063 VS南田東高校 その3
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春高初日
大会会場
松原女子高校 VS 南田東高校
第2セット終盤
第三者視点
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第1セットを落とし、第2セットも3-18と大きく負け越し、さらにここから3ローテ分、日本のエース立花優莉が前衛にいる、おまけにこのセットを落としたら初戦敗退となる絶望的な状況の南田東だが、ここにきて開き直っていた。
試合前の作戦はある意味その通り進めることが出来た。
・世界選手権で規格外の決定率を誇った立花優莉にスパイクを打たせないためにたとえ後衛であっても牽制目的で積極的に狙う
・松原女子は強烈なサーブで試合の主導権を握ってくる。だからこそサーブレシーブをしっかりやり、相手の思惑を崩す
大きく言ってしまえば南田東が事前に立てた作戦はこの2つである。
それは出来た。
が、予想外の出来事も大きく2つ。
・立花優莉の守備力が非常に高く、牽制目的だけでなく点取り目的の攻撃もAパスで拾われてしまった
・立花優莉の対角、村井玲子の攻撃力が非常に高かった
南田東はなにも緩いボールだけを松原女子のコートへ返していたわけではない。中には強烈なサーブをきれいにレシーブして逆にスパイクで攻撃し返した事もあった。
その攻撃の向かった先には立花優莉がいたのだが、彼女はこれをことごとく拾って見せ南田東の点にはさせず、逆にその拾ったボールを姉の立花陽菜がレフトに上げて村井のスパイクで失点。
これがここまでに多くみられたパターンだった。
相手エース 立花優莉の守備力を甘く見てしまったが、それ以上の失策がその対角の村井玲子の攻撃力を過小評価し過ぎてしまったことだ。これが大差の原因となっている。
立花優莉の攻撃力が凄いことは知っていた。バレー関係者だけでなく、もはや日本国民の常識レベルでそれは知られていることだ。
しかしそれでも松原女子の監督は試合前から自分たちは2枚看板であると言い続けていた。
その意味を南田東は理解した。
自分たちは松原女子のレフトをすごいスパイカーの村井とものすごいスパイカーの立花優莉と試合前は判断していたが、そうではない。
松原女子のレフトはふたりともものすごいスパイカーなのだ。
そうとわかればこの状況は今までと何ら変わらない。
ものすごいスパイカーが後衛に下がって代わりにものすごいスパイカーが前衛になった。それだけである。
なんならそのものすごいスパイカーのボールを拾えればすごいことだし、仮に失点しても1点。そう。たかが1点。バレーボールではどんなにすごいスパイクでも1点しか得点できない。それなら今までと何ら変わらない。そう考えて『いた』。
松原女子4番手のサーバーは村井。当たり前のように長い助走距離を確保して、高くボールを上げて大きなバックスイングから高く飛んで渾身のスパイクサーブを放つ。ビッグサーバー揃いの松原女子でもボールの速さなら立花優莉に次ぐ強烈なサーブ。何とか拾うも返すのが精一杯。三手目で山なりにボールを返すと、松原女子はリベロがファーストタッチ。
バレーボールのお手本にしていいようなきれいなセッター返し。ファーストタッチがリベロだったこともあり、前衛3人の助走距離はばっちり確保されている。後衛に下がった村井も攻撃可能な状態。
速攻、ブロード、同時攻撃、バックアタック。何でもできる、どこからでも攻撃できる理想的な状態。
にもかかわらず
「レフト、オープン」
セッターの立花 陽菜が選んだのはレフトからの単調なオープン攻撃。しかもそんなことをしなくとも十分な助走時間があるにもかかわらずボールを高く上げ、相手からもどこから攻撃するのか丸わかりというトス。
このトスを受ける妹の立花 優莉は、本来一度ラリーが始まれば常に動きのあるバレーボールにもかかわらず、ほんの短い時間だけ止まり、息を吐くと、そこから大きく腕を振って腕の振りも使って高く飛ぶ。
高校女子バレーボールのネットの高さは220cm。そのネットを飛び越えるのではないかと思うほど高く飛んだあと――
「へ?」「あれ??」「は???」
ボールをたたく一際大きな音が鳴ったと思ったらボールが南田東のコートに落ちていた。
