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046 月刊誌Vボールの春高特集 ~他校視点~

時間軸は前々話、前話と同じです。


 ラリーポイント制の反意語は一般的にはサイドアウト制というのですが、私個人としてはサービスポイント制の方がしっくりくるので本作ではサービスポイント制と基本的には呼称します。

 余談ですが、サービスポイント制の時代も第5セットのみラリーポイント制を導入、なんてことがありました。

 桜山高校

 

 今の高校生の親が高校生だった頃よりももっと昔、まだバレーボールが白く、ラリーポイント制ではなくサービスポイント制(サイドアウト制)が採用され、リベロ制が導入される以前、桜山高校女子バレーボール部は全国でも屈指の強豪校であった。

 

 最盛期は八十年代後半から九十年代前半。

 

 このころには春夏連覇 (この頃の所謂『春の高校バレー』は1月上旬ではなく3月下旬に本選が開催されていた)をはじめとする通年王者にもなったことがあった。

 

 県内では無敵。全国でも屈指の名門に転機が訪れたのは九十年代後半に発生したルールの変更が原因だった。

 

 1998年 リベロ制の導入

 1999年 サービスポイント制からラリーポイント制への移行

 

 細かく上げれば1994年にはサーブゾーンの廃止、1995年に膝から下での捕球を許容、1999年にネットインサーブの許容などもあったが、前述の2つのルール変更が桜山高校女子バレーボール部には影響が大きかった。

 

 サービスポイント制ではサーブ権を持っていないと得点できない。一方バレーボールというスポーツはサーブ側が相手へサーブ(給仕)し、レシーブ側がそれをスパイク(攻撃)で返す、という形から始まる。従ってレシーブ側は相手から給仕されたボールで攻撃するのに対し、サーブ側は一度相手にボールを渡して、攻撃を受けてから攻撃しなければならない。ゆえに、サービスポイント制ではサーブ権の取り合いが多くなり、得点が発生しにくかった。

 

 特に筋力で劣る、言い換えれば攻撃力で劣る女子バレーボールで、両チームが高レベルで拮抗していた場合、決定力の低さから1試合に3時間、4時間かかるのはよくあることだった。

 

 当時の桜山高校はこの女子バレーボールの特徴をよく理解し、そこを突いた戦術で戦っていた。

 

 その戦術とは徹底してレシーブを鍛え、昭和時代の気合と根性でボールを拾い続けて粘り強く持久戦で勝機を見出す戦い方であった。

 

 一方で攻撃面ではどうせ鍛えても女子では必殺の一撃は難しいとし、返球は強引にスパイクを打つのではなく、例え山なりボールにしてでも確実な返球を優先した。代わりに軟打であっても相手コートの四隅やレシーブの苦手な選手をめがけて行い、簡単には返球させない戦術を取っていた。

 

 

 実際問題、そう都合よく毎年170cm超の大型部員が入部するわけでもなく、ならばチームカラーとして特定の選手に頼らず、練習次第で誰でもできる守備に特化し、試合時間も3時間、4時間と長引けば相手長身エースも終盤には疲弊で跳べなくなることを考えれば相手が疲弊するまで粘るという戦術は当時としては合理的な考え方であった。

 

 が、これがラリーポイント制への移行で様子が変わっている。

 

 まず、ラリーポイント制へ移行したことで点が簡単に加点されるようになった。ラリーポイント制導入により1セット奪取に必要な点数も15点から25点に増えたが、それでも試合時間は大きく短縮されることなった。これにより『相手スパイカーが疲弊するまでの持久戦を仕掛ける』という戦術の有効性が大きく削がれた。

 

 さらにラリーポイント制より1年前に導入されたリベロ制導入も桜山には痛手だった。

 

 リベロ制導入以前のバレーボールでは得点しにくいサービスポイント制の中で少しでも得点力を上げようとレシーブが多少下手でも得点力のある長身スパイカーを入れるのが定石であった。その長身スパイカーがローテーションで後衛に回った時は所謂守備の穴、となっていたのだが、リベロ制導入によりレシーブの不得手な選手は後衛に回ったらリベロへ代わってしまうケースが増えた。

 

 これまでの桜山は攻撃力が低くてもレシーブの下手な選手を狙って得点を稼いでいたが、レシーブが下手な選手がコートから不在となることでそれも出来なくなった。


 

