055 閑話 いい子
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立花 優莉たちが2年生になったばかりのころ
4月
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4月。新1年生が入ってくる時期。3か月前の春高終了後から新2年生、新3年生による新体制が動き始めるが、やはりここに新1年生が加わって本格始動することとなる。
特に今年は超大物選手こそいないものの、総合的な質で言えば歴代でも高水準。大友監督は彼女たちが入学する前からこの新人には期待していた。
だからか、正月の年賀状、合格報告の手紙等を貰ってなお、大友監督の思考の中に8か月前に補欠入部を認めたチビの存在はなかった。
どうせちょっと厳しゅうしたらすぐ辞めよる。
本当にそう考えていた。
むろん、彼女だけを理不尽にしごくようなことはしない。ほかの部員と同じように鍛える。体育館に入ったら最後、よっぽど人格に致命的な問題がない限りバレーボールが巧い選手がレギュラー、日の当たる場所をとる。低身長のデメリットはバレーボールにおいてはとてつもなく大きい。
同じくらい巧いでは論外。技術面で相当上回って、ようやく勝負の土俵に上がれる。土俵に上がれるだけである。レギュラーに選ばれるわけではない。
そしてここにはただ単にでかいだけの選手はいない。背が高くてバレーボールが巧い選手が大勢いる。背が高くて巧い選手を大きく上回る技術力を身に着けた選手になるのは非常に困難である。
また、背が高い選手だって努力する。なんせ自分たち指導者は背が低かろうが高かろうが『同じように鍛える』からだ。1日は24時間しかなく、金豊山では合理的に科学的に鍛えられる限界まで部員を鍛え上げる。
なので背が低くても努力次第で、などということは起きえない。なんせ背の高い選手もみっちり練習するし、才能の差を埋めるために空き時間に練習しようとしても、それ以上やればただのオーバーワークになってしまうところまで練習するからだ。
努力はいつか報われるから、少なくとも報われると信じられるから厳しくとも続けられるのだ。報われない努力を続けるのは難しい。だから心が折れる。そしてバレーボールを辞める。すでにスタッフには星野の入部を許可した理由を伝えている。同時に贔屓も差別もするなとも伝えている。そして多くが「5月の合宿前後で辞める、もしくは練習に来なくなる」と予想していた。
何せ現時点の評価は7人いるセッターの中で6番手の子に大きく後れを取っての7番手。ぶっちぎり最下位。ここから全員をごぼう抜きにしてレギュラーの座をとる景色を大友監督をはじめ、指導陣は誰も想像できなかった。
「おはようございまーす!」
そんな評価を知らない星野は今日も元気いっぱいで体育館に現れた。今は元気でもだんだんやる気を失って部から離れていく子を何人も見てきた。
だからこの評価はしかたないものなのである。
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5月。4月からの新体制がスタートし、最初の区分けが行われる時期である。
新1年生の実力、適性を見極め、それを上級生と合わせてどう戦うのか、方針がおおよそ定まり、では実戦で試してみるか、という時期である。
それは別に金豊山に限らず、高校女子バレー強豪校なら当然の考えであり、かつ5月には大型連休もある。ゆえに連休やその前後の土日を使い、強豪校を招いたり、反対に遠征に出かけたりといったイベントがある。
が、それは部員全員ではない。
金豊山学園高校女子バレーボール部の部員は50名を超える。この大人数に監督やコーチまで含めて遠征先の宿泊施設を見つけるのは大変である。また、バレーボールはコートに6人しか立てないスポーツであり、試合に登録出来るのは大体の大会で16名または14名+リベロ枠2名である。
とはいってもそこは練習試合であり、相手高もお互いにうるさく言わないようにするのでギリギリユニフォームを着れるかどうかの当落線上の選手も呼んで部員は20名+アルファ程度まで絞って遠征を行う。部員数が半分になれば宿泊先も見つけやすくなる。
