062 VS南田東高校 その2
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春高初日
大会会場
松原女子高校 VS 南田東高校
第三者視点
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松原女子のエース 立花 優莉と松原女子高校バレー部は、マスコミによって作られた虚像により大きな誤解を受けている。
まずエースの立花 優莉
『守備は未熟だが圧倒的な身体能力とそこから繰り出される超攻撃で日本を世界一に導いたエース』
そう下された評価は確かに事実であるが、その未熟な守備力の前にはあくまで日本代表、世界レベルの中では、という枕詞がつく。比較対象を同じく春高に出場する女子高生レベルにすると、むしろ巧いと分類されるレベルなのだ。
そして松原女子高校バレー部については
『公立校であり春高出場校の中では屈指の進学校。反面、授業数がほかの出場校より多く、練習量に関しては他校より劣る』
という評価がされている。
確かにこれも事実ではあるが、進学校といっても普通科では偏差値60を少し超えた程度。学年中から学業優秀者のみを集めた特別進学クラスでも70は超えない。
春高出場校の中には男女ともに文武ともに全国トップクラスの選手が数は少ないものの確かに存在している。なので松原女子高校よりも学力で上回る出場校もある。
また、練習量については、当の松原女子高校でバレー部は吹奏楽部に続きバスケ部と並ぶ部活動ガチ勢として知られ、実際公立校の中ではトップクラスの練習量である。確かにそれでもスポーツに超特化し、毎日20時、21時と遅くまで鍛えている高校に比べれば練習量は少ないかもしれないが、練習をしていないわけではない。むしろマスコミの報じ方とは裏腹に、練習はやっているといっていいレベルなのである。
ただし、その練習内容は全国常連校とは違ってくる。
松原女子高校バレーボール部は去年所属部員が少なく廃部の危機であった。
去年の1年生、現在の2年生が入部した時点で3年生が3名、2年生は不在、1年生が5名。しかも1年生5名のうち2名は競技経験なし、1名も小学生の頃に経験はあるが、中学では未経験、バレーボールは中学からローテーション制を取り入れることから、ローテーション制バレーという意味ではたった8名のバレー部に未経験が3名もいるという状態。
これが大勢の部員を抱え、指導者も複数名いるような高校であれば話は違ったのだろう。
だが、去年の松原女子バレーボール部の指導者はOGで競技経験こそあれど教員一年目で指導経験ゼロの新米教師。チームを分けられるほどの部員もいない。そのため、未経験者に合わせて全員がまずは基礎練習からということなった。
むろん、強豪校も基礎練習は行う。行うが、基礎の基礎は中学までに出来ている、もしくは出来ていない者は個別に基礎練習を追加し、その先の応用練習も積極的に実施している。しかし、練習内容を分けるだけの設備も指導者も部員もない松原女子はその段階よりもさらに前の基礎固めに部員全員で取り組んだ。さらに松原女子ではどこからか知識を仕入れた最新のスポーツ学に基づいた筋力トレーニングを積極的に取り入れた。
そうして基礎固めを春・夏に行い秋には……というところで3年生が引退、慌ててバスケットボール部と合併しなんとかチームとして出場できる部員をそろえるも、やはり元バスケ部は競技経験が浅く、引き続きまずは全員で基礎固めから、となった。
そして新年度を迎えた後も、前年に結果を残せているのだからと練習メニューの大幅な変更はなかった。
これには良い点と悪い点がある。
基礎を大事にすることで立花優莉や村井といった高校入学まで競技経験のなかった選手も今ではサーブ、トス、レシーブ、スパイク、ブロックといった基礎技術がしっかり身についている。
特にサーブは前述の筋力トレーニングで部員全員が強いボールを打つことができる。
反面、基礎練習と筋力トレーニングに多くの時間を割いているため、コンビネーションプレイ、リカバリプレイなどの応用練習はほかの強豪校と比べると練度が大きく劣る。
