閑話 市川 真貴子 その2
真理ちゃんの打ったサーブがネットで止まる。
ピッピーーー!!
試合終了の笛が鳴った。後ろを振り返れば真理ちゃんが膝を崩して泣き始めた。
セットカウント 1-2
私達の夏が終わった。
……こう言っちゃいけないけど、失敗したのが真理ちゃんでよかった。真理ちゃんが失敗したのなら仕方がない。真理ちゃんはうちで一番なんでもそつなくこなして、一番堅実、ミスが一番少ない。そのうえで真理ちゃんにかかったプレッシャーを考えてみる。
1点差で負けていて、相手のマッチポイント。
ここは無難に、と行きたいところだけど、相手の前衛には男子並みの高さを誇る怪物ちゃんがいる。生半可なサーブをすれば忽ち豪速スパイクとなってボールは返ってくるだろう。となれば攻めのサーブをしなければならない。でも1ミスで相手の勝利。
そのプレッシャー、想像するだけで胃が痛い。
さらに真理ちゃんだけだったのだ。最後のあの時までサーブを失敗していなかったのは。私もやっちんも他のみんなも1度はサーブを失敗している。無論それは攻めのサーブをした結果であって仕方のない面もあるが、それでも5点も6点も献上しているのだ。たまたま最後の1点が真理ちゃんなだけであってそれを責めるような奴は私達の中には一人しかいない。
真理ちゃん本人だ。
同じ1点のはずなのにラストの1点というだけで重みが(本人限定で)違う。泣きたいのはよくわかる。でも私はキャプテンだから言わなくちゃいけない。
「真理ちゃん。立って。整列しないと」
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「「「「「ありがとうございました!!」」」」」
エンドラインから多分これが公式戦最後のバレーの礼。真理ちゃんはまだ泣いてるけど、続いてネットへ駆け寄り松女の選手と握手。キャプテンだから私は相手のキャプテンと主審、副審にも握手をする。
「おめでとう。準決勝は姫咲だけど頑張ってね」
「ありがとう。うちのエースは姫咲だって打ち砕いてくれるわ」
敵を見誤った。彼女こそ、松女の大黒柱だった。
「最後までありがとうございました」
「君もお疲れ様」
この試合、長丁場だし、途中で一人医務室に行っちゃうしで審判も大変だったと思う。
「長時間ありがとうございました」
「丁寧にありがとう。気を付けて帰りなさい」
時計を見れば午後7時近くだった。もう夜だよ・・・
挨拶を済ませ、コートを見渡せば天使ちゃんがいた。
・・・こうしてるとただの天使なのに試合中はあんな怪物になるなんてね・・・
気がつけば私は天使ちゃんに向かっていた。
「君、優莉ちゃんだっけ?すごかったね」
いや本当にすごかった。人は見た目によらないっていうけど、天使ちゃんもそうだったんだね。右手を差し出すと、天使ちゃんも右手で握手をしてくれた。柔らかくて、でもちょっと硬い手のひら。
右手と左手で硬さが違うなんて、いったいどれだけ練習したんだろう。
「市川先輩こそすごかったです!あんなに何でもできる選手、初めて見ました!」
お世辞かな?でもものすごいキラキラした目でこっちを見てくれる。
この子、やっぱりすごくかわいい。ずるいなあ。
容姿だけでも反則級なのに声も可愛いし、バレーの才能だって私の比じゃない。あのジャンプ力、たぶん世界と戦えるレベルだとさえ思う。そのうえ、慢心せず、努力だってできる。やっぱりずるい。
気がつけば私は空いた左手で天使ちゃんを胸元に抱き寄せてた。
「君みたいなすごい選手が最後の相手でよかった。これで心置きなく引退できる」
・・・きっとこの子は将来すごい選手になる。その時は自慢してやろう。「私はあの立花優莉のスパイクをレシーブしたことがある、あと一歩まで追い詰めたことだってある」って。
それにしてもやっぱり天使ちゃんは存在がずるい。可愛い容姿、可愛い声、おまけに抱きしめてわかったけど匂いまでいい匂い・・・
!!
まずい!私、今汗だくじゃん!天使ちゃんに「こいつ汗くさい!」って思われる!
何食わぬ顔をして、天使ちゃんを離し、
「本当にいい試合だった」
とそれっぽいことを言ってその場をそそくさと離れ、チームに戻ることにした。
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熊田先生のもとに集まった私達の表情は暗い。真理ちゃんはまだ泣いてる。他にも泣いている子が何人かいる。
「よく戦った。勝負は時の運。あと一歩及ばなかったが、いい試合だった」
先生はそう総括する。本当にあと一歩だったと思う。でも不満の声を上げるものもいた。私達はちゃんと戦えていれば勝てたと。
試合と試合の間が短かった。やっちんが不幸な事故で第2セットをほとんど戦えなかった。事前に相手だけ情報封鎖されていたのは卑怯だ、等々。
「でも、それは言ってはダメよ。相手だって休憩時間は短かった。もし、相手も元気いっぱいで戦っていたらもっと苦戦していたかもしれない。やっちんにボールが当たったのだって、それを覚悟のうえでアタックラインより手前にレシーバーを配置したのはこっちよ。相手を責めるなんて間違ってる。たらればを言ったらきりがない。私達は負けた。これだけが事実よ」
みんなが黙る。わかっているのだ。そんなことを言っても仕方がないくらい。
「千晶。後は頼んだわよ。もしかしたら3年生の中で残る子がいるかもしれないけど、今から玉木商業女子バレー部はあなた達の代。大丈夫。あなた達は強くなれる。私達よりずっと」
後ろを向いたって、過去に不平を言っても何も始まらない。前を向かなきゃ先には進めない。
千晶は気分屋でお調子者だけど、ハマった時の凄さはチーム一だ。伊達に1年の夏からレギュラーを取ってない。それに千晶達の代は私達の代よりは背が高い。今は私の代より弱くとも伸びしろは十分にある。
インターハイ県予選でベスト8まで残れたから、春高予選は2次予選の始まる11月から。6月はもう終わる。実質4ヶ月。後悔して止まっている時間なんてない。
なおもぐずる千晶達を一喝し、引継ぎをする。
・・・これでバレー部としての仕事も終わりか・・・
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「ただいま」
家についた時には8時を過ぎていた。
「お帰り。どうだった?」
「ん。負けた」
「そう・・・。お疲れ様。晩御飯、すぐにできるから着替えてらっしゃい」
「は~い」
あれ?意外。
負けたら受験だ、夏季講習だってあれだけ言ってた張本人が何にも言わない。
まあいいや。着替えようっと。
けれども、自分の部屋にたどり着くと、着替えることなく、そのままベッドに倒れ込んだ。そしてうつぶせの状態で叫ぶ。うつぶせなら声は漏れないから。
(ア゛~~~~~~~)
もう終わり? まだ6月だよ?
今年のチームは私の所属したチームでは歴代最強だった。
(ア゛ッ~~~~!!!!)
夏までバレーをやる気だった。親だって説得した。
なのに・・・
(ア゛ッッ~~~~!!!!!!)
こうして私はバレーボールから引退した。
12時と15時にも投稿します