 競技としてはこの2つのルール変更でより積極的に点が動き、見る分には楽しいが積極的に高身長で攻撃力に優れる選手を育ててこなかった桜山には逆風となった。

 

 

 更に始末の悪いことにこれらのルール変更は導入されてからすぐに勝負の結果が変わった、というわけではなく各校試行錯誤の中、少しずつ変わっていった。

 

 一方、桜山高校はなまじそれまでのやり方で成功していたことに加え、ルール変更直後からしばらくの間はこれまで通りの戦い方で勝てていたので対応が遅れ、それが誤りであると気が付いた時には桜山高校は『全国』ではなく『県内』で屈指の強豪校まで落ちてしまい全国大会は出場して勝つことではなく、

 

 その前の出場自体が目標、そしてそれすらかなわない夢となってしまった。

 

 

 

 これを嘆いたとあるOGが旗振り役となって、学校、地元商店街、OG会を巻き込み一大改革を実行した。外部から最新のトレーニング技術を学んだ指導者を招き、時代に沿わなくなっていた練習メニューを一新。強豪校との練習試合を積極的に行い、実戦経験も積み、将来有望な選手がいると聞けば中学の部活動だけではなく小学生のクラブチームにも積極的に足を運んで将来有望な選手には桜山高校に進学してもらうよう依頼して回った。

 

 

 こうして改革を進めること7年目でついに18年ぶりのインターハイ本選への出場を決めた。

 

 それからさらに2年後。

 

 新体制に変わり、9年目となった今年は新体制下で最も充実した戦力が育っていた。

 

 浮上のきっかけはやはり2年前のインターハイ出場だった。

 

 どんな名選手も3年で卒業してしまう高校スポーツにおいて継続的な強さを維持するためには優秀な新入生が毎年入学してくることが必要不可欠だった。

 

 一方でそんな優秀な新入生は当然、少しでも強い高校へ進学し、全国大会出場を目指したい。

 

 強くなるには優秀な選手が欲しいが、その優秀な選手は現時点で強い高校を選びたい。

 

 この矛盾が改革を進めてから全国大会出場へ7年もかかった理由であった。

 

 そして待望の全国大会出場を達成した理由は『現時点で強い高校』でもなかった桜山を選んでくれたある選手が入学してくれたからだった。

 

 

 

 藤堂(とうどう) 智花(ともか)

 

 

 地元の小学生チームを全国に導いた選手で小学生の頃から熱心に、それこそ三顧の礼どころか百顧の礼をもってしてスカウトした選手である。

 

 小学生の頃から目をつけていた彼女は中学でもバレー選手として大きく成長し、ついにはアンダーカテゴリーで日本代表にレギュラーとしてまではいかないが選出されるほどにまでになった。

 

 それほどの選手が入部してくれたのだ。

 

 そして、鳴り物入りで入部した彼女は1年生ながらエースを任されると見事18年ぶりのインターハイ出場に桜山を導いて見せたのだ。

 

 その後の春高県予選は惜しくも県決勝で敗れるも、翌年度から桜山の指導者達が願っていた現象が起きた。

 

 前年度のインターハイ出場を受けて、有望な新入生が多く入部したのだ。

 

 『強くなるには優秀な選手が欲しいが、その優秀な選手は現時点で強い高校を選びたい』

 

 そう。インターハイ出場を受けて、県内では強い高校となった桜山を優秀な選手が選んでくれたのだ。

 

 選手層が厚くなり、その年は2年生エース藤堂を中心にインターハイ、春高共に本選出場。

 

 そして今年度。県内最強となった桜山高校にはさらに多くの有力選手が集まり、より強くなった。新体制下では過去最強と言えるレベルのチームが出来た。

 

 その中心にいるのが主将の藤堂。しかし、今年の彼女は中心選手であってもエースではない。なぜなら――

 

 

 

=======

 私立桜山高校

  月刊Vボール 12月号発売日当日

   体育館

=======

 

 普段なら昼食をすぐに片付け、昼休み早々に体育館に向かう桜山高校女子バレーボール部主将(キャプテン)の藤堂であったが、今日は進路相談が昼休みに差し込まれてしまったので体育館に向かうのがいつもより遅れた。

 

 昼休みの自主練の場所取りは基本、早い者勝ちである。練習ができる分だけ、コートが空いていることを願いつつ、熱心な部員達を抱えている以上、それは叶わない願いだと悟ってもいる。

 

 

「よろしくお願いしまーす」


 挨拶をしつつ、体育館に入る。

 