そして遠征に呼ばれなかった約半数の部員はどうなるのか。金豊山学園高校女子バレーボール部では居残り組向けに徹底した基礎強化合宿を高校に残って実施する。そもそも遠征に呼ばれなかったのは単純に実力がないから。そしてユニフォーム候補組がいない今、個人技の差を埋める絶好の好機。
特に新1年生は基本的にまだ金豊山学園式筋力トレーニングを始めて一か月と日が浅く、金豊山学園高校女子バレーボール部の売りであるフィジカルバレーが十分に体現できていない。
だからここでみっちり基礎能力――選手によって技術よりだったり筋力よりだったりのメニューの違いはある――をつけてユニフォーム組との差を埋めるようにする。
実力がある者は積極的に遠征し、ない者はその足りない実力を身に着けるために残って合宿と一見合理的区分けがされるように思える。
が、実際のところ、毎年2、3年生に比べフィジカルで劣る新1年生は大多数が基礎強化合宿組となり、そして何名かは退部、退学への流れになってしまう。それくらいにこの基礎強化合宿は部員を追い込む。
金豊山が初めて春高を制した2年前に当時3年生でエースだった東という選手は中学までテニスをやっていたが、その長身と運動神経を見込まれてバレーボール経験ゼロながら高校からバレーボールを始めた。そしてほかの部員に大きく後れを取っていたバレーボールの技術をこの合宿で磨いて、その年の11月の春高大阪予選ではギリギリユニフォーム組。2年生からはレギュラー、3年生ではチームのエースまで育った。
そしてプロ1年目の昨年はチームの大黒柱としてプロの世界で活躍して見せた。
そんな選手が自分のバレーボールの原点は高校1年生の5月春合宿だと認めながらも
「二度とやりたくない。2年生になってもユニフォームを着れなかったら来年もう一度あれを体験しないといけないって知ったから春合宿以降は目の色を変えて必死にやった」
というほどなのである。
半端な意志ではここでくじける。
だから半端者の星野はこの合宿中に抜け出すとか、仮病を使いだすとか、あるいはそもそも学校を辞めるとかそうなると指導者達は予想していたのだが……
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6月。
インターハイ予選が始まり、それを順調に勝ち進んでいく金豊山学園高校女子バレーボール部。
すでに予選は始まっているが、実際公式戦をしてみると試合前に思っていたようには選手間のバランスが整わないことがある。例えばワンポイントブロッカーとして枠を確保したが選手交代のタイミングを考えるとうまく機能していなかったり、例えば個々ではよい評価でもチームプレイで混ぜるとうまく機能していなかったり。そうしたことも実戦を踏まえてわかることもある。
チームを指揮する大友監督はこの時期、どうしてもユニフォーム組を中心に見ることになってしまう。
一方でユニフォームを着れなかった子が100%あらゆる面でユニフォーム組に劣っているわけではないことをよく知っているし、なんならその差は紙一重、団栗の背比べではなく竜虎の鍔迫り合いのように僅差であるとも知っている。だから自分の見れなかった子の様子については彼女たちを指導しているコーチたちに確認するのだ。
――〇〇はサーブをスパイクサーブに変えてよくなってます。
――××は空中巧者なんですよ。
――▽▽は苦手だったオーバーがかなり改善しています。
などなど。
そんな報告に紛れてこのころから妙なことを言われだす。
――最後に背の低い星野ですが、いい子ですよ。
星野が未だに元気に挨拶をしながら体育館に現れているので部に所属し続けているのは知っている。けれども練習風景はほとんど見れていない。なので大友監督は聞いた。いい子ってなんやねん?何ができるんや?と。
すると回答は決まって苦笑されてながら特に武器はないですが、いい子です、と回答される。
大友監督はますます困惑することとなった。
だからいい子ってなんやねん?
