閑話 上杉 勝
なにもバレー部に加わったのは未来達だけではないというお話
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もう10年以上昔の話になるが、未だかつて俺の人生であれほど興奮したことはない。
クソ暑いはずの熱気を感じない
鳴り響いているはずの鳴り物の音は聞こえない
いつも痛い右足首の痛みも今は感じない
舞台は高校球児の憧れ
真夏の甲子園
9回表まで終えて2対3
俺達が1点差で負けていて、しかも下位打線からのスタート。
だが俺達は諦めなかった。
先頭打者が12球粘って四球で出塁。
2番目の打者は内野フライに倒れるも、3番目の打者がポテンヒット。
一死一、三塁。
「上杉。頼んだぞ」
監督からの指示で一塁に代走。
俺は投手に警戒される中、盗塁を決め、これで一死二、三塁。
すると相手は満塁策に出た。これで一死満塁。
二塁上で俺は全集中力をボールに向けていた。多分、頭を叩かれても気が付かないと自信があるくらい集中していた。
そして――――打った!
打球は二塁手と中堅手の間に落ちたことだけ確認した。その後、ボールは見ない。その分だけ遅くなる。
三塁に向かう。チームメイトは腕を回していた。
そのまま本塁へ駆ける。駆ける。駆け抜ける!
本塁に無事帰還。
9回の裏に漫画みたいな勝ち方で逆転。
「上杉ぃい!!お前は神だ!!!」
チームメイトからの手荒い祝福。鳴り響く大声援。今更になって痛くなった右足首。
全てが最高だった
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バン!!
フォームもへったくれもない力任せで強引に打ったボール。それを部員で一、二位を争うくらいレシーブが下手な少女がレシーブをして見せる。
「良し、優莉。それでいいぞ。強打でも軟打でも基本は変わらない。今みたいにボールの下に入って真正面でレシーブすればいいんだ」
教職としては後輩にあたる佐伯先生がそう指導する。
何の因果か、7月下旬に急遽バスケ部の顧問からバレー部の副顧問になって、そのまま突入した合宿も今日で3日目。
ちなみにこの3日間、合宿施設の従業員を除けば俺は男女比1対9でずっと過ごしてきた。
一部ではこの状況を羨ましいと思う奴もいるかもしれない。
だがね、女9人のうち8人は女子高生、半年前までなら女子中学生。彼女達から見れば今年で30歳の俺はお兄さんではなく、おじさん枠だ。そういう目で見られることはない。
こっちはこっちで乳臭いガキはお断りだから丁度いいんだよ!(震え声)
そして何より男としての威厳が保てない。
俺の身長は171cm。
まあ成人男子の平均並みだ。
が、俺より背が高いのが4人もいる。さらに1人は俺とそう変わらない奴もいるから、この偏った空間では俺の身長が女性並みに見えてしまう。
だったら力仕事で、というものもどう考えても俺より力持ちが1人いるのでそっちも無理。
自己紹介が遅れたな、俺の名は上杉 勝。いまのままではあと2ヶ月で魔法使いになる公立高校の国語教師だ。
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時刻は22時。夜間練習も、その後の入浴も終え、生徒達は再び俺の前に集まっていた。
夜の勉強会(卑猥な意味じゃないぞ)の開始である。
期末テストで悲惨な点を取ったものもいるが、うちの生徒達は真面目で学生時代の俺とは比べ物にならないほど勉学に対し真摯に向き合う。
初日こそブーたれていた生徒達も、いずれはやらなければいけない宿題が相手となれば黙々と勉学にいそしんでいた。
というか、生徒のうち3名はすでに夏休みの宿題をすべて終え、早くも1学期の復習と2学期の予習をしている。
……俺はいらんな。佐伯先生が入浴中ということで俺が監視役で来ているが、本来、夜に男性教師が女子生徒と一緒の部屋にいるなどいらぬ誤解を招く可能性がある。早々に出るか。
「上杉先生。先生は奥村先輩のことを悔やんでるんですか?」
俺が部屋から出ようと立ち上がる直前、奥村からバスケ部の主将を引き継いだ前島が俺にそう聞いてきた。
「なぜそう思うんだ?」
「7月以降、めいいっぱい練習させるどころか、やれオーバートレーニングだとか、やれクールダウンを念入りにやれだとかの指示が増えたんで」
……そういえばこの合宿も初日に夜間練習を中止にさせたり、今日も練習メニューを変えさせて運動強度を落とさせていたからそう思われたか。
