043 不治の病
県立松原女子高等学校
入学時に求められる偏差値は60~63程度とされ、開校は100年以上前という点と強いて言えばプールがあるという2点を除けばどこにでもある凡百な公立高校である。
また、一般的な話として主だった高校生スポーツはそれに特化した練習を行う私立校が全国上位を占めるのが当たり前となっている。
そんな中で異質な垂れ幕と横断幕がその松原女子高校に垂れ下がっていた。
【祝 バレーボール部 春高全国大会出場決定】
【祝 バスケットボール部 ウインターカップ出場決定】
凡百の公立高校が高校メジャースポーツのバレーボールとバスケットボールでそれぞれ全国大会。これは異常事態といえる偉業である。
松原女子高校は決して所謂バカ高校ではなく入学にはそれなりに学力が必要とされ、その中での全国大会出場。これには文武両道校として連日テレビ、新聞、雑誌、SNS各種で取り上げられる日々。
そんな高校の職員室ではとても重苦しい空気が漂っていた。
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「いやあ凄いですね。去年はバレーで、今年はバスケで全国大会ですか。上杉先生は立派な顧問だ」
「いえ、そんなことはありません」
「謙遜なさらなくていいんですよ。先生は立派な顧問です。ですが、学生の本分は勉学ですよ。それを忘れてしまっては困ります」
「まったくもってその通りです。すべては私の指導力不足が招いた結果です」
職員室ではアラサーと思われる男性と生徒が頭を下げていた。
それを囲むように立つ複数の教師が言葉を続ける。
「おい。前島。お前のライバルのバレー部は1年も2年も学年トップクラスの成績優秀者がいるぞ?バスケ部もちょっと頑張ったらどうだ?」
「すいません。頑張ります」
言いたい。バレー部にだってバカはいるだろう、と。しかし、バスケ部にはバカとは言わないが間違っても『成績優秀者』と呼べるような部員は居ない。バレー部にはいる。なので言い返せない。
「――で、主将だけに謝らせるんじゃなくてお前らはどうなんだ?」
教師の視線の先には3人の生徒の姿があった。
倉林 和音
長塚 桃香
谷畑 千晴
3人ともバスケ部の1年であり、先日行われた2学期の期末テストで和音と千晴は1教科、桃香に至っては2教科で40点未満の点数しか取れなかった。
県立松原女子高等学校は凡百の、どこにでもある普通の高校である。が、その普通の高校であっても各校何処か完全独自とまではいかないまでも何らかの特徴、伝統、ルールがあるものである。
松原女子高校では定期考査で40点未満の教科があった場合、1学期なら夏休み、2学期なら冬休み、3学期なら春休みを使って補講を行う、という特徴があった。
しかし、バスケ部は今年、冬休み中に行われるウインターカップへの出場を果たしてしまった。
果たしてしまったが、学校のルールを考えるとウインターカップは諦めて補講に参加せざるを得ない。それは何とか免除してもらおうと顧問の上杉先生と主将の前島が教師陣に頭を下げてお願いをしている、という状況である。
「あっはっは。ばっかじゃないの!6人しかないバスケ部で3人も赤点持ちが出るなんて。いまからでも陽紅に頭を下げて代わりにウインターカップに出てもらえば?」
ガラガラと勢いよく職員室の引き戸を開けながら入ってきたのはバレー部の主将、都平。
「随分なセリフじゃねえか。だったらバレー部はどうなんだよ。明日香」
言い返す未来に対し、鼻で笑って明日香は答えた。
「バスケ部と違ってバレー部はみんな優秀なの。バレー部で補講を受ける様なバカは――」
「私ひとりよ!」
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「――ってことになるからお前らマジで勉強しろよな。なにも満点取れとは言わない。半分の50点でいいんだ」
「ちょっと!なんで私がオチ担当なのよ!!!」
「明日香うるさい」
ここは松原女子高校の図書室。
その図書室の一角にバレー部とバスケ部の面々が勢揃いしていた。
なんで勢揃いしてるかっていうと少なくとも俺達バレー部は一週間後から始まる2学期の期末テストに向けてみんなで集まって勉強会をしよう、となったからだ。