切り取られたワンプレーなら巧いが、連続したプレーの中でイレギュラーが混ざると途端に崩れる。有り体にいうとラリーゲームが苦手。
バレーボールは一度プレーが始まるとどちらかのチームが点を取るまで常に動きのあるスポーツである。
そして当たり前であるが、ボールを相手コートに返球する際には少しでも相手がレシーブしにくいように強く速いボールになるよう打ち込んだり、誰も守っていない隙間を狙ったり、相手を惑わすために守備位置の隙間を狙ったりと工夫を凝らして点を取ろうとするスポーツでもある。その中で、あらかじめ決められた守備位置にボールが飛んできて、それをきれいにセッターへAパスで返して、スパイカーもあらかじめ決められた助走経路が確保されて、理想的なフォームで相手ブロッカーに邪魔されずにスパイクを打ち込む、という場面はよほど相手が格下でもない限りなかなか出るものではない。
だからこそ、イレギュラーを見越した練習をするのだが、この手の練習は10回のシミュレーション練習より、実際の動きのある1回の練習試合のワンシーンのほうが身に付き、動きのある練習試合10回よりも、緊張感をもって挑む公式戦1回のほうがより身に付く。俗にいう経験値がものをいう世界である。
この経験値の蓄積が松原女子の選手は乏しい。ただでさえ日ごろの練習は筋トレと基礎技術練習に多く割かれ、まだしも実践に近い経験を積める部内の試合形式練習では日ごろからなまじ筋トレと基礎技術練習に力を入れているだけあって飛び交うサーブもスパイクも強烈。結果、ラリーを許すことなく終わる場面が多い。
さらに昨年の春高終了から1年を振り返れば、1月から3月は助っ人のバスケ部員が元のバスケ部に戻ってしまったことからリベロ枠を使わないなら何とか試合のできる部員6名体制。
しかも母校の体育館は壊れて使えないという惨事。
4月になり半壊した体育館はリノベーションされ、新しい部員も入部。さあここから新体制でというところで、肝心の新入部員の大半は厳しい練習についてこれず、次々と退部。結果、新体制構築は新部員が固まり始めた6月にようやくスタートが切れるようになったほどだ。そのまま7、8月と順調にチームの形ができ始めたころにエースの立花優莉が日本代表に招集されたため9月10月は不在。戻ってきた11月には今度は主将の都平が諸事情で12月上旬まで公式戦に出れなくなってしまい、この間主将抜きでのチーム作りを強いられた。
つまり、練習量が重要なチーム練習をフルメンバーで出来た期間が短く、どうしても練度が低い。
しかし、それでも松原女子は今大会優勝候補筆頭である。
それは自らの弱点であるラリーゲームに持ち込ませずに点を積み重ねることのできる圧倒的な攻撃力があるからである。
まずサーブ。
規格外の立花優莉を除いても全員がビッグサーバーといえる強烈なサーバーであり、如何に男子に比べ筋力が劣り、それゆえにサービスエースが発生しにくい女子バレーにおいても例外的にサーブだけで得点し、ラリーを発生させない場面が多い。
サービスエースとまでいかなくとも、ファーストタッチが乱れたことで単調なサードテンポ攻撃となれば、ブロッカーとレシーバーをバランスよく配置でき、鉄壁の守備からの強烈な攻撃へつなげ、これまたラリーをさせずに得点する。
松原女子はチームプレイが出来ないわけでも苦手なわけでもなく、単純にバリエーションが少ないのである。そしてその数少ないバリエーションの中でなら全国レベルの動きができる。
サーブレシーブについても松原女子は非常にうまい。何せ日ごろ練習で受けているサーブは自分たち、つまり全国最上位レベルのサーブを相手にレシーブ練習をしているのだから、強烈なサーバー相手の対策は出来ている。そのため、松原女子相手にサービスエースを取るのは難しく、むしろ彼女達は強烈なサーブであってもなんなくさばき、Aパスでセッターに返してしまうほどである。
そして『きれいにセッターへAパスで返して、スパイカーもあらかじめ決められた助走経路が確保されて、理想的なフォームでスパイクを打ち込む』という基本練習ならしっかりできている。しかもレフト2枚はどちらも女子高生レベルではない強力なスパイカーであり、ここで決定打を打たれて得点になる場面が多い。