人がなんらかの刺激に対し、反応するまで一般的には0.15~0.30秒ほどかかるとされている。また、これは単純に刺激に対して決められた動作をする場合なので、バレーボールの様に飛んできたボールに対し、前後左右に動いて、手を伸ばしてレシーブをする、という反射に加えてなんらかの判断をして行動する場合、『なんらかの判断』にも時間を要し、これにはさらに0.2秒前後かかるとされている。
そのため、スパイクを打たれ、飛んできたボールに対し適切な判断を下すまでの時間は0.35~0.50秒程度。
ところが、この0.5秒の間に立花 優莉が打ったボールは自陣コートに落ちてしまう。
南田東は理解できなかった。なんなのこれ?いったい何が起きたの?さっきまではそりゃ速かったけど、まだボールに反応できたのに、と。
その答えは単純。
今まで立花 優莉が打ったのはサーブであったり、バックアタックであったからである。
サーブを打つエンドラインからネットまでは9mの距離がある。バックアタックを打つ際にはネットから3m離れたアタックラインより後ろで打たなければならない。
ところが前衛で打つ際には極端な話、ネットギリギリから打っても問題ない。実際にはネットから1m未満程度には離れたところから打ったがそれでも今までよりも南田東のコートに近い位置から
スパイクを打った。
それはバックアタック時と比べほんのコンマ数秒の時間、打ってからコートに落ちるまでの時間を短くしたに過ぎないが、そのコンマ数秒が立花 優莉のスパイクを人類では反応できないスパイクに変えていた。
一度は偶然、もしくは気のせいと思っていてもそれが二度、三度続くと理解させられた。
なぜ3か月前の世界選手権で立花 優莉の決定率が飛びぬけて高かったのか。それは単純にボールが速いとか誰もいないところに打ったとかの話ではない。打った後に反応してもボールが拾えない。
こんなの、人間がレシーブできるようなボールじゃない……
そう理解させられた。
松原女子のレフトはすごいスパイカーとものすごいスパイカーの組み合わせだと思っていた。だが実際にはものすごいスパイカーと規格外のスパイカーの組み合わせであり、特に規格外のほうは人類がどうこうできるものではない。
それを理解した南田東の選手の戦う意思は、ばっきり折れてしまった。
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「あれはね、もう打たれたら負けなの。大切なのはどうやってあそこまでもっていかせないか、ってことよ。松原女子の連携は穴がいっぱいあるし、なんとかなるでしょ」
務めて軽い口調で龍閃山の金田一は周囲に言った。
「けどまあ仮にボールに触れたとしても捌くのは難しいんですよ。おまけにレシーブしたところは多分痣になるし」
それに同じく軽い口調で、だがとんでもないことを言ったのは同じく龍閃山の選手でリベロの稲代。彼女たちはほんの十数日前に行われた高校生向け世代選抜選手として立花優莉と共に選ばれた。
そこで彼女たちは世界のエースとなった立花優莉のサーブだけでなく、スパイクも直で見てみたい、動かないので自分たちめがけてスパイクを打ってほしい、それをレシーブしたいと懇願した。
魔球サーブの練習相手やスパイクを直で見せることには抵抗しなかった立花優莉もスパイクをレシーブさせることだけは渋った。
曰く、怪我をさせるからとのことだった。
そんな大げさなと笑う周囲をよそに、同じ高校に通う村井は苦笑しながら用具室にボクシングで使うヘッドギアがあったからそれを使うのはどうかと提案した。またまた大げさなとこれも笑う周囲とは反対に真剣な顔でそれなら、と了解する立花。いやいや、何を大げさなとその時は松原女子高から来た2人以外は思ったが、実際に立花優莉の剛球スパイクをレシーブしたときには決して大げさでないことを身をもって感じた。
まず、間近で打たれるスパイクは打たれてから反応できるようなものではない。
続けてアンダーレシーブの構えをしているところを狙って打ってもらい、運良くボールが腕にあたったときの衝撃は異次元のものだった。
バレーボールのアンダーレシーブは前腕部でボールを受ける。バレーボールを始めたばかりのころに強いボールをアンダーレシーブするとその前腕部が内出血を起こす。