集まった場所が図書室なのは単純に学校の施設内で生徒が出入りできるところで春夏秋冬、一年中冷暖房完備で適温に保たれているのが図書室しかないからだ。教室とかは授業のある時間帯はともかく、放課後にストーブをつけてくれはしない。
バスケ部も話半分に聞く限り成績が振るわない子がいるから集まって勉強会を開こうってことになったんだろう。
というわけで別にバスケ部とあわせたわけじゃないけど図書室に集まったのは偶然とも言えるし、学校で放課後に勉強会を開く、となったら図書室しかないので必然とも言える。
周りを見れば俺達以外にも図書室に集まっているグループが複数。みんな期末試験に向けての勉強会を開催するようだ。
で、このみんなで集まって勉強会って奴だが、効果のある奴とない奴に分かれる。
一人で勉強出来る奴に勉強会は効果がない。むしろ他人に集中力を乱される場合があるから逆効果である。
効果がある奴は他人の目がないと集中できない奴とかわからないところをちゃんとわかっているうえでわかっている奴に質問出来る奴だ。
前者は俺とかが当てはまる。人の目がないとサボりたいというか、『まあこの辺でいいや』的な気持ちが出てしまい長時間の勉強ができない。
後者はちょっと難しい。例えばの話、三角関数がわかってない奴は微積分の問題を解けない。この場合、どこがわからないかわかっている奴はまずは三角関数まで遡って勉強しなおすか、わかる友達に聞いたりするんだが、わからん奴は大抵それがわからず延々と微積分から勉強しようとしていつまでもわからないままとなってしまう。
これを勉強会で効果のあるところまで引っ張り上げるには『相手がどこまで理解しているのか把握したうえで必要なところまで遡って勉強を教えることのできる優秀な教師役』が勉強会に参加していることが条件となる。
客観的に考えて愛菜・陽菜・ユキは勉強ができるだけでなく善良で優しく、それなりに相手にあわせて勉強を教えることができるので、この条件となる教師役に相応しいと言えなくもないが、同時に自身もテスト勉強で忙しい中で自分の試験外の範囲まで遡って相手に教えるほどのお人よしでもないだろう。
数学の話が出たので察する人もいるかもしれないが、我らがバレー部の主将である明日香の面倒を見る余力なんてないってことだ。
同じ2年生でも特進クラスの俺達と文系クラスの明日香達とでは授業の進み具合が違うのでテスト範囲も違う。具体的には文系クラスの連中は2学期のこの時期で教科書は全体の大体7~8割が授業で学習したが、特進クラスはもう教科書1冊分は全て授業で学習しきっている。
ぶっちゃけて言えばちょっとした助言程度であれば時間を割いてくれるだろうが、本格的にわからない奴に自身の試験範囲外の基礎の基礎から教えてやるほど時間がない。
余談だが、今回俺は勉強を教える側にはまわれない。
やはり9月から10月の2ヶ月間高校に通っていないハンデはでかい。世界選手権中は一応バレーボール協会が用意してくれた講師に講義を開いてもらったが、その時間は精々1日2~3時間。まともに学校に通っていれば授業は6コマ分、うち体育その他座学でないものを除いても1日4~5時間は授業という形で勉強していたわけだから徐々に差は開くというもの。世界選手権後も自主勉強や学校からの補講もあったが限度というものがある。
なので俺は自分の勉強で手いっぱいだし、テスト範囲が被る特進クラス組の4人で1つのテーブルを占拠して陽菜達3人がかりで俺の補講を担当している。
この点、ユキや愛菜には悪いと思うのだが2人とも勉強範囲が同じだし、俺に教えることで自分もいい復習になるということで気にしてないそうだ。
陽菜は……まあ妹だし、兄を支えるのは当然であろう。
……俺は日常生活に聴勁は使わない。人として日常的に他人の心を読むのはダメだと思っているからである。
ダメだと思っているんだが、読むまでもなく読めるという展開もある。
今の陽菜からは『もぅ~~。優ちゃんは仕方ないなぁ。まぁ日本代表として頑張ったご褒美にお姉ちゃんが勉強を教えてあ・げ・る』的な意思を聴勁を使ってないはずなのに強く感じる……
