閑話 村井 玲子
私が体操を始めたのは小学校3年生になったばかりの頃だ。
昔、小学生の頃から大学卒業まで体操をやっていたという男性が私の家の近くに体操教室を開いたことがきっかけだ。
新しく開いた体操教室なので生徒を募集すべく、近所に勧誘のチラシを配り、体験教室を開いた。その体験教室で宙を舞う体操選手に魅了され、両親に体操をしたいとねだった。父は二つ返事で了承してくれたが、母からは猛反発を受けた。渋る母からは「毎日きちんと三食食べること」を条件に認めてもらった。この条件を聞いた時、お菓子ではなくごはんをちゃんと食べろという意味だと私は受け取っていた。
これがどれだけ私を思って出されたものだったかを知るのは5年後のこと。
幸か不幸か、私には才能があったようだ。体操を始めて4年後の6年生の頃には床と跳馬では県で1位になるところまでたどり着いた。
私に体操を教えてくれた先生は初の教え子がいきなり全国レベルの選手まで育ったことに大喜びだった。私も努力し、新しい技、難しい技が出来るようになるのはうれしくて、楽しかった。
だが、次々と新しい技を覚えられたのは小学生までだった。
中学に入学する直前、私にも月のものが来た。それによる体調の好調/不調にも悩まされたが、それ以上に増加する体重には当時本当に困った。
体操は上に行けば上に行くほど厳しい体重、体脂肪率の制限がある。あの頃の私は500mlのペットボトルすら500gも体重が増えると避けていた。
なのに母は体操を始める時の約束を持ち出し、食事量を減らすようなことはしなかった。出された食事を食べないようなら体操は続けさせないとも言ってきた。
だから私は朝と夜は出された食事を食べるふりをして食後にトイレで全部を吐き出し、昼間は渡された弁当を半分も食べずにトイレに流した。
そんな生活をすれば当然体調を崩す。中学1年と2年の間の春休みに私は低血糖と疲労骨折を同時に患い、入院することになった。
そこでついに私が食事を吐き出していたことが母にバレた。当然、大げんかになった。最初は口げんかだったが、母がついに手をあげた。
平手うちをされた私はこちらもやり返そうと母を見たところで固まった。
母は泣いていた。
戸惑っている私に対し、母はぽつりぽつりと母自身のことを話してくれた。
曰く、自分も子供の頃は体操をやっていた
曰く、娘には及ばないものの、それなりに優秀な選手だった
曰く、娘以上に過酷な食事制限をした結果、生理は高校を卒業するまで来なかった
曰く、たくさん怪我もしたし、つらい思いもした。だから娘には体操をさせたくなかった
親の心子知らず
憑き物が落ちるように急に熱が下がっていく。
私が間違っていた。
続いて私のお見舞いに来たのは体操の先生だった。私は開口一番、これまでのようには体操が出来ないというと、先生には逆に謝られた。
「すまん。俺は男だから気が付かなかった。俺も選手時代、カロリー制限をしたことはあったが、村井よりはるかに軽いものだった」
先生はあくまで青少年・少女の育成の一環として体操を教えているのであって、体調を崩してまでやるような体操ははじめから求めていなかった。そのうえで先生は私にこう言った。
「なあ、村井。こんな体調を崩してまでやる体操はどうかと思わないか?俺と一緒に厳しくも楽しい体操を目指さないか?」
ここから2年間、私は食事制限をすることなく、それでも可能な限りの頂点を目指す体操を先生と始めた。
が、結果はうまくいかなかった。やはり現実はドラマのようにいかない。それに不運な要素もあった。中学1年の終わりの時点で私の身長は164cm。体操選手としてはもちろん、同性同世代と比べても背が高く、だからこそ、これ以上伸びないだろうと思われた身長が何と2年間で12cmも伸びた。
回転することの多い体操では小さい方が有利なのだが、見事に真逆。それもあって最後は県で中位と上位の間ぐらいの選手になっていた。
だが、それでも努力したことには意味があると思っている。やらなくてダメ、ではなくやってダメだったのだ。
体操は中学校3年までにやり切ったと思い、高校は体操部のない高校を選んだ。
……体操部があると入部してしまいそうだったからかもしれない。
そのことは入学初日で後悔した。やることがない。体操は1日休むと感覚が狂う。だから今まで私は365日が体操だったのだ。それがない今は、1日何をしていいかわからない。どこか真剣に打ち込んでいる部活を探すか?