ラリーを前提としているはずのバレーボールでそれをしない、常識の外側にいるチーム。それが今年の松原女子高校である。
そんな松原女子に勝つ方法は、単純に圧倒的な攻撃力で自慢の攻撃をさせない、これに尽きる。
世界レベルの守備力をもってしても失点を免れない立花優莉のスパイクも、そもそも打たせなければ失点しない。
松原女子は単独プレイ、もしくはうまくつながっている間なら確かに巧いが、ひとたび崩れるとリカバリ能力が低いため簡単に失点する。
この点を巧みに突いたのが地方予選での姫咲高校である。
確かに夏の予選では正セッター、春の予選では主将を欠いた状態で松原女子は万全ではなかったものの、勝利、もしくはあと一歩まで追い詰めたのは姫咲の作戦あってのものであり、今回大会で松原女子相手の勝利を本気で狙っている高校はいずれも地方予選での姫咲の戦い方を参考にしている。
高校女子バレーレベルなら全員がビッグサーバーといえる相手にサービスエースを許さない守備力。
同じく高校女子バレーレベルなら十分に基礎守備力があるといえるレシーバー相手にAパスをさせないだけの攻撃力。
この2つを兼ね備えていないと松原女子の相手にはならない。
そして残念ながら南田東高校は守備力はあったが、攻撃力がなかった。
そんな南田東高校からのサーブから始まる第2セット。コートの内外は異常な緊張感に包まれていた。
バレーボールでサーブを誰から始めるべきか、という問いに対し、答えはチーム状況によって正解は異なる。
一般的なのはサーブをセッターから始めるというもの。これはセッターを後衛の一番後ろに置くことで反対に前衛を3枚、つまりスパイカーを3枚という高攻撃力ローテーションを少しでも長く保ち、その間に点を稼ぐという作戦である。
これとはローテ上逆ではあるがあえてセッターを最後の6番目のサーバーとするという作戦もある。
バレーボールにおいて、とにかくセッターは習得すべき技術が多い。
トスワークはもちろん、アンダーレシーブをする機会もあり、前衛の際はブロック要員にもなる。同じく前衛でセカンドタッチをほかの選手に譲った場合は最後をしめるスパイカーにもなる。なによりチームの司令塔として敵味方双方の選手を考えながら試合を作る技術も必要である。
そのためサーブを鍛える時間が取れず、となれば強いサーブを打てず、チームで一番サーブが弱いとなればできるだけサーブがまわらないように最後に順番が回る6番手にする、という消極的理由によるものだ。
ちなみにサーブのローテーションで最初をセッターとするものをS1スタート、最後をセッターとするものをS6スタートと呼ぶ。
いずれにしても『セッター』が何番目にサーブを打つかで呼び方が決まるのである。
それに沿って言えば松原女子はセッターが2番目にサーブを打つS2スタートである。しかしそれセッターを中心に考えたわけではない。
最強のサーバーである立花優莉をサーブの一番手、最もサーブが打てるようにするローテーションを組んだらたまたま2番手がセッターだっただけである。
バレーボールではサーブ権が自チームに移った際、前衛1名が後衛に下がりサーブを打つ。
第1セットは後衛のまま終わった。
第2セットはまだ松原女子はサーブを打っていない。
ということはサーブ1番手の立花優莉がこの試合、初めて前衛にいるということ。
世界最強のスパイカーが前衛にいるという圧に南田東は気圧されていた。
それでも最初のサーブはその立花優莉へエースをけん制する意味も込めて強いサーブを打つことが出来た。……出来たのだがそれはあくまで日本の女子高校生としては強いレベルであり、普段の練習で飛び交っている松女のサーブよりは迫力にかける上に、つい3か月前には殆どレシーブの機会はなかったものの女子世界最高レベルのサーブを見続けた彼女からすれば十分にレシーブしやすいボールであった。
「オーライ!」「優ちゃん」「優莉」「優莉先輩」
自身で宣言し、周囲もそれを促す。
立花優莉は難なくファーストタッチのレシーブを『意図的に』高く上げた。
バレーボールでファーストタッチを『意図的に』低く上げることは多い。
たとえコンマ数秒の世界であっても相手への返球を短くし、相手の時間を削る。