まあ何も言うまい。今は冬。寒い夜に寝る時は陽菜の添い寝を活用するのが快眠の絶対条件だ。下手に陽菜の機嫌を損ねると一人で寝ろと言われかねない。多少のことは耐えて見せよう。
ちなみにだが、図書室には4人が利用できる丸テーブルと6人が利用できる長方形のテーブルが複数配置されている。このテーブル単位に勉強グループが出来ていると思ってもらっていい。
そして大抵勉強の出来る奴は勉強の出来る奴同士でグループが出来上がり、効率よく勉強を進め、出来ない奴は出来ない奴でグループが出来上がり、勉強が進まずだべったりの脱線をするだろうことが想像されてしまう。
「――ところでさ、バレー部も雑誌から取材があったんでしょ?明日香のこと、どうやってごまかしたの?」
――突然のキラートークに俺達バレー部の面々は固まってしまった。
声の主は歌織。バレー部『も』ということはバスケ部も雑誌の取材がこの間の県予選終了直後にあったのだろう。
バレー部にも春高出場が決定した4日後 (多分だけど出場が決まった直後に学校に取材の申し込みがあり、学校側が取材に対応できる日を選んだのだろう)、月刊Vボールというバレーボール専門誌の記者とカメラマンがバレー部の取材にやってきたのだ。
事前に連絡を受けていたので『普段の練習風景を取材させてほしい』というあちらさんの希望をガン無視していくらか普段よりお上品な練習風景を取材してもらい、ついでに佐伯監督と主力選手には個別のインタビューまであった。
あの時も明日香のことを聞かれたんだが――
「「「コンディション不良ですって言ってごまかした」」」
人によっては語尾が若干違っていたりしたが、俺や陽菜、ユキに玲子、愛菜の返答は見事にハモった。
あの時『主将の都平選手の状態はどうですか』『都平選手はどこが悪いんですか』『都平選手は春高には間に合うんですか』なんて質問がめちゃんこ飛んできた。しかも練習風景の取材時には明日香は元気いっぱいに動き回っていたからさぁ大変。必死になって全員で『コンディション不良です』とか『悪い箇所は明かせません』とかで必死にごまかしていた。
中でも佐伯監督が言った『都平のどこが悪いかは言えませんが、悪いところは100点満点で37点といったところですからこの状態では試合に出せません』は秀逸な回答だったと思う。
いやさ、個別取材だと特進クラスの俺達4人には勉強の方もちょっと質問があったんだよ。どっから仕入れたのかはわからないけど、学年中の成績優秀者を集めた特進クラスでもさらに成績十傑を維持し続けていることも知っていて文武両道の秘訣はなんですか、志望校はどこですか、とかね。
そんな中でチームの主将が実はバカです、なんて言えず苦しい取材だった。
「コンディション不良ねぇ……そうやってごまかしたんだ」
と歌織は苦笑して勉強に戻った。
で、一方渦中の明日香だが、せっかくの勉強会を有効に活用できていると思えない。
なにも一切しゃべるなとは言わない。時にはさっきの歌織のように気分転換代わりにちょっとした雑談をするのもいいだろう。
が、主が勉強であることを忘れてはいけない。
……忘れちゃいけないんだけど、大丈夫なのか?あれ?
春高も明日香はベンチかもしれんなあ……
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視点変更
矢祭 笑留 視点
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立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花
立っても座っていても歩いていても艶やかで華のある魅力的な女性を示す形容詞。
これは優莉先輩を見た人が作った言葉って言われても信じてしまうくらい先輩の容姿は整っている。本人は『姉妹の中ではぶっちぎりで私が一番ブス』って苦笑しながら言ってたけど、いくらなんでも――
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優莉先輩には何度か姉妹勢揃いの写真を見せてもらった。確かに人によっては優莉先輩が四番目って人もいるかもしれないくらい容姿の整ったお姉さんが3人もいるし、実際優莉先輩のお姉さんの陽菜先輩も凄い美人だけど、私は優莉先輩が一番美人だと思う。
