036 全日本合宿 顔合わせ
日付は8月9日 場所は都内というか、国が『トップレベル競技者の国際競技力の総合的な向上を図るトレーニング施設』という名目で作った建物の前。
現地集合って聞いてるけど、これ100%ガチの奴だよ。なんだよ『国際競技力の総合的な向上』って……
どう考えても国旗を背負う形になります。本当にありがとうございました。
そんな大それた施設の前に立つ俺の格好は松原女子高校の夏服姿。
こういう時はちゃんとした格好で来るべきなんだろうけど、じゃあ今の俺にとってちゃんとした格好って何なんだ?って考えた時に出された回答が制服だった。
今更だけど、これちゃんとスーツを作るべきだったかな――!!!
「ゆ~う!!」
俺は声がする前、気配を察した時点からさっと身構える。
「な、なんだよ優。どうしたんだ?私だよ?美佳だよ?」
現れたのはスーツ姿の美佳ねえ。
「知ってる。美佳ねえだから警戒してるの」
「???なんで??」
「美佳ねえ。私に何しようとしてた?」
「なにってそりゃ久しぶりに直接会ったんだ。姉妹の仲を確かめ合うスキンシップをだな――」
「そ・れ・が!問題なの!美佳ねえ、雑なんだもん!」
「優、ひょっとして私のこと嫌いなのか?」
「雑なところは嫌い」
「そうか。でもお姉ちゃんは優のこと大好きだからあんまり関係ないな」
困った。言葉は通じているはずなのに会話が成立しない。思わず脱力してしまい、これが失敗だった。
「隙あり!」
「わぷっ」
あっという間に距離をつめると、いつぞやのように右手(右腕)で俺を拘束、左手で俺の頭を愛でる暴挙に出た。ちなみに前はヘッドロック形式での拘束だったが、今日はベアハッグ形式での拘束だ。
前も言ったが俺の背丈は美佳ねえの胸程度までしかない。
おのれ!アスリートにとって今、俺の顔に押し当ててるそれは無用のものだろ!
俺だって普通以上のはずなのになんで俺の周りはみんなこうなんだ!
「おぉ。優は相変わらずだなぁ。小さいし、柔らかいし、優しい女の子の匂いもする。日本、いや世界一可愛い妹だな!」
わしゃわしゃ
ぬわーーっっ!!
せっかく早起きして梳いて編み込んだのにぃぃいいい!!!
「相変わらず優の髪はすごいな。優みたいな髪の毛を絹の糸って言うんだろうな。こっちもいい匂いがする。なあシャンプーは何を――」
「もう離してよ!」
「??本当にどうしたんだ?」
「どうしたもこうしたもないよ!美佳ねえ、実は私のこと嫌いでしょ!」
「そんなことはないぞ!大好きだぞ!証拠に……そうだ!お姉ちゃんが熱いベーゼを――」
「美佳ねえ、それはダメ!もっと自分の体を大事にして!」
なんとか美佳ねえから離れ、距離を取る俺。美佳ねえを警戒しつつ、鏡で自分の髪を確認。やっぱり乱れてる。
「もう。美佳ねえ雑過ぎ!」
「そうか?これから会う連中と比べれば私なんて繊細な部類だぞ?」
んなわけねえだ――
「お前が美佳の妹か!!!」
突如両脇に手を入れられ、そのまま高い高い状態。視界がいつもの150cmから3m超に変わる。
「うひゃー。小さいな!可愛いな! おい、美佳。お前、妹にちゃんとご飯食べさせてるのか?軽すぎだろ」
などと言いつつ、突如現れた女は俺を高い高いしつつその場でぐるぐる回りだした。
ま、待ってくれ!今、下はスカートなんですよ?
膝下スカート丈でもそんな風に回られると当然スカートは広がるわけで、下手したら周りからパンツが見えてしまう!
手で押さえようにも両脇で持ち上げられているから出来ず、脚をばたつかせればかえって下着が見えかねない。ここは口で抗議だ!
「下ろしてください。それといきなり現れて、いったい何ですか!」
「!!驚いた!妹ちゃん!君、声も可愛いんだね!それに日本語もものすごく上手だ!」
と言いつつ、俺を持ち上げたスーツ姿の若い女は俺を地面に下ろしてくれた。そのまま俺に抱きついてきたけど。
「美佳。この娘、可愛すぎなんだけど!」
「むー!!!」
いや、なんなんだ?この人?多分美佳ねえの知り合いというか友達なんだろうけど、美佳ねえよりもなんというか雑だ。というか抱きつくにしても手加減して!窒息する!