特に男子に比べ高さと力に劣る女子バレーにおいては常套手段のはずだった。
しかしそれは、逆に男子以上の高さと力を誇る彼女には関係のない話だ。
「優ちゃん、オープン」「陽ねえ、レフト」
容赦のない死刑宣告が松原女子のコートから放たれる。
さらに緊張が高まる南田東のコート。
―ここで立花優莉のスパイクって無理よ―
―でもさ、逆にここで1本止めたらすごくない?―
―そうそう。無理ってわかっているけど、無理だからこそ偶然でもなんでも止めたらすごいよね―
―ダメでもともとだし、それでもし、うまくいっちゃったら?―
軽く松原女子のコートを見れば十分に助走に間に合うセンターも棒立ちでボールを見送っている。つまりレフトからの攻撃が確定状態。絶望とほんのわずかな希望を抱いて南田東から見てコートの右側、松原女子の左側に視線が集まる。ボールはきっとあそこの4mの高さから落ちてくるはず。
そう考えた。それしかない。
しかし無情にもボールはレフトからではではなくセンターから、4mの高さではなく2m少々の高さから返球された。
ツーアタック。
それ自体は別になんということもないごく平凡な返球方法で、だからこそ南田東の選手の心を砕いた。
立花優莉のスパイクでの失点なら仕方ない。まともにレシーブできる選手など世界レベルでもいない。だから失点しても仕方ない。万が一、レシーブ出来たらラッキー。しかし立花陽菜のツーアタックはちゃんと対策していればレシーブどころかそこから速攻で返してこちらの点になかったかもしれなかった。同じ0-1で相手にサーブ権を渡すことになっても、防げない失点と防げたはずの失点。この2つは天と地ほど差があり、それが南田東の精神に傷を負わせた。
バレーボールに限らず、あらゆるスポーツで勝利を手繰り寄せるには心技体の三拍子が必要とされる。このうち技と体は日ごろの練習で培われるものであり、この場でどうなるものではない。
だが、心だけはその場の在り方で如何様にも変わってしまう。
事実、不本意な失点から精神をやられた南田東は続く立花優莉のサーブの前に十分に実力を発揮できず、9連続失点――うち6失点は第1セットは1本も許さなかった相手のサービスエースによる失点――してしまい、0-10と試合をほぼ決められてしまった。
ここにきてもうどうにもならないと開き直ったことで再度心の在り方を持ち直した南田東は立花優莉10本目のサーブを何とか拾い上げ、これまたなんとかスパイクで相手コートに打ち返す際にきっちりついた3枚ブロック相手に、まともな精神状態なら絶対にしない一見ボールが通る隙間がないように見えるブロッカーの間を狙い、これが見事通り抜け何とか1点を返した。
なお、南田東としてもラッキー以外の何物でもなく、もう一度やれと言われても再現度は極めて低い偶然による南田東からすれば幸運な得点、松原女子からすれば不運な失点で1-10。
最強サーバー、立花優莉のサーブのターンはひとまず終了した。
1-10で南田東のサーブから再開する試合。
高校女子バレーという世界では鋭いサーブが松原女子のコートを襲うが、日ごろの練習でそれ以上のサーブを受けている松原女子からすれば拾えないボールではない。
セッターに確実に返球するとセッターの立花陽菜はツーアタックを匂わせつつ、この試合好調を維持し続けるレフトの村井にトス。そんなことはないと思いつつ、セッターからの中央攻撃がある以上、ほんの一瞬中央攻撃という匂わせ行為につられて村井へのブロックが遅れる。
このすきを見逃さず、レフトの村井はセカンドテンポで上がってきたボールを相手ブロッカーがスパイカーコースをふさぐ前に打ち込み、11-1。
ここでこのセット2回目の松原女子のサーブ権取得となり、松原女子のサーバーはセッターの立花陽菜。ここで松原女子のベンチが動いた。
立花陽菜に替わり、雨宮結花が女子チーム特有のチームメイトとハイタッチをしながらコートに入る。さらにボールを受けるとそのままコート外まで走っていく。バレーボールを知る人はここで松原女子の監督は王道の一手を打って来たのだと判断した。
バレーボールで体力的に最も疲労するのはウイングスパイカーである。