それも経験と共に徐々に皮膚が鍛えられ、内出血を起こさないようになる。当然、合宿に招集されるような選手はみな経験豊富な選手ばかりであったが、その選手たちをもってしても前腕部がもれなく赤く内出血を起こし、ひどいものになるとそのまま青あざになるほどであった。
当然、ボールを捌くようなことは出来ず、腕に当たったボールは明後日のほうに飛んでいき、とてもではないがボールの行き先をコントロール出来るようなものではなかった。
ここまできてようやく理解した。ヘッドギア装着は決して大げさではなかったのだ。
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「――てな感じで立花先輩もあのスパイクの威力を理解していて、頭というか顔にあたるとお岩さんになっちゃうから気を付けているって言ってました」
「話には聞いてたけど、実際生で見ると迫力が違うね。……先輩たちは去年どうやって勝ったんですか?」
前回女王にして三連覇を狙う金豊山学園高校の選手たちも立花優莉の規格外のスパイクに呆れていた。そして1年生たちは思った。こんな化物相手にどうやって去年勝ったのか、と。
「……去年の球速はまだスパイクを打たれてから何とか反応できるくらいの速さだった。だから打たれたって見てからボールのほうに手を伸ばせば何とかボールに触れることもあった。今年は無理」
1年生たちからの疑問に絶望的な回答をしたのは去年の優勝メンバーでコートにも立っていた3年生の小平。
立花優莉は去年に比べ身長は10cm近く、最高到達点に至っては20cm近く伸びている。体が大きくなれば筋肉もより多くつけることが出来、その結果、球速もあがり去年以上に対処が難しいスパイクになってしまっている。
「――あと、これは言っても仕方ないけど、去年だってあのスパイク相手にしっかりレシーブなんて殆どできなかったよ。ただ、去年はちょっとでもボールに触ってちょっとでも上げればそれを拾って攻撃につなげちゃうすごいセッターがいたからね」
絶望の補足を付け加えたのは同じく去年の優勝メンバーでレギュラーとして戦い、今年は怪我と現2年生の急成長でユニフォームは着れるがスタメン落ちが続く3年生の國本。
その國本がいう『すごいセッター』とは卒業後1年目で世界選手権で日本代表としてユニフォームを着て試合にまで出た飛田というOGのことである。
流石にこのレベルの選手が毎年入部するはずもなく、今の部員と比べるのは無理があるので『言っても仕方ない』と評した。
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「――まあでも立花のスパイクで一番やばいのはブロックできない高さでもレシーブできないくらい速い球速でもないんだよなあ」
「ですよね」
そんなつぶやきとそれに相槌を打ったのは桜山の藤堂と近藤だ。
「どういうことですか?」
そのつぶやきに疑問を呈したのは同じ桜山のチームメイト。ブロックできない、レシーブもできないという驚異のスパイクでも一番の武器はそこではないとはどういうことか。
「みんなも実感があると思うけど、飛んでスパイク打つまでの時間ってほとんどないでしょ?いくら立花が私たちより1mくらい高く飛べるからってそこはあんまり変わらない。むしろあれだけ上体を反らすんだから打つほんの瞬間手前はボールも相手コートもろくに見えない。でも、的確に相手コートの隙を突いてくる。あれ、みんなできる?」
「……」
そう言われてしまうと安易にできると即答は出来ない。なるほど。高さと球速だけではなく的確にスパイクを打ち分ける技術と頭脳もまた立花優莉の武器なのだ。
「立花先輩自身、自分のスパイクが無敵だと全然思ってないんですよね。合宿の時に教えてもらったんですけど、私とかがさわっても痣を作るのが精一杯だったあのスパイクも先輩のお姉さん――あ、今松女でセッターやっている方じゃなくて、全日本でリベロやっている方なんですけど、そっちのお姉さんには簡単に捌かれるって嘆いてました」
「え?あのスパイクって対策出来るんですか?」
「対策というか、本人が言ってたけど、別にスパイカーがスパイクを打つまでレシーバーは動いちゃいけません、なんてルールがあるわけじゃないんだから立花の癖というか狙ってくるコースを先読みしてそこに見事ボールが飛んでくればレシーブは出来る。現に立花のお姉さんにはそれで拾われるって言ってた。だから私たちも理論上は拾える可能性がある」