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7月。
インターハイ予選は全勝、しかも1セットも落とすことなく大阪1位で通過した。
では改めてインターハイ本選の選手選考を、というところで星野が同学年の1年生相手にしている雑談が聞こえてきた。なんでも入学前に買ったスクール水着をいざプールの授業が近づいたから着ようとしたら着れず、慌てて購買部に駆け込んで買った、というものだった。それに対し、入部パンフレットでシーズン直前まで買うなって書いてあったでしょ、と反論する1年生にいやいやワンサイズ大きいサイズ買ってたんだよ、それ以上に体がおおきくなったの!と再反論する星野。当人の反論通り、彼女の体は春先と比べ大きくなっていた。
金豊山学園高校女子バレーボール部では筋トレだけで体を作るのではない。食事は栄養バランスを考えたうえで同世代の女子高生が食べる量より倍以上食べさせている。睡眠時間にも気を使っている。今どきの女子高生らしからぬ22時には就寝させて睡眠時間を確保させている。体格には恵まれなかった星野であるが、どうやら消化器官はほかの部員に見劣りするどころかむしろ優れているといっていい部類だったようで日々の厳しい練習、食事による栄養補給、睡眠による回復の3点セットで入部時と比べ体には厚みができた。肩幅は目に見えて大きくなったし、太ももも二回りは太くなった。
見た目だけではない。星野の成長ぶりは金豊山で毎月行っている健康診断と体力測定から数字でも証明されいている。
入学時には162.3cmだった身長がいまでは166.4cmまで伸びた。
体脂肪は入学時から微減であるにもかかわらず体重は大幅増となっている。
垂直飛び、シャトルランといった項目も4月と比べれば大幅に更新している。
最高到達点も伸びている。スパイクやサーブの球速も上がっている。
どこぞの県立女子高校のバレー部員のように胸部と臀部の脂肪ばかりが無駄に肥大化してサイズアップしたわけではない、スポーツに必要な筋力を身に着けた結果のサイズアップなのだ。
入部してからの3か月間、地味で目立たず、きつい基礎トレーニングを真面目にやり続けた結果だ。
事ここに至れば大友監督も星野のことを腐ったミカンではなくダイヤモンドだと認めざるを得ない。
しかし、だからこそ星野のことは『いい子』としか判定できない。
元が低かったとはいえ、今年の1年で入部時から一番伸びたのは星野や。けどな、レギュラーに一番近い1年かと言われればちゃうねん。体、でっかくなったな。1年だと一番変わったわ。それは地味な筋トレをサボらず正しいフォームできちんと毎日やったからや。だから同じ数だけこなした1年より成果が出たんや。これはすごいことやで。ほんまに。頭がええんやろな。こっちのが教えたこと、しっかり理解してどうして正しいフォームでやらないとあかんのか理解してやってるからや。食事、残さずしっかり毎食食べてるそうやないか。丈夫な内臓も立派な才能やで。食えへん子もいて、そういう子は体作りで遅れをとることもある。練習も毎日しっかりやっとる。コーチたちの評判もええで。挨拶も元気な声でしっかり、雑用も手を抜かない子って言っとるわ。
けどな、そこまでなんや。
もう体感しとるやろ?
試合形式の練習で20cm以上大きい子と対峙するとどうしようもないやんか。10cm差くらいまでやったらなんとかなったかもしれへん。
でも実際、20cm以上大きいうちの180cm超のスパイカーのスパイク、ろくにブロックでけへんやろ?
バレーボールはチームスポーツで総合力のスポーツや。
穴があったら攻められる。星野をコートに入れたらブロックで確実に穴が開く。
それに体が筋肉で厚うなった言うてもそれは4月の星野と比べての話や。金豊山の中で比べれば未だ平均より下なのはわかるやろ?なんせ『数字』を出してもうたからな。技術力はある。部員の中、特に1年の中でならトップレベルやろうな。けど、身長の差を覆してレギュラー、そこまででなくともユニフォームを着れるレベルか。ちゃうやろ?
今の実力を評価するならセッターの中で4~5番手。ユニフォーム着れるセッターは2番手までや。
地味な反復練習もきっちり真面目にやる。明るく声を出し続ける。日陰者であっても前を向き続けている。成果も出とる。
なるほど。
確かにええ子や。間違いない。
だが、そこまでや。
わいも鬼やない。こうしたきっちり真面目にやっている子にはフォローを入れてあげたいんやけどなあ。武器がない。入れる言い訳がない。なんでもええ。なんかいっこでええんや。武器が欲しい。例えば、レシーブが苦手で総合力では劣る長身のミドルブロッカーやったら、レギュラーに出来ずともワンポイントブロッカーとして使える。例えば、超強力なサーブを打てるなら、ピンチサーバーとして使うことができる。
そこまで妄想した上で思考を現実に戻す。やはりどう考えても星野には起用してもよいと思わせる肝心の武器がない。勝利を至上命題としている大友監督にも人情がある。だからこそ金豊山学園高校女子バレーボール部に所属しているうちは、ハッピーエンドをどうしても想像出来ず悩むことになる。
――これから身長の低い子を入れるのは嫌なんや。学生スポーツで真面目にやっても報われへんとかありえんやろ。誰や入部認めたんは。ってわいやん。こうなった以上、今年は無理でも来年の後半くらいまでにはとびっきりの武器を身に着けさせるしかないな。何鍛えようか。サーブか?いや、あいつセッターやし、ワンポイントツーセッターとしてでも採用するか?――
そして試練の8月を金豊山学園高校女子バレーボール部は迎えることとなる。