……あぁ。女になってからは涼ねえも美佳ねえも陽菜もこんな風によく俺に抱きつくけど、涼ねえ達はちゃんと加減してくれてたんだな。今みたいに痛くもないし、苦しくもない。
「前にも言ったでしょ。世界一可愛い妹が2人になったって。ところで由美。その可愛い妹が窒息しそうだから放してあげて」
「おっと」
「ぷはっ」
拘束が緩められた隙に素早く離脱。きっと味方と思われる美佳ねえの後ろに逃げる。
「ありゃ?こりゃ嫌われちゃった?」
「かもね。妹は雑な人が嫌いらしいよ」
「じゃ、私は大丈夫だ。どう考えても今日集まるメンツの中だと繊細組だし」
マジで?あれで繊細組に入るの?
「美佳ねえ。あの人誰?」
美佳ねえの後ろから顔だけ出して相手を見る。ここに今日来ているということはバレーの有力選手なのだろう。
身長は多分180cm越え。年は美佳ねえと同じくらい。スーツ姿なので推測も入るがトップバレーボーラーらしい体型をしている。
やっぱ美佳ねえがアスリートらしからぬ体型なわけだ。どこがとは言わんけど。
「あいつは由美。重野 由美って名前で私の高校時代の同級生。今はU-23のエーススパイカーだ。由美。この可愛いのは私の妹で優莉。これは私のだからあげないぞ」
いや、いったいいつ、俺が美佳ねえの所有物になったんだよ。
それよりも高校の同級生って言ったか。ということはこの重野先輩とやらが美佳ねえをスパイカーからリベロに転向させた遠因のひとつなのか。
「そっか。じゃ、奪うだけだな。優莉ちゃん、だったね。私のことは由美お姉ちゃんでいいよ。さ、呼んで♪」
え?
======
『これから会う連中と比べれば私なんて繊細な部類だぞ?』
美佳ねえから言われたこの言葉。9割以上ギャグだと思ったが、マジだった。
なんというかみんな雑。だいたい俺を見かけると、「ちっちゃくて可愛い!」的な発言をしつつ俺を持ち上げたり、抱きついてきたり、スカートをまくったりとやりたい放題だ。
俺は人形じゃねえんだぞ!
選手候補は着替えてアリーナに集合、なんだが着替える時にも……
いや、あれはもはや言うまい。というより記憶から抹消したい。
ここには全日本だけでなく、U-23の有力選手も集められている。
これは今回の合宿が直近の大会ではなく、来年の世界選手権、再来年のワールドカップ、再々来年のオリンピックを見越して集められたものであり、U-23の選手もその頃には全日本の選手として活躍しているというか、活躍してもらわなくては困るということで集められている。
ちなみに高校生で集められた選手は俺以外にいない。これは俺が特別なのではなく、単純にこの合宿の裏でインターハイが行われ、有力選手はそっちに出場しているからである。
でね、みんな背が高すぎなんですよ。バレーボールってのは背の高い選手が基本的に有利で、日本国籍を有する選手の中で特に優れたバレーボーラーを集めれば当然長身の選手ばかりになる。
比較的背丈の関係ないリベロ枠の選手で一番低い人でも162cm。俺より6cmも高い。
女性としては間違いなく長身に分類される美佳ねえが177cm。ところがここには当たり前のように美佳ねえより長身の選手が大勢というほどでもないがいた。
そんな中に156cmの俺が放り込まれるとどうなるのか。
『あ、私より小さいウイングスパイカー選手が呼ばれるなんて初めて!』
『君、高校一年生でよばれるなんてすごいな』
『学校で男子にモテるでしょ?え?女子校?勿体ないなあ』
完全に愛玩動物扱いである。首も痛い。松女バレー部にだって背の高いのがいるが、それでも一番高くて歌織の178cm。対してここでは180cm超の選手もいることもあってずっと首を上にあげざるを得ない。
相手は相手で俺と話す時はわざわざ膝を曲げて話をするのだが、その話し方がどうにも年下の女の子と話すような話し方になっている。事実、俺の方が年下で、人によっては10歳以上となるわけだが……
