019 決めた
大河のポジションを決めるうえで、佐伯は改めて大河の長所と短所を思い出す。
長所はなんといっても運動センスの良さ。自分の体を自在に操ることが出来る。入部当初より感じていたが、実際は想像以上で寸分たがわず動作を再現しネットインサーブを狙って打てるというとんでもないもの。
目立つ短所は経験の無さ。これはかなりの痛手である。高校バレーの世界では小学生の頃から10年近くバレーボールをやっていた選手もいる。年単位の経験の差というのは例え大河自身が天才であったとしてもそうそう覆せるものではない。
となると、去年の村井達のようにポジション、もっと言えばプレイ内容を限定して専用の練習を集中して行うのが効率的だが、では大河に向いたポジションとは?
身体能力は飛び抜けたものはないが全方向に優れたものを持っている。身長は168cm。女子の平均よりは高いが、バレーボールをやっていく中では決して高いわけではない。だが、低いわけでもない。
村井を慕っているのなら同じようにスパイカーとして育ててもいい。
170cm近い身長を考えれば少しもったいない気もするがリベロだっていい。
あるいはポジションが誰とも被っていないミドルブロッカーだっていい。
運動を考えながらできるのでバレーボールで一番頭を使うセッターというのも捨てがたい。
驚異の動作再現は常に動作のあるバレーボールで活かすのは難しいが、それでもよくあるケースをパターン化し、練習を重ねれば試合中にいつでも必ずセッターにきれいにボールを返せるレシーブ、ブロックの隙間を突くスパイク、といったことが出来るようになるかもしれない。
もちろん、それを実現するためには膨大な練習が必要であり、すぐにはうまくいかないだろう。
幸い、去年と違い今年は素人同然の選手を無理やり出さなくてはいけない程、選手層が薄いわけではない。どのポジションでも適性があり、どのポジションでも今すぐ控えの選手が欲しいわけではない以上、本人の意思を優先するのがよいと佐伯監督は判断した。
「監督。どんなことやりたいってどういうことですか?」
「大河だけポジションが決まってないからな。これまではポジション別練習は満遍なく混ざってきたが、そろそろ決めておきたい」
「な、何で今日になってそんなことを言うんですか?」
「逆だ、逆。今日までの2ヶ月は大河から好きなポジションを言えるまで待っていた。けど、もう6月になる。そろそろお客さん、ではなく本格的にバレー部の戦力として使えるようになって欲しい。
さっきも言ったけど、大河のサーブは凄いぞ?あと何か1つあればレギュラーになれるかもしれないぞ?」
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それから早3ヶ月近くが経ち9月も間近の8月末。大河のポジションは未だに決まらない。3ヶ月間、大河には一通りのポジションをやらせている。どれかに興味を持ってもらえればと思ったのだが、大河はどれも同じだけ興味を示している。
何度か個別に面談しているが、彼女に言わせればよく使われる戦法があり、なぜよく使われるのかと言えばよく点が取れるからなのだが、仮に違った戦法を使っても結果的に点を取れば良し、というのが面白いのだという。
確かに相手の意表をついて点を取るのはバレーの醍醐味の一つであろうが、それを実施するにはバレーを知識としても学び、実戦経験を積んだうえでないと出来ない。
例えばフェイント攻撃は単品ではまず決定打にはならない。強打で来る、と思わせたところで使わなければ高い決定率は出せない。
基本を知らなければなにが正道で、何が意表なのかがわからない。それを理解するには経験と知識が必要とされる。
ポジションを決めないままではせっかくの練習が全てお遊びのまま終わってしまう。バレーボールはチームで行うスポーツであり、個人で巧くてもチームとして機能しなければ意味がない。
例えば、スパイカーならセッターとのトスに合わせをしなければならないし、セッターならスパイカーごとに得意の高さなり位置なりにトスを上げられるよう練習しなくてはいけない。