 一般的な運動部あるあるとして、グラウンド、コート、体育館、武道場などに入る際には挨拶をするのが常識となっている。

 

主将(キャプテン)、まだ部活は始まりませんよ」


「うっさい。バレーやるんだから実質部活動みたいなもんでしょ」


 ――なお、その常識はあくまで部活が始まる際のものであって、通常の授業の開始前には使わない。使わないのだが……

 

 これは体育系特別コースを導入している高校あるあるとして、午後の授業はなぜか体育で、なぜか種目別選択が可能で、なぜかその種目が部活動の種類分だけ存在し、それだけ細分化してしまうとクラス毎、学年毎に体育を実施すると少人数過ぎるのでなぜか3学年合同で種目別体育を行うようになっている。

 

 今体育館に入ってきた藤堂も実質はともかく大義名分のうえでは次はまだ部活ではないことなど承知している。

 が、実質部活でバレーボールをやるのと同義であることも知っているからこそのセリフである。

 

 なお、余談であるが、部活ではないのでバレーの練習着を着てはいない。午後の授業に備えて藤堂含め全員が体操着姿であり、学年別に青緑赤のカラフルな装いとなっている。昼休み中からの練習は強制ではないし、実際に16人しかいないユニフォーム組でも昼休みはギリギリまで寝ていたりで練習に参加しない部員もいるが、多くの部員が昼休みからの自主練習に参加している。


(サーブ練習したかったんだけど、ちょっとスペースがないわね。仕方ない。空いているところで別の練習ね。)

 

 どこかに空きスペースがないかとざっと体育館を見渡すと威勢のいい声が聞こえてきた。

 

 

「しゃあ!もう1本!お願いします!」

 

 威勢のいい声を上げたのは1年生にして今年のエース、近藤 樹里亜(ジュリア)

 

 

 父は元男子バレーボール日本代表にして、201cmの長身から日本の壁と言われた近藤 (つよし)

 

 母は元女子バレーボールブラジル代表にして、175cmと女子バレーボール選手としては長身とは言えない身長ながら抜群の跳躍力で最高到達点336cmと当時の女子世界記録を出し、南米の怪鳥の異名を誇った近藤 美衣紗(ミーシャ)(結婚時に帰化済)。

 

 5歳年上の兄は現男子バレーボール日本代表のエース、近藤 巴羽露(パウロ)

 

 そんなバレーボール界の超サラブレッド血統といえる彼女だが、意外にもバレーボールを始めたのは中学2年生からということもあり、練習量がものをいうレシーブなどは未熟なところもある。

 

 今も威勢のいい声を上げてやっている練習は派手なスパイク練習ではなく、地味で苦手としているネット際のボールさばきの練習だ。

 

 しかし、バレーボールに関しては今年で3年目と浅いが、中学1年生まではバスケットボールをやっていたこともあり、基礎体力は十分にあり、なにより身体を自在に扱うセンスもある。

 

 実際、未熟な守備力を補って余りある圧倒的なフィジカルをもって自分からチームのエースの座を奪った後輩だが、こうして地味な練習も軽視せず、熱心に取り組む姿を藤堂はいつも感心している。



「樹里亜、はりきってるわね」


「智花さん、ちーっす。なんたって今日発売のVボールでかましてやりましたから、金森の奴も私を意識してるはずです。宣戦布告したんですから、あとはやってやるだけです!」


 去年の借りは春高でまとめて返す!と宣言する後輩に藤堂はそうねと生返事を返す。

 

(金森 翼。松原女子高校の選手でまあ、普通というか凡百というか……)


 決して下手ではない。むしろ上手い。多分桜山(うち)にいたらレギュラーだっただろうし、他のどこの高校に行っても最低、レギュラー争いできるくらいに上手い。

 

 でもそこまで。

 

 言っては何だが、凄い上手い高校生止まり。

 

 アンダーカテゴリー(年齢制限あり)とはいえ、ナショナルチームに呼ばれたこともある藤堂は頂点の高さを、化物(天才)の存在を知っている。

 

 贔屓目に見ても金森はその世界にはいない。仮の話としてあの運動能力の質と量を維持したまま身長が+30cm、2mくらいあったら間違いなく怪物だろう。

 

 そこまでとは言わないまでもあと+15cmくらい身長があれば別だが、今の金森とやらは頂にいるような選手ではない。

 

