち砕けない高校生チームなんてありません。それと作戦を少し変えます。具体的には――」
ピーッ!
タイムアウトの30秒は短い。あっという間に笛が鳴った。
が、言いたいことは30秒前よりいい形で伝わった。
さらに――
「赤井監督。私が西村先輩に負けている点ってあそこですか?」
「あそことは?」
「私も正美……徳本も負けてきちゃうと自分で何とかしなきゃって焦って自爆することが多くて……」
残念ながらその自己分析は誤りだ。2人ともただ負けているだけなら焦りはしない。自分達の力が通用しないと思うと自爆しだすのだ。
が、それは今は指摘しないでいいだろう。なにも最初から答えだけを教えるのが教育ではない。
「そうですね。司令塔とエース、どちらも自分勝手にプレイをされると困りますから。こんな言葉を知ってますか?“One for all, All for one”」
「あ、知ってます。1人はみんなのために、みんなは1人のためにって言葉で、チームみんなで頑張りましょうって意味ですよね」
「ちょっと違いますよ。正しく日本語訳をするならば“1人はみんなのために、みんなは1つの目的のために”。かっこよく訳すのならば“1人はみんなのために、全ては勝利のために”でしょうか。
元はラグビーの言葉です。ラグビーでは1つの目的、トライをするためにはチームメイトがそれぞれ自分の役目をしっかり果たす必要があります。
沖野さん。あなたは間違いなく才能があります。2年、3年生すら実力では上回るかもしれない。でも、その才能を目的のために正しく使えていますか」
黙り込んで考え出す沖野を見てにっこりと笑う赤井監督。ついで内心で苦笑してしまう。
勝利よりも教え子の成長を感じる方が嬉しいと思うのは指導者としてどうなのか。そもそも教え子もその後ろにいる保護者も、学校も自分には勝利を求めているというのに……
スコアボードは15-19。
まだいける。まだ追い付ける。
ここで終わるような子達ではないのだ。