短い間隔で走って飛んでを繰り返す。特にラリーが続けばブロックのために飛んでその後に助走距離を確保してスパイクのために走って飛ぶというのをどちらかが得点するまで続ける。それはミドルブロッカーも同じではないか、という人もいるかもしれないが、ミドルブロッカーは後衛時にリベロと替わることが多く、出ずっぱりのウイングスパイカーよりはましである。
これに対し、精神的に最も疲労するのはセッターである。
試合をコントロールするためにボールはもちろん、敵味方全選手の位置に常に気を配り、セットアップ時には相手からの圧にさらされ、ボールに触る機会も一番多い。スパイカーがブロックにつかまればそれはセッターのせいだ、と非難もされる。精神的にタフな人間でないと務まらない。
5日間という短期間での過密スケジュールで決着のつく春高の特性を考えると、ほぼ勝敗の決したこの場面なら去年春高決勝まで戦い抜いた経験を持つ2年生正セッターを一時下がらせ、休憩。代わりに経験値ゼロの1年生副セッターに度胸と経験値をつけさせ、明日以降に備えるというのは『あり』な戦略である。
ここでバレーボールのサーブについて話をする。
給仕の意味のとおり、当初、サーブは相手コートにボールを供給する、直接点につながらない最初の一手だった。その後、バレーボールのルールが整備され、戦略が洗練化されていく中でサーブは相手コートにボールを供給する行為ではなく、相手コートを攻める行為に変化していった。最上位のバレーボールの世界では男女問わずそれは常識になり、男子の世界では高校生レベルでも春高本選出場校ともなればチームに一人はサービスエースを狙えるビッグサーバーを擁する。
が、女子の世界では異なる。
男子に比べて身長と筋力で劣る女子の世界では、エンドラインから9m離れた、高さ220cmのネット越しにサービスエースを狙える強力なサーブを打つのは難易度が高い。
サービスエースを狙えるサーブとは、ただ速くて強ければいいというわけではない。ライン際、相手コートの隅、レシーブの苦手な選手目掛けてなどの目標通りにサーブを制御できる必要がある。全力で投げるより力を抜いて投げたほうがコントロール出来るように、サーブも力いっぱい打つよりある程度力を抜いて打ったほうがコントロール出来る。
サービスエースを狙うためにはコントロールを妥協してボールを強打することになるが、それでも高さと筋力で男子に劣る女子バレーではなかなか一撃必殺のサーブにはならない。
ただし、何事にも例外というのは存在する。松原女子のエース、立花 優莉は女子バレーでサービスエースを狙えるほどの強力なサーバーである。
特に今春高本選ではまだ見せていないが、昨年の世界選手権で見せた通称魔球サーブは彼女にしか打てない究極のサーブと言われている。
なぜ彼女にしか打てないか、
それは魔球サーブを打つ際のフォームによる。
元々はプロの男子バレーを参考にサーブトスの際にボールを高く上げ、バックスイングや助走も大きくとるただのスパイクサーブだった。しかしそれで満足しなかったのか、さらに威力を上げるために上体を大きく反らして全身の可動域を増やして全身をバネの様にしなやかに、強烈にボールを打ち付けることで魔球サーブと呼ばれるサーブになった。
この『上体を大きく反らして』というところがポイントになる。
男子のトップアスリート並みの筋力を誇っていても立花優莉の身体構造は女性のものである。四肢の可動域は女性ならではの広さを誇り、ボールを打った際のエネルギーは小さい範囲から打たれるより大きい範囲から打たれたほうが大きい。
魔球サーブが彼女にしか打てないと言われているのは、男子では筋力で近づくことが出来ても身体的構造から柔軟性、可動域の範囲で再現できない。女子ならばフォームは真似できても肝心の筋力が再現できない。男子の筋力と女子の柔性。この2つを併せ持つ立花優莉にしかできないので彼女にしか打てないと言われている。
そう
彼女にしか打てないのだ。
2番手サーバーとして、ピンチサーバーとしてコートに入った雨宮はチームメイトとハイタッチを交わしてボールを受け取ると、小走りでサーブを打つためにエンドライン――のさらにその奥、コートと通路を仕切る間仕切りまで駆けていった。
サーブのための助走距離確保?
