057 優莉 常識について考える
常識とはごく一般の人が持つ、もしくは持っているべき知識であったり判断基準のことだ。
例えば進行方向の信号が赤だったら止まる、人の物を盗んではいけない、などは常識と言えるだろう。
だが、それは現代社会での常識であって環境や時代が異なれば常識は変わる。
例えば俺が3~4年くらい前にいたファンタジーな異世界ではそもそも信号機なんてなかったから赤信号で止まる、なんて常識はなかった。
反対に向こうの世界での常識をあげると、そうだな。あの世界では生の葉野菜はご馳走だった。輸送・保存能力がこちらの世界に比べて圧倒的に貧弱な異世界では足が早く塩漬けや干物にされていない葉野菜を宴席に出すというのは権力者が己の力を示す証と共に客に対してはお金と人手をかけ貴方をもてなしてますよ、という最高クラスのアピールでもあった。
あと、異世界で思い知ったのは焼肉とただの焼いた肉は別物だということだ。
焼肉がただの焼いた肉だと思ったら大間違いだ。
まず肉からして違う。焼肉と聞いて俺たちが想像する牛、豚、鳥といった家畜は人が美味しく食べれるように長年品種改良を重ねた英知の結晶だ。そこにさらに血抜きなどの適切な加工処理を経て、臭みなく新鮮な状態――ここで言う新鮮な状態とは刺身で食えるレベルではなく、特に傷んだ様子がなく、赤身の状態のことだ――で提供され、さらにそれをこれまた人類の英知を結集して考え抜かれたタレや調味料をつけていただく。だから美味しいのだ。
対して異世界の焼いた肉は――いや、向こうの文化レベルでは超がんばったのは知っているよ。理解もしている。ただ、こちらの世界の焼肉を知っているとどうしてもなあ。
あと、こちらの世界で想像する異世界ものあるあるで異世界に出てくる種族の肉――ドラゴンとか――が美味しいなんてなかった。あちらの世界でドラゴンを倒した後に食べてみようとしたら仲間に『え?お前、それ食うの?マジで?そんなに腹減ってるの?』的な顔をされたし、実際ちょっと食べてみたら、ものすごく硬くて筋っぽくてダメだった。あれは人間が食うもんじゃねえ……
まあ、そんなわけでこちらの世界と異世界では常識が異なるが、こちらの世界でも地域や年代が異なると常識も異なる。
例えば先ほど『人の物を盗んではいけない』は常識としたが、スパルタ教育の語源となったスパルタでは盗み自体はいけないものの、人にバレずに盗むことはむしろ知恵を出した結果として評価され、反対に盗まれた奴は隙を作った愚か者という評価をされるのが常識だった。
そこまで地域と年代を遡らなくても、例えば煙草について平成初期くらいまでは分煙なんて考えがなくて、どこでも吸えて、オフィスに灰皿があるのは当たり前、駅でも道端でも吸えるのが常識だった。
とまあ常識はその場に応じて変わるものだが、ついこの間、ほぼ同じ年代でも男女で常識が変わってしまうことがわかった。
あれは世界選手権が終わって、しばらく経ったころだ。
涼ねえからお祝いとして近所のお寿司屋さん(もちろん回っているぞ。お寿司が回っていないお寿司屋さんは怖い。不安になってしまうからな)に連れて行ってもらった時のことだ。
そこは大手チェーンと比べると1皿辺りの値段が高いが、その分質がいい。また、シャリは小さめ、ネタは大きめでかつ新鮮と高い満足が得られるところだ。
そこでめっちゃ食った。なんと13皿分!
