閑話 佐伯 加奈子
先生もまた学習中
自分でやるバレーと、自分が指揮するバレーは全くの別物だった。それを先月嫌というほど味わった。同時に監督としても教師としても自分が未熟であることを痛感させられた。
松原女子高校に赴任したのは4月のことだった。在校生だったのは6年前。当時の先生のうち半数がどこかに異動していたが、それでも半数は残っていた。
「おぉ!名簿を見た時はもしやと思ったが、佐伯……じゃなかったな佐伯先生。ようこそ、松原女子高校へ」
真っ先に私に声をかけてくれたのは3年間体育の時間でお世話になり、2年の時は担任でもあった田島先生だった。
……記憶にあるよりだいぶ頭に白いのが混じっていた。
「田島先生。お久しぶりです。今年新卒でわからないことばかりだと思いますので、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」
「!!あの佐伯が敬語を使えるなんてなあ。俺も年を取るはずだ」
はははと笑い出す田島先生。随分失礼だと思ったが、6年前を思い返し、反対に恥ずかしくなった。当時野蛮人だった自分を何発かぶん殴りたい。
その後、田島先生から色々聞いた。一番ショックだったのはバレー部の顧問、大谷先生が私と入れ替わりで異動になったことだ。そのためバレー部の顧問は白紙らしい。私は当然の如く立候補した。
そのバレー部は、随分寂しくなっていた。私の代には各学年ごとでチームが組めて、なお余りが出るほどだったのに、現在はわずかに3名。
どうしたものやら、と思う間もなく、とんでもない1年が5人も入ってきた。
ここでも指導力というか、計画的に練習を立てて指導することが私には抜け落ちていることが自分でわかってしまった。
この不足を補ったのが生徒達だ。1年のうち優莉という子はバレーこそ素人ながらどのように練習すればどのような効果が得られるか、よく知っていた。本人曰く、こうした理論の組み立ては大好きらしい。
優莉の知識だけでは机上の話となるが、明日香や陽菜がそれを現実的なところまで落とし込み、これまたどこからか手に入れてきた日本代表が行うような練習メニューを自分達用にアレンジしてこなすようになった。
……私はいらないな。
練習試合も組みたかったが、結局組めなかった。新米教師の私には各校へのつてがなく、また、少し前まで部員割れを起こしていたようなチームと練習試合など時間の無駄と思われても仕方がない。言い訳はできるが、最終的には組めなかった責任は私にある。これも至らない。
初試合の時もそうだ。第2セットはあえて優莉を外して試合に挑んだが、選手起用方法を間違えた。美穂と優莉はプレイスタイルが全く異なる。その美穂に優莉と同じようにブロッカーとしての活躍を期待するのは間違っていた。
結果として勝つことが出来たが、第1セットが25-3に対し、第2セットは25-20。美穂の自尊心をいたく傷つけてしまった。
その後も私なりには一生懸命やったという自負はあるが、では100%部員が力を出せるように動いていたか、といわれると辛い。
監督として特に至らないと痛感させられたのはあの姫咲高校との試合。
相手のリベロがミドルブロッカーのサーブでベンチに戻るたびに、タイムアウトのたびに、選手交代のたびに、セットが終わるたびに、確実に姫咲高校はこちらに合わせた戦術に変えてきた。
無論、赤井監督の指示だ。
相手は海千山千、万戦錬磨の名将とはいえ、私がしっかりしていればあの試合は勝てたのではないか?監督として指揮するバレーがこんなにも難しいとは……
「佐伯先生。浜原先生が進路指導室にお呼びですよ」
「浜原先生が?」
期末テストも終わった7月中旬。顔は6年前から知っているが学生時代も教師になってからも一切接点のない浜原先生からの呼び出しに戸惑う。いったい何だろう?