何か熱くなれるものを探していた入学3日目。ものすごい生徒を見かけた。……まあその生徒のことは入学前から知っていたが、私とは違う世界の生徒だと思っていた。
愛らしい容姿であり華奢で(私から見れば)小柄な彼女が運動が出来るとは思わなかった。文芸部だとか吹奏楽部が似合いそうな彼女は見た目に反して素晴らしい身体能力を誇っていた。
あれだけの運動能力があればきっと体操が……
陸上部の顧問だという体育教師は合間を縫っては陸上部に勧誘していた。私が顧問でもそうしていたであろう。彼女はスポーツをやるべき逸材だ。
そんな彼女は腕力もすごかった。当然のように懸垂を10回やってのけた。
だが、懸垂なら私も自信がある。こうみえて段違い平行棒も苦手ではなかったのだ。
「すごいですね」
懸垂を終えた後、私と同じとまでは言わないが背の高い同級生が声をかけてきた。クラスメイトだろうか?
「すまない。まだ顔と名前を憶えていないんだ。君は――」
「あ、私、村井さんと違って2組です」
どうやらクラスメイトではなかったようだ。
「それで、クラスは違うんですけど、私一緒にバレーボール部に入ってくれる人を探してるんです」
なるほど。そういうことか。
「バレーボールは中学の時に授業でやった程度だが、確かに背の高い方が有利なスポーツだな」
「背が高いだけじゃないんです。村井さん、懸垂だけじゃなくて足も速かったし、幅跳びもすごかったから」
「私以上に凄いのが2組にいるんだが……」
「立花さんのことですね。あの子もお姉さんごと誘ってます。彼女達のお姉さんもすごいんですよ!この前、女子バレーの全日本代表に選ばれてたくらいなんですよ!」
「それはすごいな」
「あの、それで私、IHや春高……えっとようは県予選を突破して全国大会に出るくらい、ううん。出来れば全国で優勝をするところまでバレーをやりたいの!」
「それは日本一ということだろ?いいな!」
「あの、だからきっとたくさん練習すると思うけど、それでも――」
「?全国大会で優勝を目指すのなら当然練習も厳しくなるだろ?それは問題ない。しかし、いいのか?私はバレーは素人なんだが……」
こうして私は高校生活の大半をつぎ込むことになるバレーボールと出会った。
バレー部入部初日。都平はあの立花も勧誘に成功したようだ。
最初は身体能力を見たいだとかで最高到達点とやらを測ることになった。
「村井は……286cmだな。あのフォームでよくここまで飛べたものだ」
顧問の佐伯先生が呆れの声をあげているが、私としては不本意極まりない。
見よう見まねでバレーのジャンプをしてみたが、どうにもしっくりこない。くっ。跳躍なら子供のころからやってきたというのに……
「最後は立花 優莉だ。スポーツテストの時のように思いっきりやらかしてくれ」
3年生の先輩とスポーツテストの結果を知らない有村は「?」という顔をしているが、私達は彼女がどれだけすごいか知っている。さて彼女はどれくらい飛ぶのだろうか?
「はっはっは。やりおったな。立花妹!記録は348cmだ」
佐伯先生は愉快に笑った。どう見ても140cmは飛んでいる。本当に人間か?
だが、私が着目したのはそこではない。
「なに?バレーのフォームでなかった?別に最高到達点を測るのにバレーのフォームである必要はないよ。ま、人が知恵を出してたどり着いたのが今のフォームだから、あれが一番高く飛べるとは思うけどね」
最終的にはそうかもしれないが、今の私には当てはまらない。もう一度チャレンジさせてもらえないだろうか?
「え?村井、お前ガッツあるな。立花妹のあれを見せつけられて、凹むんじゃなくて挑むか!いいぞ!私はそういうのは大好きだ。フォームもお前の好きな形でいい!やってやれ!やってみせてくれ!」
申し訳ないが、バレーボール用の助走は距離が短すぎる。距離を十分にとり、右手を上げる。これは体操のルーティンだ。結局これが一番今の私にしっくりくる。
「ハイッ!」
最初は小さく飛び跳ねそのまま弾むように駆け出す。私はこと跳躍にかけては小学校3年生の頃からずっとやってきた。バレーの選手にだって負けない!
「うそ……」
「村井さんすごい」
3年の先輩方も、1年の同級生もみな驚いている。さっきの立花妹よりは低いはずなんだがなぁ
「くくく。やるじゃないか!村井!まさかこんな県立高校に、しかも身長が180cmもないのに3mまで飛べる奴が二人もいるなんてな!」
佐伯先生は大喜びだ。3mまで届くと何かいいことがあるのだろうか?
・村井 玲子 身長 176.5cm 最高到達点 300cm