「美味しいからつい食べ過ぎたわね。お腹がいっぱい」
と言う涼ねえは5皿。
一緒についてきた陽菜も13皿。
……実は俺自身は10皿くらいでもう結構満足してたんだが、陽菜に負けるのが嫌で11皿目を注文。するとなぜか陽菜も競ってきて、ならば負けじとさらに俺は追加注文すると陽菜も……
となり最終的に「これ以上食べるとお祝いの席が苦痛の席になる」と自己判断し13皿目でストップ。すると陽菜もストップ。
13皿も平らげたことで涼ねえからは「あなた達、どこにそんなに入るの?」と目を丸くして驚かれるほどだった。
……そう。驚かれるレベルなのだ。松女でこの話をすると「そんなに食べれるの?」と皆に驚かれた、それくらいのレベルなのだ。
だというのに、この話を雄太達に振ったら
『あ~女ってそんなもんか』
『悠司も今は女子高生ってことなのか』
と逆に少なすぎて驚かれた。
じゃあ逆に男ならどれくらいいけるのかと聞いたら
『この前行った時は32皿だったかな?バイトで金が入って豪遊したくなったからさ』
『まあ、あそこの寿司は小さ目だし、30皿は軽くいけるよな』
と返されて絶句した。
しかもだ。
『大学生になると高校の時と比べて明らかに胃が小さくなったよな』
『わかる!めっちゃわかる!高校生の時なんか無限に食えたしな』
と、どうやらそれでも高校生の時と比べると食欲は衰えているのだという。マジかよ……
中学時代のこいつらを思い出してもそんなに大食いなイメージはなかった。俺と同じくらいの印象だ。ということは俺がそんなに食えなくなったのか?中学生だったのは5年くらい前だからあの頃を思い出せん……
異世界はメシマズだったから進んで食べようとは思わんかったしなあ。
それにしても雄太達相手に化粧品の話――例えば「俺、普通の日本人と肌の色が違うからファンデを探すのが大変」とかの話題――だったら常識が違うから理解されないのはわかっていたが、こんなことで常識に違いが出てくるとは……
あとは筋トレのレベルもだいぶ違った。
松原女子高校バレーボール部は筋トレに力を入れている。だから全国レベルで比較しても単純な筋力ならば上位で、実際先日の全国から集めた選りすぐりのエリート女子高生バレーボーラーと比較しても松女の筋トレメニューのレベルは高く、単純な身体能力だけなら合宿に参加していない他の松女バレー部員でも全国から集めたエリート女子高生バレーボーラーと比べても決して見劣りするものではなかった。
が、俺自身、すっかり女子の記録に慣れてしまっていたのでうっかりしていたが、これは女子なら凄い、というものだった。
例えばランジという下半身を鍛える筋トレがある。
何も重りを持っていない状態でもコート1面分、18mもやれば普通は足に来る。ところがフィジカルのぶっ壊れた玲子なんかは20キロのバーベルをもってやる。
――いやまあ俺はもっと重い負荷かかけてやるけど例外なので除く――
これは本当に凄い事なんだが、例えば雄太が松原高校バスケ部でやってたランジは2人一組で行い、他の部員を肩車した状態でバスケコート一面分、28mもやっていたそうだ。運動部の男子高校生、しかも体格がものを言うバスケの男子高校生ならどんなに軽く見積もって60キロはあるだろう。松女バレー部で俺を除けばトップクラスの筋力を誇る玲子でも60キロの重りを担いでランジをやるのは多分無理。
逆に雄太達からすれば俺達の普段やっている筋トレなんてお遊びレベルなんだろう。小学生ならともかく、高校生ともなると男女では根本的に身体能力は比べ物にならない。
実際に2人が男子高校生だった時の部活動で準備運動代わりに軽く校外を走る時の速度と距離を聞いたらまるで違った。
つまり、同時代、同世代でも男女では常識が異なってくるってことだ。
前置きが長くなったが、実は先日の高校生向け全日本合宿で同時代、同世代の女子高生同士でも常識が違ってくることが新たに判明した。
それは合宿初日の脱衣所での出来事だった。
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「え!先輩!昼間よりおっぱい大きくなってませんか!」
脱衣所なんで衣類を脱いで上半身裸になったところで突然、星野にこんな当たり前のことを言われた。
そりゃなんで?って思うだろ?
こんなの常識じゃん……
「……そりゃ昼間はスポブラを着けてるから?」
いや本当に当たり前すぎて回答に困る……
例えば『なんで1+1が2なんですか?』と聞かれても当たり前すぎて困るだろ?
学術的に『なぜ1+1を2と定義するのか』という話になれば俺も困るが、これはそれに当たらない。
「それってスポブラを着けると胸が小さくなるってことですよね?何でですか?」
俺としては当たり前の回答をしたはずなのになぜか星野はわからないと聞いてくる。
この時の俺は頭にはてながいっぱい浮かんでいただろう。
しかし考えることしばし、そー言えばスポブラをしたら胸が小さく見えるというのは女になってから知った常識であったことを思い出し、男だった時の俺に教えるように回答することにした。
「普通のブラは形を整えるバストメイクだったり、おっぱいを支えるのが目的だけど、スポーツブラってバストメイクとかが目的じゃなくて運動しても揺れないようにするのが目的じゃん。揺れないようにするために胸を押さえるからそりゃ見た目は小さくなるように見えるでしょ」
これは女になってかなり初期に気が付いた。あれは俺が高校入学前のまっ平だったころ。涼ねえが運動する時だけ気持ち胸元がすっきりしてたからなんで?と聞いたらそう教えてくれた。