「これも理論上ですけど、別にあのスパイクをAパスでレシーブすることだってできますよ。現に合宿中で何度かチャレンジした人がたまたま1、2回いい感じにレシーブできたこともありましたし」
「けどまあそれは立花がレシーバー目掛けてスパイクを打ってくれたことが前提条件だったし、実戦だとレシーブしやすいところには打ってくれないから本当に理論上は、ってところだけどね」
「立花先輩、私以上に高く飛べるのに私よりずっと謙虚であれだけの身体能力を持っていながら全然天狗になってないし、慢心ゼロでむしろ自分は下手だからって合宿中も畏まってました。人柄としては間違いなく優しくていい人なんですけど、敵に回すとボスキャラなんだからもうちょっと慢心してくれよって言いたくなりますよ。あと、先輩。頭がめっちゃいいからなのかまるで心を読んだかのようにえ?そこに打つの?ってくらい相手のスキを突くのがうまいんですよね」
「あ~。それもあった。というか、あいつ人の癖を見抜くのが出鱈目に巧いんだよな。集中しだすと守備でもこっちの考えを読んだかのように先読みしてブロックとかレシーブとかしてくるし」
いかに立花優莉が規格外であるかを実体験を交えて藤堂と近藤はチームメイトに還元していた。
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そのように強豪校が立花優莉の異常性に頭を抱えている中、別の意味でバレーボール女子日本代表を率いる田代監督は頭を抱えていた。
(立花……お前、そうだったのか……)
田代監督から見て、立花優莉は我が強い選手が多い現女子代表の中では、珍しく融和を重んじ、相手の意見に合わせ、どちらかといえば内向的で大人しく、異母姉の立花美佳が大好きでいつも彼女の後ろについて回る、素直ないい子、という印象を持つ少女だった。
この性格に加えて、同性の目から見ても愛らしいと思わせるとても整った容姿、バレーボール女子代表の中では一回り以上小柄な身長、さらには一人だけいまだ現役高校生という点もあって代表内では選手、スタッフ双方から可愛がられるマスコット的な地位を確立していた。
自身も相手が唯一の高校生であることから何かあっても彼女ではなくちゃんとフォローしてやれと周りに雷を落とすことが多かった。
その最たるものが彼女へのトスだった。
特に男子に比べ高さと筋力で劣る女子バレーボールでは如何に相手ブロッカーを振り切り、相手レシーバーのいないところに打ち込むのか、がカギであり、そのための速攻であったり、同時攻撃であったり、フェイクモーションなどの技が存在する。それを司令塔としてコントロールするのがセッターの役目であり、世界選手権でも積極的に速攻を使っていた。
そのため、彼女に見えないところでは日本代表に選んだ川村や飛田が最強スパイカーにどのようなトスを上げるべきか苦心している中、世界選手権中のインタビューで当の彼女は誰のトスが一番打ちやすいか、という問いに対し、同じ高校に通う姉のトスが一番と即答していた。
それは姉妹の仲の良さを表す、可愛い話だとずっと思っていた。だが、先ほどの3連続得点を見てそれが間違いだと確信した。
まず1点目。
きれいにAパスがセッターに返り、スパイカーは3人とも、何ならバックアタッカーも準備万端。こういった場面では本来いかに相手ブロッカーを振り切りスパイカーに打ちやすいトスを上げるか、セッターの腕が試されるところである。
ところがこんな絶好の場面でセッターが選んだのはいつでもできそうな凡庸なレフトへのただ高いだけのトス。
これに対し、立花優莉は落ち着いて助走に入り、渾身の一撃を叩き込んで1点。
続けて2点目。
南田東は強烈なサーブを何とか凌いで逆にスパイクで攻撃。松原女子はブロックするもボールは大きくはじかれてコートの外へ。これを猛ダッシュでサーブを打ったばかりの村井が拾ってコート内へ送り返すもセッターは所定の位置から大きく動かされるCパスと言われるような状態。
ここも本来、ある意味でセッターの腕の見せ所なのである。この状態からいかに得点につなげるか、凄腕セッターなら強引にセカンドテンポ攻撃に持ち込むこともあり得る、この場面で松原女子のセッターが選んだのはまたしても凡庸なレフトへのただ高いだけのトス。