「……多分お前の考えている悔やんでいるとは少し違うだろうが、そうだな。確かに悔やんでる」
「先生が気にするよなことじゃないと思うんですけどね。先生はずっと無理すんな、って言ってましたし、それでも練習を続けたのは奥村先輩です。アタシが同じ立場でもきっとバスケをやってましたよ」
「だろうな。俺も昔、怪我をおして部活を続けたことがある」
「なんすか?その話。初めて聞くんすけど?」
「先生!その話面白そう!」
ふと周りを見れば生徒8人全員が俺の方を見ている。いい機会だ。俺の考えを聞いてもらおう。
「はぁ。わかった。それじゃ今年で30になるおっさんの昔話をしてやる。途中で退屈になっても責任は取らんからな。
俺は高校3年だった時の今頃、つまり今から10年以上昔の8月に一度だけテレビに出たことがある。お前らも知ってんだろ?夏の甲子園だ。
俺の出身校は公立校にしては野球が強い高校でな。3年の時に県大会を勝ちあがることが出来たんだ。もっとも、甲子園に出れるくらいの高校だ。選手層も厚かった。
1年、2年の時はユニフォームすらもらえず、3年になってようやくユニフォームが貰えた。レギュラーなんかじゃなかったけどな。俺は足が速くて、それを見込まれての代走要員だった。
実は俺より足の速い奴がいたんだが、そいつは怪我をしていた。俺もシンスプリント……まあ、怪我の一種だと思ってくれ。とにかく俺も怪我持ちだったが、俺はそれを隠し通した。だから俺はユニフォームを着れた。
そんな俺だから奥村の気持ちを察してしまい、試合でも使ってしまった」
生徒達からの目は真剣そのものだ。ここまではこいつらもなにか感じるところがあるのだろう。
「話は戻るが、ユニフォームをもらえたからって試合に出れたわけじゃなかった。県予選は出番なし。甲子園でも初戦は出番なし。でもな、あったんだよ。出番。2回戦に。
野球のルールがわからん奴もいるだろうから詳しくは言わんが、俺達は試合が終わる直前まで負けてた。でも最後の最後で逆転、しかもその勝因は代走で途中出場した俺だったんだ。
嬉しかったよ。試合出場時間はわずか8分。それが高校時代公式戦に出た全ての時間だった。笑えんだろ。小学生の頃から野球を始めて、高校に入ったら毎日鬼みたいな監督から地獄めぐりみてえな練習を怒鳴られながらやって、その果ての出場時間がたったの8分だぜ?」
「……先生は野球を続けたことを後悔してるんですか?」
「いいや。全く。それどころかやり直せるなら何回だろうと同じことをやる。……それだと芸がないか。前以上に練習してもっとすごい野球選手になる。
……だからこそ、奥村の怪我を知っていてもバスケを続けさせちまった。あれは俺の失敗だった」
「先生は怪我をおして野球を続けたことを後悔してないんですよね?だったらどうして奥村先輩のことは悔やむんですか?奥村先輩だってわかっていて続けたんだと思うんですけど……」
「そうかもしれんが、それを奥村に、お前たち生徒に押し付けたら教師はダメなんだ。実際、病院で奥村の親御さんに謝ろうとしたら逆に奥村も親御さんも『先生は悪くない』っていうんだぜ?
あのセリフは生徒にも保護者にも言わせちゃいけない。俺はそこでようやく俺が間違ってたことに気が付けた」
「じゃあ、先生は仮に自分が高校生だった時に怪我をしていたら、自分から公開したってことですか?」
「それはやらない。そんなことを生徒に選択させない。もちろん、怪我をしたから試合に出れなかった、なんて後悔もさせない。もっと前の段階、そも怪我をさせない指導を俺はする。
この3日間、俺から見て無理だと思ったら練習強度を落としたり、練習を中止にしたのはそのためだ。わかったな」
やっぱりこいつらは真面目だ。俺の話を真剣に聞いて理解したうえで俺にその視線を向けている。
「そうそう。俺には1つ夢があってな。10年以上経つが未だに甲子園の興奮が忘れられん。だからいつか、今度は顧問としてあの舞台に立つのが夢なんだ。春高って言うのは野球の甲子園みたいなもんなんだろ?
俺はいつかの甲子園のために中型免許を取っている……要するにマイクロバスだって運転できる。今回は急だったから間に合わなかったが、8月下旬の玉木商業との合宿、11月の公式戦は学校からマイクロバスを借りれる。もちろん、その間に練習試合があれば学校と交渉する。ボールだとかの用具は俺が運んでやる。だから」
「俺に正月早々、東京の体育館まで運転させてくれよ!」