この優莉先輩は容姿に整っているだけじゃなくて身体能力も陸上で世界記録を乱発できるくらい高く、性格も温厚。さらに勉強もできてしまう。
勉強については『そうはいってもたかが偏差値60ちょいの松原女子高校でトップレベルだからねぇ。上はもっともっとたくさんいるよ』なんて言っていたけど、松原女子高校でトップレベルの時点でそもそも世間一般の平均なんて大きく超えている。
容姿端麗で身体能力が凄くて勉強も出来るという凄い先輩である。性格だって気は優しくて力持ちという童話の中の人物だ。
前に下校しようって時に自転車のチェーンが外れて困っている私のクラスメイトを見つけると優莉先輩から見れば知らない子のはずなのに声をかけてパパっと (私が傍から見た限りだと何をやったのかわからない)チェーンを直してしまった。
その時に先輩の綺麗な手がチェーンの油で汚れちゃったのにまるで気にしないままお礼だけ受け取ってその場を去っていった。
綺麗で可愛くてかっこよくもある先輩。
この他、先輩は家では家事全般を姉妹で協力してやっているらしい。お弁当だって陽菜先輩と共同で毎日手作りしている。前におかずを少し貰ったことがあるから知っているけどこれがめっちゃ美味しい。
今だって同じ先輩なんだけど、明日香先輩と違って明らかに優莉先輩達からは勉強が出来るオーラが出てる。
完璧超人過ぎる……
……1つだけとても大きな欠点があって、自他共に認めるシスコンでそれを指摘しても『私のお姉ちゃんが美人で魅力的だから拗らせたのであって私は悪くない』って開き直るのはどうかと思うけど……
あれさえなければ絶対にモテるのに、でも優莉先輩と陽菜先輩はもう恋人通り越して婦婦だから当人たちはモテなくてもいいのかもしれない。
そんな超人先輩が翼ちゃんとこれまたとんでもないことを話してる……
「――やっぱり先輩達も1年生の12月にはセンター試験を意識してたんですね」
「意識っていうほどじゃないけど、どんな問題が出るのかなぁ、くらいは考えてたよ。実際過去問もチャレンジしたし」
「翼もやればわかると思うけど、今の翼でも教科によっては8割以上解ける」
「所詮センターなんて足きりだしね。そんなにひねった問題は出てこないわよ。ちゃんと学校の勉強ができればセンターは対策さえすれば余裕よ」
「世界史とか地理とかって好きな人は別に学校で習うまでもなく解けちゃう子っているし、そんな子に負けないためにも自主勉強って大切だよ」
「参考になります。周りにまだセンター試験まで意識している子がいないので私だけが変わっているのか不安になっていました」
「あはは。それって意識してる子は周りを気にして黙ってるだけだって。翼は来年特進クラス志望でしょ?2年になったら『実は私も前からセンターを意識してたけど周りから浮いちゃうから黙ってました』って子ばっかりのクラスになるよ」
「そうそう。今日だってクラスでセンターで地理歴史は何選ぶとか話になったし」
嘘でしょ……
なに?センター試験って?
それって再来年の話でしょ?
なんで3年生になって受けるテストの話を今からしてるの?わけわからない……
翼ちゃんは1年の今から意識しだして、優莉先輩達も去年の今頃には過去問を解いてたの?
住む世界が違い過ぎる……
松女の特進クラスって異世界の住人ばっかりなんだ……
さっきちょっと見せてもらったけど、教科書も文系クラスの明日香先輩の使っている数学Ⅱの教科書と特進クラスの優莉先輩が使っている数学Ⅱの教科書を比べると優莉先輩の教科書の方がページ数も多くて難解な感じがする。
でも優莉先輩達特進クラスはもうこの厚い教科書1冊全部授業でやって3学期は受験用の応用問題をやるらしい……
わけがわからないよ……
「――で、ケツデカ星人の明日香だけがバレー部で春高に出場できなかったら大爆笑だな」
「べ、別に私のお尻はそんなに大きくないし!あと、私以外にも赤点取りそうな子もいるし!」
……こっちはこっちで明日香先輩はバスケ部の前島先輩と口論している。
優莉先輩達との違いは優莉先輩達はしゃべっていても手は動かし続けてるし、視線だってノートや教科書に向いている。対して明日香先輩達は普通に勉強そっちのけで話している。
大丈夫なのかな?