……このトスなら小学生にだってできる。高校生の全国大会でやるようなトスではない。
しかし結果はやはり立花優莉の圧倒的な実力で南田東のレシーバーを蹴散らし松原女子の得点。
3点目もファーストタッチの経緯はどうであれ、トスは判を押したようなレフトへのただ高いだけのトス。
……セッターの実力を見せる場面が全くない。
それでも今度は立花優莉自身が工夫を凝らし、わざと片足のみのジャンプで打点を下げてまたも得点。これはレフトへのハイセットが上がった時点でブロッカーを配置せずフロアメンバー全員をレシーバーに回したことに対して、立花優莉からブロッカーを配置してたらボールを止められたかもよ、という皮肉を込めた一撃だ。慢心せず、精神攻撃も忘れていない。
いずれの場面もセッターの考えなど必要ない。スパイカーである立花優莉の考えだけで得点している。
だが、これでわかった。
態度には表してなかったし、口で表した時も例のインタビューの時にうっすら匂わす程度で表立って表してなかったが立花優莉はずっと不満だったのだ。
私にはブロックにつかまらない高さから常人では反応できない速度でスパイクを打つことが出来る。なのになぜ凡人であるお前たちの小細工が必要なのか。
私にはいつも一定の高さ、位置にボールを上げてくれればいい。あとはすべて私が考えて私が決める。
おそらく彼女はずっとそのように考えていたのだろう。
冷静に考えれば先月ようやく17歳になったばかりの彼女からすれば、自分から見れば半分以下の年数も生きていない小娘同然の20歳そこそこのほかの代表選手も十分な年上であり、年上の選手からの煩わしい小言に対しても大人しく従うふりをするくらいの器量も賢い彼女は持ち合わせているのだろう。だからずっと我慢していて、それでもインタビューの時に思わず本音が漏れてしまった。
これが真実なのだろう。
田代監督もかつてはバレーボール女子日本代表の正セッターとしてユニフォームに袖を通した。そのため、今でも男女問わずいいスパイカーを見れば自分ならこんなトスを上げる、自分ならこうやってあのスパイカーを活かす、と想像を膨らませるのだが……
(私がトスを上げたくないと思わせるスパイカーは初めてね……)
セッターの仕事はスパイカーにとって打ちやすい理想のトスを上げることである。とはいえ相手の妨害もあるのだからどうしてもブロッカーを振り切るような速いトスを上げたりする必要がある。そこは仕方ないことなのだが、すべてを自己で完結できる立花にはそれが不要。
だからといって単調なトスを上げろというのはセッターとしての誇り、経験を否定するものである。とても自分にはまねできないし、おそらく今の女子日本代表のセッターたちも同じであろう。
それを考えると松原女子のセッターはよくやっている。
村井やライトの主将――確か都平だったか――へB、Cクイック、ブロード攻撃などから考えるとあのセッターもハイセットしかできないセッターではない。それでも自身の矜持を捻じ曲げてでもエースの求める理想的なトスを上げ続けるのはなかなかのものだ。
そういえばあのセッターもまた、立花の姉であったか。
我儘な妹に献身的なトスをあげる姉と見ればそれはそれで可愛らしいものに見えるな、と田代監督は思った。
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これまでの沈黙――実際には後衛だったので機会がなかっただけ――が嘘のようにここに来てエース立花優莉が相手レシーバーにボールを触れさせることすら許さない豪速スパイクで一気に5連続得点。23-3と試合をほぼ決めた状態。南田東は豪速スパイクの前に完全に心が折れてしまった。心が折れてしまえばプレイの質も下がる。足も止まる。
しかしそんなことを想像もしないサーバーの村井は6本目のサーブを相手コート隅に狙って打つ。が、これが微妙なところでラインオーバーとなる。
「あっ……。ごめん」
「ドンマイドンマイ」
「ナイス強気のサーブ」
「いや今のは仕方ない。いいサーブだったよ。あれは相手の判断が正確だった」
「流石、全国常連校。判断が的確で正確すぎる……」
そんな声が松原女子のコートから出るが、実際はボールを追う気力がなかっただけである。