 今のままの背丈なら、圧倒的な身体能力か、それとも神がかり的な技術力が必要だがそれはない。

 

 正直、どうしてここまで樹里亜が金森とやらに拘るのかがわからない。

 

 1年前の樹里亜が今と比べてものすごく下手くそで当時ちょっと上手かった金森に圧倒されてライバル視している、とかならまだ納得できる。

 

 が、思い返しても悔しい今年のIH()の2回戦で戦い負けた姫咲の徳本(エース)には

 

 『普通に上手いっすね。あれが今の2年生トップレベルっすか?あのスパイクコースの打ち分けと判断力はパクりたいですね』

 

 とイマイチ熱量を出さなかった。

 

 『金森の凄いところ?そりゃバレーの上手さもありますけど、一番はなんていうか、そう。プロっぽいところなんですよ』

 

 IHに出場し、高校トップレベル校とも対戦してなお、樹里亜の『金森』に対する入れ込みは変わらない、

 

 (春高であたった時にがっかりしなきゃいいけど……)

 

 樹里亜が熱心に入れ込んでいる『金森』は下手くそだった時に偶々上手く見えただけの虚像だと藤堂は考えている。

 

 困ったことに樹里亜はモチベーションでプレイの質が大きく変わる様な奴である。

 

 今から『金森』の実像を見てがっかりした後のフォローで藤堂の頭は少し痛くなっていた。


=======

 視点変更

  同時刻 (昼休み)

   金豊山学園高校 体育館

=======

「まっさか326cmも飛べるのに3番になるとは思わんかったなあ。けどな――」

「『高さは武器であっても絶対ではない』ですよね。デカいだけ、高いだけで何とかなるなら私は、私達は夏も勝っています。それを見せてやりますよ」

「せやで。トータルでは小平、お前が一番のバレーボーラーや」


~Vボールの記事より~

摩天楼対決

 女子バレーボールでは最高到達点が3mに届く選手はプロでも多くない。ところが今回の春高ではなんと13名もの――


最高到達点順位

1位 立花 優莉  身長 163cm 最高到達点 396cm 松原女子高校

2位 近藤 樹里亜 身長 174cm 最高到達点 335cm 桜山高校

3位 小平 那奈  身長 193cm 最高到達点 326cm 金豊山学園高校


話に入れられなかったこぼれ話(構成ミスともいう)

1.お話的に昨年の樹里亜ちゃんから見た翼ちゃん率いる砂川中学戦の話を入れようとしたのですが、長くなるのでカット。後日入れます。


2.樹里亜ちゃん、小学生のころは遊ぶことなくバレーばっかりの兄を見てあれは無理、と判断。当時はまっていたマンガの影響でバスケを小学2年生の頃からやってました。親は好きにしなさいという方針。で、どうしてもダンクがしたくて跳躍の練習をたくさんしていたので超人的跳躍力を手に入れてます。転機は中学1年生の時。普通の県立中学に進学したので自分の方が先輩より巧いのに試合に出してくれないバスケ部の顧問と喧嘩して中学2年からバレー部へ転入してます。


3.樹里亜ちゃんが桜山高校に進学した理由は単純に県内で一番女子バレー部が強いところを選んだからです。


4.樹里亜ちゃんがネット際のボールさばきの練習をしているのは対松女対策というか対奈央ちゃん対策です。強豪校は春高県予選の動画を見て改めてネット際のボール対処を練習してます。姫咲の敗北が他校の力になっているわけです。


5.春高の選手登録は12名+リベロ2名の計14名。一方松原女子高校バレーボール部の部員は16名。つまり2名はユニフォームを着れません。どうしよう……


6.翼ちゃんの評価は智花ちゃんの評価も正解、樹里亜ちゃんの評価も正解です。

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― 新着の感想 ―
[一言] 藤堂サン翼ちゃんに辛口ですよね、これまでの他校選手による松女メンバーへの評価で一番辛くないですか?そう言えば藤堂サンあのU19合宿に参加してたんだろうか、またチームとして対松女への相対評価が…
[一言] ライバルチーム回かー・・・噂の新人エースちゃんかー からの、翼ライバル宣言?! なぜなのか。要チェックや!
[一言] ラリー制しか知らなかったので、びっくりしました。 見る側としても、その長さは辛い…。 ユニフォーム着れない二名は応援席にいるのかなぁー? どうせなら、OB達との絡みが欲しい。 きっと明日香…
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