……私はバレー部の先輩達を全員尊敬してます。バレーボールに対して真摯なところもそうだけど、6人とも美人ででもそれを鼻に掛ける様なこともなく、後輩をぱしりで使うようなこともしない。なんなら優莉先輩と玲子先輩なんかは『1年生よりも私の方が力持ちだから』っていって遠征時の荷物運びなんかはむしろ積極的にやってくれる。優しいけどそれだけじゃない。バレーに関してはちゃんとやるところはきちんとやる。メリハリもある本当に凄い先輩なんだけど……
でも……
「――先輩達はセンターの選択教科ももう決めてるんですか?」
「私、数学はどっちもアルファベットとローマ数字が交じっている方を選ぶ予定」
「地理って実はあんまり得意じゃないから日本史か世界史にするつもり」
「公民をやるなら現代社会かな?」
片や、来年度の大学入試を見据えた先輩。
「――もし、万が一、億が一、期末テストで全教科、センチ換算でお前の尻のサイズの半分も取れたら学食で鼻からスパゲッティを食ってやるよ」
「言ったわね!全教科44点以上なんて楽勝よ!鼻スパ、今から楽しみね!」
「お前、尻のサイズの半分って言ったろ、お前のデカい尻は絶対90超えてんだろ!」
「そ、そんなに大きくないもん!」
「嘘つけ!」
片や、鼻スパの話をしてる先輩。
同じ高校に通う、同じ2年生でどうしてこんなに違うのか、私にはわからない……
「そ、それにテストがヤバいのは私だけじゃないし!ね、奈央ちゃん!」
……明日香先輩。別に他の部員が赤点かどうかなんて明日香先輩の成績には関係ないんですよ……
で、呼ばれた奈央ちゃんは反応が……
「???あ、ひょっとして呼びました?」
耳からイヤホンを外して答えた。見れば近くにスマホを置いている。奈央ちゃんは音楽を聞きながら勉強をするタイプなんだよね。
「呼んだ呼んだ。ね、奈央ちゃん。奈央ちゃんは英語のテスト大丈夫?」
明日香先輩はきっとダメって回答を期待しているんだろうけど……
「まあ中間はコミュ英が72点で英語表現が69点でしたから何とかなるんじゃないですか?中間期末あわせて80点取ればいいんですよね?10点くらいなら鉛筆を転がしても取れそうですし何とかなりますよ」
「え?」
奈央ちゃんの回答に言葉が詰まる明日香先輩。
あぁ。明日香先輩。知らないんだ……
「明日香。下を見て安心しようとしているところ悪いけど、奈央ちゃん、今は別に英語苦手ってわけじゃないよ」
「なん…で?」
「いやあ、これも優莉先輩のおかげですよ。夏休みの最後に夏休みの宿題を片付けるために先輩の家で勉強会を開いてもらった時に、たまたま昔お兄ちゃんと一緒になってハマって見てたアニメの英語版のBDがあったんですよ。で、それを借りて音声英語、日本語字幕付きで何度も聞いていたらいつの間にかなんとな~く英語がわかるようになりました」
これ、1年バレー部員の間だと結構有名な話なんだけどね。ネイティブが理解できる会話の英語って言い回しが難しくて私にはチンプンカンプンだったんだけど、奈央ちゃんはなんとな~く理解したらしい。
ちなみに私もこのアニメは知っている。5年くらい前にお兄ちゃんがハマってたし。内容はえっと……なんというか……そう、中学生の男の子が好きそうな内容のアニメ。
奈央ちゃんのところもお兄ちゃんがいるからわかるけど、完全女所帯の優莉先輩の家にあるのはびっくりした。なんでも近所に住んでいる大学生のお兄さんたちから日本語を覚えるのにいいアニメってことで薦められたから買ったって優莉先輩が言ってたっけ?
唖然とする明日香先輩をよそに『ちなみに今聞いている音楽もその時借りたアニメのオープニングとエンディングの英語版をエンドレスで流してるんですよ』
なんて軽い口調で告げる。
生真面目な翼ちゃんは『確かにヒアリング能力を向上させるには歌で流れる英語が正確に聞き取れるような練習をすれば……』なんて考察しはじめている。
前に聞いたんだけど、奈央ちゃんは何か音が鳴っている方が集中できるそうだ。正確には何かの音が聞こえなくなるくらい集中すると勉強にしろなんにしろ捗るそう。
「――先輩から借りたこのアニメ、本当に面白くて何回もリピートしてるんですけど、英訳だけはちょっとカッコ悪いんですよね」
「!!わかる!めっちゃわかる!陽ねえはちっとも理解してくれなかったけど、やっぱりあの訳は単純すぎてダメよね!マークスの二つ名が日本語版だと漆黒の雷光ってかっこいいのに、英語版だとブラックサンダーだよ?お菓子じゃないんだからもうちょっとマシな英訳つけろって感じだよね」
……なんか奈央ちゃんと優莉先輩が本当にどうでもいいことで盛り上がり始めた……
「だったら優莉先輩ならどんな二つ名にしますか?」
「むむむ……こう、そうだね。例えばシュバルツブリッツとか?」
「おぉカッコイイ!」
……シュバルツブリッツってただ単に黒いと稲妻のドイツ語を繋げただけだよね……
その後も盛り上がる奈央ちゃんと優莉先輩を見てなんとなく思った。
優莉先輩はひょっとして中二病持ちなのかもしれない……
ドイツ語ってかっこいいですよね!