アリーナに集合するころには選手の間で俺の名は知れ渡り、ついでに俺のことは「優莉ちゃん」と呼ぶことに統一されていた。
俺をちゃん付けで呼ばないのは美佳ねえ位である。美佳ねえは俺を愛称呼びだけど。
俺は俺で相手を呼ぶときはなぜか「○○お姉ちゃん」になってしまった。これについては最初が不味かった。
『私のことは由美お姉ちゃんでいいよ。さ、呼んで♪』
『重野さん』
『違うよ。ほらもう一度』
『重野先輩』
『ノンノン。ゆ・み・お・ね・え・ちゃ・ん』
『……由美さん』
『惜しい。さ、呼んでみて』
『美佳ねえ……』
『諦めろ。由美はしつこいぞ。ほら、陽菜の友達の、彩夏ちゃんだっけ?その子もお姉ちゃんって呼んでるんだろ?それと比べれば由美は私と同い年なんだから呼びやすいだろ』
『はぁ……。由美お姉ちゃん。これでいい?』
『!!うん。それでいいよ。あ、美佳みたいに由美ねえでもいいから。それと私は優莉ちゃんって呼ぶから♪』
入口でのこの会話が知れ渡り、『重野はお姉ちゃん呼びなのに私には他人行儀にさん付けではチームワークが乱れる』だかなんだかで気がつけばって奴だ。
チームメイトは全員、お姉ちゃん、○○ねえ、お姉様、もしくはそれに類する呼称で呼びなさいって、何のプレイだよ!
というかさ、雰囲気緩くない?こんな緩い雰囲気で世界と戦えるのか?
などと考えていると
「全員揃ってる?」
アラフィフと思わしき女性がアリーナに入ってくると空気が一変。
選手全員がアスリートの顔つきになった。
あぁ。そういう人達なんですね。
=======
当初聞いていた通り、今回の合宿は来年の世界選手権以降を見据えたもので主に全日本とU-23の顔合わせとメディカルチェックが中心となるらしい。
ちなみに後で全日本の監督から直接聞いた話では俺を呼んだ第一の理由はメディカルチェックだそうだ。どう考えても俺の体躯からではあんなに飛べたりしないからな。それがドーピングの類でないことを医学的に証明するために呼んだらしい。
うむ。これで納得。俺みたいなド素人が呼ばれるなんておかしいと思ったんだよ。
なお、あくまで「顔合わせとメディカルチェックが中心」であっても練習しないわけではない。
その練習だが、技術的なものになるとまっーたくついていけなかった。
例えばスパイクレシーブの練習は松女でもやるんだが、スパイクの威力もコースも普段やっているのとは難易度が違う。俺だけ何度も失敗し、最後には相手側から俺用に難易度が落とされたものに変わった。
美佳ねえはよく「妹は競技歴4ヵ月なんで……」と俺のフォローに回っていた。すまぬ……
が、サーブ練習は別。俺はいつものようにスパイクサーブをすると周囲の目の色が変わった。
「優莉すごいな。あんなにすごいサーブを打てる女子なんていないよ」
重野さん改め由美お姉ちゃんが俺に声をかける
「私、由美お姉ちゃんと違って、サーブとスパイクしか取り柄がないから……」
「……あぁ。ごめん。君は真面目なんだね。あれは冗談。練習中は重野さんとか重野先輩でいいよ。もちろん、由美さんとか由美お姉ちゃんでもいいけど」
冗談だったんか!わからんよ!そんなの!
周りを見ると、「あの冗談、本気だと思ってたんだ。可愛い!」って顔をみんなしてた。いや、だからわからないって!
続けてスパイク練習。ある意味、このために来たといっても過言ではない。
女子の世界ではありえない高さからこれまた女子の世界ではありえない威力のスパイクを打つと、周囲は俺が愛玩動物枠ではなく選手枠で呼ばれたことを理解してくれたようだ。
「妹の方の立花」
アリーナの空気を換えた女性、田代監督が俺を呼ぶ。
「立花。もう一度、ここでスパイクしてみて」
なんだろうか?自分で言うのもあれだがいいスパイクだったと思うんだが?
言われるがまま、もう一度スパイクをしてみる。
スパイク後、田代監督を見るとなぜか天を仰いで、その後深々とため息をついた。
そしてとんでもないことを俺に言った。
「立花。お前は後10cmは高く飛べる」