生徒指導室に入ると中には浜原先生、新田先生の他、恵理子がいた。
「佐伯先生。待っていました。実は板垣さんがまだバレーを続けたいと言っているんです」
……なるほど、そういうことか。浜原先生は3年生の学年主任、新田先生は恵理子の担任だ。
「恵理子。まだバレーを続けたいんだな?それを浜原先生達に諦めるように言われているんだな?」
機先を制して私から切り出す。
「!!はいっ!もう少しだけ、春高までバレーを続けたいんです!私は美穂と違って特進クラスではありませんし、バレーは今しかできません」
「板垣さん。こう言ってはなんだけど、続けたとしても春高に出れるわけじゃないのよ?それに仮に出れたとしてその先はどうなるか考えていますか?」
「板垣。ちゃんと考えてみろ。別に無理をして難関大学を受験しろ、なんて言わないがこの先の半年がお前の人生を大きく左右するんだ。特進クラスの連中だけが受験を頑張ればいいんじゃない。自分の人生なんだぞ」
「自分の人生だからこそ、今しかできないことをやりたいんです」
この高校には少し変わったクラス分けがある。1年生時は全員共通の教科を受けるが、2年進学時には文理分けを行う。ここまでは普通の高校と変わらない。が、1年時に成績優秀者上位40名のうち、希望者には特進(特別進学の略)クラスへの進級が可能となる。
授業内容は文系科目も理系科目もそれぞれ専門クラスと同等以上に学ぶ、というもので授業のコマ自体は文系/理系クラスと変わらない以上、1教科当たりの授業の進みが速く、学習する科目数が純粋に多い。中間/期末テスト時もテスト科目が多いが、一方で国立大学進学を目指すのであればオールラウンドに出来た方が有利ではあるので。
これを目当てに松女に進学してくる子もいるほどだ。実際に進路先で有名大学に受かっているのはこの特進クラスの生徒が多い。
バレー部では美穂がこの特進クラスだ。
私の言うべきことは……
「恵理子。私はお前がバレー部に残ってくれると非常に嬉しい。1年生達も大喜びするだろう」
「!!じゃあ!」
「だが恵理子。順番を間違えるな。まずはご両親と相談したのか?保護者の了承を得ないで部活を続けることはできない。そんな状態では私もお前の部活動参加を認められない」
「!!」
「で、どうなんだ?」
「……母には部活を辞めるよう言われています」
「だったら――」
「でも先生は高校生だった時に冬まで部活を続けたんですよね?どうして私はダメなんですか?」
「私は親を説得した。親が納得した。恵理子。よく聞いて欲しい。お前が簡単に思っているほど高校3年生の夏は軽い物じゃない。それに恥ずかしい話だけど、私は……あの時11月まで残った私達3年生は4人全員1年間浪人生をしてるんだよ」
「えっ?」
「変だと思わなかったのか?前々から私は『今年から教師』って言っていた割に、『卒業は6年前』だぞ。もちろん、あの時バレーを続けたことに後悔はない。もう一度あの場面になればバレーを続ける道を選ぶ。
でも、それは考えた末、親も納得の結論だ。浪人生の間、いくらお金がかかるか真剣に考えたことはあるか?予備校に通うなら年額で100万円近くかかる。このお金は誰が出すんだ?」
「……」
「恵理子。もう一度言う。私はお前がバレー部に残ってくれたらうれしい。でも順番を間違えるな。まずはご両親と話し合ってからだ。浜原先生、新田先生。まず恵理子はご両親と話し合うところからだと思いますがどうでしょうか?」
「板垣さん。佐伯先生の言う通りです。まずはご両親とよく話し合ってください」
「板垣。お前がどうしても、というのなら俺もその道を否定しないが、まずはもう一度、しっかり考えてみろ。な?」
この後、恵理子は渋々進路指導室を出て行った。
恵理子が家に帰る前に、私は恵理子がいかにチームの柱であるかをまとめた手紙を恵理子に持たせた。
これが、ご両親を説得するせめてもの助けになればと思ってのことだ。
……だが、恵理子のご両親は部活を続けることを望まなかった。
間違ってはいない。恵理子がいても必ずしも春高に出れるわけでもないし、仮に出れて、そのうえ色々な奇跡と偶然が重なって優勝までしたとしても恵理子にバレーの進路は開かれない。悪いが、恵理子程度の運動能力ではバレー推薦は無理だ。
だとしたら将来に向けて勉強をし、受験に備えた方がいい。
間違っていない。間違ってはいないが、本当にそれでよかったのだろうか。
もっと私に力があれば恵理子にバレーを続けられる道もあったのかもしれない。つくづく、監督というもの、教師というものは難しい。
私が職員室で黄昏ていると、電話が鳴った。
「佐伯先生。お電話ですよ。相手は―――」
この1本の電話がバレー部、そして私の監督としての心構えを大きく変えることになる夏を呼び込むことになる。
※補足
作中の特進クラスですが、現実にはあり得ません。
文系が週に3時間古文Ⅰと数学Ⅱを学び、
理系が物理と数学をそれぞれ3時間学ぶとします。
これに対し、特進クラスは古文と数学Ⅱと物理を週に2時間学びます、
内容はそれぞれ文系、理系と同等以上に学びます、
という無茶苦茶設定なので……
あくまでも本作中の設定とお考え下さい。