あの時は女になって1年も経ってない頃の話だったし、陽菜に言われるまでもなくまっ平だったから実感がわかなったが、自分がある程度大きくなってからスポーツブラを着けるとわかる。こう、胸元を押さえて揺れないようにしているのだ。
女歴3年未満の俺ですら知っているのだ。女歴=年齢の星野がそれくらい知らないとは思えないのだが……
だが、未だに星野は唖然としている。
俺が同意を得ようを周囲を見るとなぜか周囲も唖然とした顔をしている。
待ってほしい。ここにいるのは同じく合宿に参加した高校生、つまり女歴=16~18年の大ベテランであるのになぜか驚いている。なんでや……
「先輩、今なんで?って顔してますけど、先輩だけですからね!そんな胸のボリュームが昼間と変わるの」
「ん」
星野がなにやら言ってくるので俺は無言である人物を指さす。
「今は優莉のほうが大きいんじゃなかったか?」
「ちょっとだけね。春ごろまでは玲子のほうが大きかったじゃん」
ある人物の名は玲子。
ちなみに俺が指をさしたことで星野をはじめとしたギャラリーの視線も玲子に向き、そして皆なぜか絶句している。
「せ、先輩。ちょっと怖いこと聞くんですけど、ひょっとして松原女子高校のバレー部ってみんな先輩たちくらい胸が大きいんですか?」
……なにが怖いのかわからないが、なかなか回答に困る質問である。
「まあ、確かに松女のバレー部には胸が大きい子が多いけど……」
「私や優莉くらいと言われると、なあ?」
俺も玲子も顔も見合わせながら苦笑するしかない。
「やっぱり先輩くらい大きいのはいな「少なくとも私や玲子は2年生の中だと小さいほうだよね」「1年生も何人かは私より大きいし、バレー部全体でも私は間違いなく小さい方で優莉でやや大きい部類かもしかしたら平均程度だろう。だからみんなが私たち程度の大きさかと言われると……」」
玲子とそろって苦笑してしまう。いや、俺も玲子も小さくないよ。絶対に貧乳ではない。けど、2年生同士で比較すると上半分は陽菜、ユキ、明日香の3人なので俺、玲子、愛菜の3人は下半分の2年生貧乳組になるんだよなあ。1年だと笑留ちゃんなんかは俺より絶対に大きいし。最近思うんだよな。Fカップって別に巨乳じゃなくね?って。ほら、小学生の頃は甲子園で野球する高校球児がものすごい大人に見えたけど実際に高校生になってみるとあれ高校生ってまだまだ子供だな、って思うじゃん?それと同じでFカップって聞くと昔はものすごい大きいって思ってたけど、いざ自分がそうなると大したことない、みたいな?
「……なんですか?じゃあ松原女子のバレー部には先輩たちより胸が大きな人がたくさんいるんですか?」
そんなことを聞いてくる星野。それについて誰が俺たちより大きいかを考える。
「半分は確実に私より大きいな。優莉より大きいのは……誰だろう?」
「私より大きいのは、えっと…5…いや多分6人…かな?」
「6人って誰?陽菜やユキはすぐわかるんだが……」
「陽ねえ、ユキ、明日香に愛菜。笑留ちゃんに英子ちゃんは確実。圭ちゃんも多分私より大きいよ」
「優莉。さっき6人って言わなかったか?それだと7人なんだが……」
「あ、そうだ……って7人が私より大きいとうちのバレー部って16人だから8番目の私はちょうど真ん中じゃん!」
ガーン……
ショックだ。
俺、それなりに大きいほうだと思っていたんだけど、バレー部内だと平均、つまり並みだったのか……
やっぱりFって巨乳じゃないよね。少なくとも松女バレー部だと並乳だ。
「……先輩?何かショックを受けているみたいですけど?」
「うん。ちょっとね。私、恥ずかしい話、自分のことを大きいほう、なんなら巨乳って言っても良いほうだと思っていたんだけど、実際はバレー部内で並みって判明してね……」
恥ずかしい……
あれだよテストでいい点とったと思ったら平均点ジャストで実はテスト自体が簡単だった、みたいな?
つまり俺も別に大きいわけじゃないってことだよ。やっぱりFカップって並乳じゃん。
「そうですね。確かに先輩は巨乳じゃないです」
デスヨネ。
思わず相槌を打ちそうになったその時、星野から予想外のことを言われた。
「先輩の胸は爆乳って言うんです!」
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と先日、星野には、何ならあの時脱衣所にいた殆どの人から俺は巨乳どころじゃない、爆乳だ、的な評価をされたわけだが、いやいや、俺ごときが爆乳なわけないじゃん、なんなら俺が四姉妹の中で一番寸胴だぞ?本物はすごいぞ、と反論した。が、玲子だけが苦笑する中、玲子以外は納得はしてくれなかった。
その後、結局合宿中は色々言われたが、こうして家に帰ってやれ洗濯当番だ、やれお風呂だで涼ねえ達と比べるとよくわかる。
バストの肉量は間違いなく俺が4人の中で一番小さい。そんな俺程度で爆乳などありえない。
あれだな。
俺程度では爆乳はもちろん、巨乳を自称するのも烏滸がましい。せいぜい平均よりちょっと大きめ、これなら文句も言われないだろう。
人間、身の程はわきまえるべきなのである。
前話で星野が優莉のことを『ドッカンキュドーン』と評した話の裏側のお話でした。
優莉の日常の生活範囲は狭く、平日は学校と家の往復、時々食品含む生活用品の買い物くらいです。家では陽菜や涼香、美佳の3人、学校では教室内では完全にグループ化されており、身近にいるのは陽菜、ユキ、愛菜の3人。部活動中はいわずもがな。休日誰かと遊びに行くとなったら一緒に行くのは松原女子のバレー部の面々となります。
そりゃ優莉の常識も壊れます……