大げさすぎる。
しかしそのまま笛の合図を待ち、笛が鳴るとどこかで見たような動作。
――それこそ昨年の世界選手権中は何度もメディアで取り上げられ、バレーボール関係者のみならず日本中で知らぬものはいないレベルの知名度の動作――
サーブトスを上げる。
緩く縦回転のかかったサーブトス。
――魔球サーブを打つ際に上体を大きくそらすため、視線はわずかな時間だが相手コートではなく天井を見上げることになり、その時ボールも見失う。そのためサーブトスで安定して決まった方向、位置、高さにボールを上げるために試行錯誤を繰り返し、最終的に緩く縦回転をかけた時が最も安定すると判断し、それでもサーブトスだけで何百回と練習したと立花優莉はインタビューで答えていた。そのサーブトスと同じサーブトス――
大股で、バックスイングも大きく、サーブというよりスパイクを打つのではないかと錯覚するような助走。そのまま高くジャンプし、上体を大きく反らし、腕だけではなく全身の筋力を使って打つサーブ。
――まさに立花優莉が世界選手権で見せたような動作だ――
それは高さと筋力こそ欠けているが間違いなく魔球サーブと言われるものだ。
164cmとほぼ立花優莉と同じ背丈から放たれる強烈なサーブは高校女子バレーのレベルではないパワーサーブである。
……高校女子バレーレベルではないことは間違いないが、肝心の高さと筋力が欠けているのも間違いない。
野球で打者が大記録を打ち立てれば皆がそのバッティングを真似するように、日本中で話題となり恰好だけなら一見真似しやすそうな魔球サーブは男女問わず多くの人が真似た。
だが、忠実に再現しようとすればするほど難しい。
そもそも骨格の関係上、男性では真似ることが出来ない。
ならば女子なら簡単かと言われればそうではない。
第一関門の体の柔軟性をクリアしたとして、勢いよく駆けだし、両腕を大きく振ってまで思い切り高く飛び、この時打つほんの少し前には視界にとらえられないので位置を確認できないままフルスイングで助走前に投げたボールを打たなければならない。
打ったら打ったで今度はちゃんと相手コート内の、できれば狙いも定めて打ちたい。
ここまでやっても一般女子の筋力では一撃必殺のサーブとはなりにくい。
サービスエースを狙えないわけではないが、ボールコントロールが難しく、相手コートに入る入らない以前にそもそもサーブが空振りに終わることもある。
バレーボールは失敗即相手の得点となるスポーツで相手に簡単に点をやる愚をおかすことになる。
そのため、多くの人がいったん真似るだけで留めたサーブを雨宮は打ってきた。
(あの難しいサーブを打てるなんて確かに凄いわね。釣り合ってないと思うけど)
確かに強烈なサーブを、しかしどこか冷めた目で南田東の選手は見ていた。勢いが凄い。これをAパスで捌くのは難しいが拾えないわけではない。