23-4となり、南田東のサーブ。守備の穴と円城寺を狙うが、サーブレシーブは村井と有村でとると決めた松原女子がそれ以外の選手を隅に追いやったことで円城寺もコートの隅に置かれた。その円城寺を無理に狙うのだからボールコントロールを要求されるのだが、すでに戦意を失っていた南田東のサーブにそこまでの緻密なコントロールは当然できず、先ほどの村井とは違い、明らかにラインオーバーと判断できるサーブとなり松原女子の得点。これで24-4。松原女子のマッチポイント。
ここで松原女子は5人目のサーバー、主将の都平がサーブを打つというところで松原女子のベンチが動いた。
サーブを打つはずの都平が交代。代わりに出てくるのは14番の大河 奈央。
その交代にあのネットインサーブが出来るのかと一部はざわついた。公式ウォームアップ中はそんなそぶりを見せなかった。だが、ウォームアップ中やセット終了後のコートの入れ替え時にさりげなくネットの張り具合を彼女は触って確認していていた。これはひょっとして……
そんな思惑を知らない大河はチームメイトとハイタッチを交わしてコートに入り、ボールを受け取ると両手でボールを押しつぶし空気圧を確認しながらサーブを打つためにエンドラインへ足を進めた。
南田東の選手も知っている。彼女がネットインサーブを打てることを。しかしそれは現実離れした話だ。しかも全国の舞台。いきなり打てるかは疑問である。そんな周りの考えなど一切気にせず、大河は笛の合図を待つ。
笛が鳴ると右手をまっすぐ上に上げて
「はい。いきます」
とまるで小学生のバレーボールの様にお行儀よく宣言し、これまた小学生の様にジャンプをしないただのフローターサーブを打つ。球速は松原女子のほかの選手と比べれば特別速いわけでもなく、まっすぐにネットの白帯目掛けて飛んでいく。
いやほんとに?
これ春高なんだけど?
緊張とかしないの?
という南田東の選手の心を声をよそにまるで決まっていたかのようにボールは白帯へぶつかり、それが当然であるかのようにボールはそのまま南田東のコートへ落ちていく。
南田東の選手は心が折れていたのといきなり全国でネットインサーブなんて打てるわけがないという願望から出足が遅れ、ただ落ちていくボールを見守るだけだった。
春高 1日目 1回戦
松原女子高校 VS 南田東高校
25- 1
25- 4
セットカウント
2-0
松原女子高校 春高2回戦進出
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春高 1日目 1回戦終了後
金森 翼視点
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こんなものか
それが私の、春高初戦を勝った私の素直な感想。
チームメイトたちははしゃいでいる。勝ったし、みんな笑顔。それをはしゃぎ過ぎだ、整列して挨拶、と注意する佐伯先生達。
私はそれをどこか遠くで見ていた。
第1セットはずっと、第2セットも最後はリベロのユキ先輩――最初は違和感のあったこの呼び方もようやく慣れてきた――と交代したけどほぼ出ずっぱりの私だけども、活躍はほとんどしていない。
上げた得点はレフト偏重攻撃が続いて油断しきったところを突いたラッキーパンチのCクイックで1点、ブロックでたまたまシャットアウトできた2点の計3点。松原女子の総得点50点のうちわずか3点。ブロックの中心、ミドルブロッカーにもかかわらず第1、第2セット合計してもブロックでの得点が2点というあたり、私の役立たずぶりが証明されている。
たぶん私が置物でも結果は変わらなかった。2年生の先輩たちだけで勝てた。
中学3年生の時は目の色を変えて全国で活躍したくて頑張っても初戦敗退。
高校1年生では頑張っても頑張らなくても初戦を楽々突破。
つまりそれは私の実力が大したことがない証明。
なんというか泣いている南田東の選手に申し訳なくなってくる。向こうの選手のほうがたぶん私より巧い。それでも私はチームメイトに恵まれて次に進める。自分より巧い人を蹴落とすことが多分、この先も続くのだと思うと心苦しくてちょっとだけおなかが痛くなってくる……
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春高 1日目 1回戦終了後
第3者視点