そう判断すると相手のサーブを勢いごと反射するようにワンタッチで松原女子のコートめがけてダイレクト返球を試みた。南田東の前衛もやろうと思えばここからワンハンドトスを上げてスパイク攻撃が可能なところであえてロングプッシュの形でボールの勢いに加勢する形で松原女子にコートへ押し込んだ。
なお、雨宮がサーブを打った瞬間からここまで3秒も経っていない。
当然雨宮はジャンプした直後で着地、一瞬の間をおいて次の行動へと移ったその時、眼前にはボール。当然、南田東が雨宮を狙ってのことだ。
少々勢いがあるといっても所詮は押し込まれただけのボール。捌くだけならイージーボールである。が、しかし雨宮はセッターである。
一手目のレシーブはほかの選手に任せて二手目のトスを上げるのがセッターの仕事である。
そのため、自分がとっていいものか判断に迷い硬直したその時「結花ちゃん邪魔!どいて!」と立花優莉からの声に慌ててその場から退く。
退けばネットから遠のいてしまい、二手目を行うのは難しい。それを察してライトの都平が「任せて。オーライ」と、レフトの村井が「明日香。レフト」とそれぞれ声を上げ、センターの金森が誰に言われずとも村井のスパイクフォローに回る。都平が上げたボールを村井がサードテンポのスパイクで決めて12-1。松原女子は第2セットのリードを11点に広げた。
村井という3枚ブロック相手でも勝負できる強力なスパイカーの能力で点になったが、これは村井がすごいだけである。
本来、セッターが後衛というのは前スパイカー3枚という攻撃ボーナスターンである。にもかかわらず、チャンスボールともいえるボールが返ってきたのに、結果は本来ライトからの攻撃も使えるはずの都平がフォローのトスを上げ、単調なレフトからのオープン攻撃という戦略的には大失敗となってしまった。
バレーボール識者なら誰もが考えるだろう。
セッターはトスが第一である。
先ほどのように相手ファーストタッチでほとんどダイレクトに返球されることも考えればサーブ後、すぐに構えられないスパイクサーブは打つべきでない。
もっと次の動作に移れるようなサーブにすべきだろう。
それが常識なのだが……
「いいぞ!雨宮!ナイスサーブ!次も強気で攻めていこう!」
松原女子の佐伯監督の考えは違った。
あくまで自分たちはサーブで攻めるチーム。第1セット、2番手サーバーでジャンプフローターサーブの立花陽菜は18本のサーブを打ち、いずれも強いサーブであったが、ただの1度もサービスエースを取れなかった。一方、第1セットこそサービスエースを取れなかったが、第2セット、立花優莉が6本もサービスエースを取ることが出来た。ならば南田東高校は対フローターサーブのレシーブが得意で、対スパイクサーブの対策は十分でないのではないか。
もちろん、1年生の雨宮に経験を積ませるという目的もないわけではないが、主目的はあくまでサーブで攻め込むにあたり、タイプの違うサーバーをぶつけてみたい、というのがあった。
戦術的に失敗?
そんなことはない。事実、相手はスパイクまで繋げられずにボールを返してきたではないか。
サーブで攻める。サービスエースを取れれば理想、取れなくても今の様に緩い返球ならきっちりスパイクで返球できるので良し。
佐伯監督に言わせればこれが正解なのである。
そして同じようなことをやっても正セッターである立花陽菜を追い抜けないと判断した雨宮は前々から練習していた魔球サーブを県予選では間に合わなかったが、春高本選までには実戦で使えるレベルまで仕上げてきた。
そしてここからさらに5本サーブを打ち、最後の5本目を豪快にネットに引っ掛けて失敗するまでの4本のうち2本でサービスエース、残り1本も相手にAパスを許さず、返球前の3枚ブロックにつなげ、
松原女子の16-2。
『サーブで攻めるチーム』に相応しい活躍をして、立花陽菜と交代することになった。
松原女子のセッターが再び立花陽菜に戻り、南田東のサーブ。
もう立花優莉のレシーブ力が想像以上に高いことはわかっているが、かと言って自由にさせれば後衛からでも強烈なバックアタックが飛んでくる。
だからけん制するためにも彼女にサーブレシーブをさせるしかない。そんな苦しい考えでサーブを打つもやはり、立花優莉にきれいに拾われて、そのボールを姉の立花陽菜がトスをし、最後は村井玲子が南田東レシーバーが絶妙に手が届かないところにスパイクを打ち込んで南田東、2-17
連続得点が遠い。
松原女子のサーブ。3番手サーバーは1年生の金森翼。
ミドルブロッカーの彼女が後衛に下がったことで、これまでリベロの有村雪子が代わりにコートに入っていたところに本来の対角のミドルブロッカー、円城寺英子が第2セットも終盤というところで、この試合初めてコート入り。
金森のサーブは規格外の立花優莉、全身の筋力で渾身の一撃を打ってきた雨宮には劣るが、それでも春高本選出場女子選手の平均を上回る球速で南田東のコートを襲う。
堅守を誇る南田東とはいえ、人である以上、常に完璧なレシーブなどできず、金森のサーブをレシーブこそできたものの、そのままセッターを超えてふわりとダイレクトで松原女子のコートへ。
ここで早速入ったばかりの円城寺がダイレクトでこれを南田東のコートへ叩き込んで2-18……
と思われたが
なんと、円城寺が叩いたボールはまだネットを超えていない、南田東のコート上のボールと判断され、オーバーネットの反則を取られ得点は南田東のものへ。
3-17。
微妙なところであったのですぐにゲームキャプテンの都平が主審に確認を取る。
「超えてましたか?」
「超えていたよ。君は後ろから見てたからわからなかったと思うけど、真横からこっちは見てるからね」
そう言われてしまえば引き下がるしかない。
都平はお礼を言うとチームメイトの元へ戻っていく。
南田東のサーブ。
流石17年連続で春高に出場している名門。すぐに相手選手の動揺に気が付いた。
第2セットでようやくの全国初舞台。そこで張り切るも空回りしてしまい自爆の失点。目が泳ぐのもわかる。が、容赦はしない。
コートに入ったばかりの円城寺を狙い撃ちし、ここで円城寺が2回連続でレシーブミス。南田東、待望の3連続得点で5-17。
2連続サーブレシーブミスにさらに動揺する円城寺に、次のサーブが始まる前のわずかな時間に主将の都平が声をかける。
「ドンマイ、ドンマイ。ほら、笑顔!笑うとリラックス効果があるってなんかのSNSで聞いたことがあってね。緊張すると体が固まって動かないよ。大丈夫。まだリードはたっぷりあるし、最悪落としても第1セット取ったから問題ないよ。失点は気にしなくていい。初の全国だもん。現2年生も最初はガッチガチだったし。まあでもそれはそれとして、ちょっと守備位置変えようか。ユキ、ちょっと広めに守備範囲を取って。基本、私かユキでサーブレシーブをする。みんなもいいね」
うなずく松原女子の選手たち。
笛が鳴る。
南田東のサーブ。
一方、松原女子のコートは主将の都平とリベロの有村が広めのスペースが与えられ、セッターの立花姉、攻撃に専念したい立花妹、村井、そしてミドルブロッカーの円城寺がそれぞれコートの端に構えていた。
が、それでも執拗に南田東は円城寺を狙う。
狙いはするが、威力を捨ててでもピンポイントにコートの端の円城寺を狙った為か、今までの2本と比べればイージーボールであり円城寺も問題なくレシーブ。
これを立花姉がこの試合絶好調の村井に――ではなく都平に、Dクイックでライトからの強襲を仕掛け、5-18。
常にレフト、レフトと村井に偏重して、しかもクイックも少ない中で時々混ぜる速いライトからの一撃。
わかっていてもなかなか止められない。
サーブ権は松原女子へ。そして松原女子4番手のサーバーはレフトの村井。レフトの村井が後衛に下がったということは対角の立花優莉が第2セット終盤でついに前衛へ。
南田東にしてみればボロボロの絶体絶命の場面で大魔王の出現も同じ無慈悲なローテの始まりである。