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「――とあとは御園か。試合前にも言うたけど、松原女子の金森の動き、よう見たな。これも試合前に言うたけど、お前らがああなる必要はないねん。お前らは主役になれる。けどな、あんな泥水を啜るようなやり方もあんねん。それをどう思うか、あと1年どう過ごすか、自分で考えい」
金豊山学園高校女子バレーボール部の大友監督は2年生でこれまで1度もユニフォームを着ていない部員の名前を呼んで考えるように言った。
「ある意味で星野の究極系みたいな感じ?」
「いやあ。私もあそこまでは出来ませんよ」
「いやいや司なら出来るって。むしろやってんじゃん」
そんな軽口を叩きながら金豊山学園高校女子バレーボール部は観客席から出ていった。
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周りは最後に見せた松原女子の14番、大河のネットインサーブにわいている中、桜山 女子バレーボール部の主将、藤堂は別の感想をつぶやいた。
「樹里亜。あんたのライバル、やばいわね。本当に高校1年生?」
「!!智花さんもそう思いますよね!やばいっすよね!金森!」
はしゃぎだす後輩をよそに藤堂は今までの疑問のパズルがすっきりおさまっていくのを感じていた。
松原女子の1番、金森は藤堂の目から見て、まあ高校生としてはすごいかもしれないが、所詮そこまで。世代別でも日本代表どころか下手をすれば県代表レベルでも選出されない可能性のある程度の選手である。
一方、後輩の樹里亜はとんでもない才能の持ち主で、このまま成長すれば世界でも有数のバレーボーラーになると思わせる才覚の持ち主である。
その樹里亜がライバルと公言し、先日の世代別合宿では他校の選手や指導者からも一目置かれるほどの選手が金森だという。
そこまでの選手が、世代別では一度も招集を受けていない。
この気持ちの悪い矛盾が今の試合ですっきり晴れた。
やはり金森という選手は凡庸でバレーボーラーとして才能は自分には遠く及ばない。
心技体で評価すると技はまあ悪くはない。しかし超絶技巧があるわけではない。全国レベルではあるが、あの程度なら十把一絡げにたくさんいる。
それ以上に全国レベル以下なのが体。別に背は高くないし、身体能力も高いわけではない。特に上位レベルでミドルブロッカーをやるには身長があと7~8cmはほしい。ならばとスパイカーとしてやっていくには破壊力が足りなすぎる。そもそもウイングスパイカーをやるにしてもせめて170cmはほしい。
だが、心。この1点だけはおかしい。異常ともいえるレベルで傑出している。
試合中、地味で目立たないが松原女子がスパイクで攻撃する際には毎回きちんとスパイカーのおとりかブロックのフォローに回っている。
村井の攻撃がブロックに阻まれて松原女子のコートに戻ってきたとき、何度彼女がボールを掬い上げて再度村井の攻撃に繋げたか。
トスが上がらないことにも不貞腐れずにおとりを続けて自身に相手ブロッカーをひきつけることで、何度村井や主将の都平とやらの攻撃を手助けしていたのか。
この辺りは交代してからのプレイ機会が少ないので断言はできないが、金森の対角で背だけ――背と胸がでかいだけのミドルブロッカーとは明らかにプレイの質が違っていた。
だが、それを責めるのは酷だろう。
圧倒的な才覚を持つ村井や立花と比べればどうしても不貞腐れる。きちんとやらなくても彼女達なら楽々得点できる。そう考えるのが普通だ。それが当然なのである。
だが、金森はそうではない。
それでもまだ、意地悪な先輩たちから言われて仕方なくやっている、というのならまだ、そう、まだ納得できる。
だがそうではない。
一度コートにボールが落ち、次のサーブが始まるまでのわずかな時間。その間に簡単な作戦会議をするのはバレーボールの常である。
その時間で見たのだ。
自分の位置からでは何を話しているのかは聞こえないが、雰囲気で何を話しているのかはわかる。金森が両手を上げて何かを話し、それに相槌を打つ2年生の村井や都平。あれはブロックシフトの話をしているのだ。そしてそれを主導するは1年生の金森。その直後、ブロッカー入れ替えで村井がブロックでの得点をあげる。
南田東の攻撃のパターンを読み切り、相手攻撃に合わせてより背の高い村井とブロックの位置を入れ替えて相手の攻撃を封殺。
出来るか?私に?そうと知っていても?
出来ない。自分には出来ない。
心の内を明かせば藤堂もまた、後輩である近藤の才能に対し、思わないことはない。2年間エースとしてチームを引っ張ってきた。全国にだって出場させた。その自分が、ぽっと出の、しかも中学2年の夏からバレーを始めたような奴にエースを譲れと?ありえないと叫びたいが、後輩の才能は認めざるを得ない。
それでもまだ後輩には守備と経験値という明確な弱点があり、それをフォローすることで自尊心はある程度満たされるし、向こうも自分を立ててくれているからこそ、何とか壊れずにやっていけている。
自分にバレーの才能があるのは理解しているが、同時に最上位レベルでないことも理解している。世代別でレギュラーも取れないのだ。本当のトップレベルではない。先日の世代別合宿で参加者の中で挙がった最強チームを選ぶのなら、という問いに対し、すでに世界選手権でも活躍した立花は悪気もなしに選手選考をした。
……そこに自分の名前が呼ばれることはなかった。その程度なのだ。
それでも自分が目立ちたい、活躍したいと思うのは間違っていることだとは思わない。思えない。そう思わなければやってられない。
もし仮に自分が金森の立場でブロックを主導するならやはり自分が活躍できるようなブロックシフトにするだろう。だが、金森はそうはしなかった。より確実性を増すために10cm近く背の高い村井においしい場面を差し出したのだ。
なぜ?何のために?
決まっている
すべては勝利のために
勝利という1つの目標のためにほかの全てを差し出す。自分の活躍だとかは度外視し、合理的に最も勝利に近い方法を模索する。それをたかだが16歳がやっているのだ。ふざけるな。お前の精神年齢いくつだよ。18歳になったばかり自分より年下なのになんでそんな達観しているのよ。
藤堂は金森の異常性にここに来てようやく気が付き、その在り方に畏怖を覚えた。
しかしそれはそれ。今の自分はチームをけん引し万年2回戦負けの汚名を破るためにもまず今日勝って明日に備えなくてはならない。
「さてと。優勝候補様の試合も見れたし、私たちも移動するわよ」
はーいと返事をする部員、その中で後輩の近藤がずれたことを言い出した。
「いや~。でも流石春高ですね。こんなすごい体育館、初めて見ました」
「…そうね。インターハイも市民体育館を借りたものだったからか、そんなすごいものじゃなかったけど、ここは国際試合もする立派な体育館だからね」
「私も早くあのでっかいコートに立ちたいです!試合ってどこの予定でしたっけ?コートは4つに区切ってますけど、Eコートってどこになるんですか?」
「……樹里亜、あんた気が付いてないの?Eコートはサブアリーナだからここじゃなくて別会場よ。だから時間もかかるし今から移動するの」
「え~せっかく春高に来たのにここで試合できないんですか!なんですか!差別だ!贔屓!私も痛っ!」
「うっさい。初戦はサブアリーナって一か月前から決まっているのよ。あと、どうせ今日勝てば2回戦も3回戦、準々決勝もメインアリーナで準決勝からはセンターコートで戦うんだから1日くらい我慢しなさい」
「!!うす……」
そんなやり取りをしながら桜山の選手たちは初戦を戦うべく、サブアリーナへ移動を開始した。
補足1
翼ちゃんは頭にクソとか生がついちゃうタイプの真面目ちゃんです。
なので自分の実力や出来が勝敗に左右するとはかけらも思ってませんが、真面目なのでいつも手を抜かずにやるべきことをいつも全力できちんとやります。また、勉強熱心で合理的にどうするれば最適解なのか考える頭も持っています。それが周りから見るといつでも全力で真面目に腐ることなくきちんとやっている、と評価されます。
円城寺英子ちゃんがおかしいんじゃないんです。想像してください。全国の舞台とはいえ、大差で勝っている試合。超絶有能な先輩がいてその先輩のスパイクはオープン攻撃でも決定率ほぼ100%。そんな中で、自分スパイクフォローとかしなくてもいいや、と思ってしまうのは仕方ないのことです。
補足2
優莉ちゃんのオープン攻撃、外道過ぎますが、これに対応してフルメンバーでなかったとはいえ夏は勝って、秋もあと一歩まで迫った姫咲の面々はさらにおかしな連中です。
※姫咲は5月のGW中の練習試合で優莉ちゃんのスパイクがぶっ壊れ性能だというのを理解し、そこから全力で対策を編み出してます。