リベロをやるにしても単純にレシーブだけの練習をしていればいいというものでもない。コート内動線がどうなっているのかを把握しなくてはいけない。
単にポジション別練習をのんべんだらりとやっていてはダメなのだ。チームメイトの役割を理解し、どう動くかを知らなければならない。これもまた経験が必要とされる。
また、あまり大河だけポジションを明確に決めずにいつまでも日ごとに異なるポジション練習に混ぜ込むのは他の部員に示しがつかない。
もう2学期が始まる。そろそろポジションを決めなくてはいけないが、決め手がない。
その一方で大河の頑固な面も知ることが出来た。
彼女はとにかく『正しさ』に拘る。
筋トレ1つとっても『正しい』フォームでないと効率的に効果を得られない、だからフォームが乱れるまで追い込んでやるのは間違っていると考え行動する。この『正しさ』に拘るのがやっかいで間違ったことを下手に教えると最後まで突っ走る可能性がある。
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「――というわけで困っているんですよ」
1週間に及ぶ5校合同合宿は3日目も表向きの練習が無事に終了し、今は大人の時間。生徒達は生徒達で夜の合宿を楽しむが、教師は教師で別の楽しみ方をする。
場所は玉木商業近くのチェーン店ではない地元密着型の居酒屋。指導者たちが集まって互いの意見を交換する夜の勉強会である。
もちろん、大人なので自己責任が取れる範囲での飲酒は可。
ここで教師としてもバレーボール指導者としても未熟な佐伯監督は先達の知恵を借りるべくお酒の力も借り、口を軽くし他校の監督へ助言を求めた。
なお、口を軽くするまでに呑んだ量はビールジョッキ3杯、焼酎のボトル1瓶である。熊田監督以外は酔いつぶれているか、一足先に帰っている
(去年も思ったが、この姉ちゃん本当に酒に強いなあ)
お酒を飲めるようになったのは平成に入ってからとはいえ、昭和育ちの昭和気風を持つ玉木商業の熊田監督は女性でありながら酒豪である佐伯監督に呆れつつ彼女の悩み事に耳を傾けた。
敵将とは言え、困っている後輩を見たら助けるのが体育会系である。そこに学生・教師の違いはない。
出した結論は――
「――佐伯監督の中でもう結論は出ているんでしょう。俺はそれでいいと思いますよ」
彼女の内心の意見の後押しだった。
「え?」
驚く佐伯監督に熊田監督は言葉を続ける。
「先生の大事に育てたいって気持ちはわかりますよ。失敗したくないって気持ちも。けど、俺達は所詮ただの教師だ。
いくら佐伯監督が俺と違って運動に精通した体育教師っつったってそれは運動全般を教えられるってだけで私立校お抱えのバレーボール専門コーチと比べて『効率的に』バレーボールを教える技術はない」
「……」
「けど俺達にはその分、自由がある。背が高いからブロッカー?背が低いからスパイカーを諦めさせてリベロにする?んなのくそくらえだ。
そもそも学生スポーツなんですよ。我々が教えているのは。ならば第一に持ってくるのは健全な精神育成。これ以上のものはない。
それを阻害しないでルールや規律を守れるなら後は生徒の好きにやらせればいい。その方が生徒自身が楽しめる。
嫌でしょ?10年、20年経った時に高校バレーは怒られてばかりだったとか、自分の好きなことをやらせてもらえなかったとかって振り返られると。
生徒自身が考え、工夫し、成長を促す。それが部活動のあるべき姿です。もう一度言います。佐伯監督。気が付いているでしょ?彼女がどんなことをやりたいか。効率的だとかは二の次、三の次なんですよ」
「……」
「それと、これは俺個人の意見ですが、公立高校でポジション別の練習なんて望む方が無理なんですよ。背の高い子が入らない年もある。セッター志望の子が入らない年もある。
そういった中でどうやってチームを作り上げていくのか。そもそも特定の生徒をある意味では贔屓をして育てるんですか?そういうやり方はあんまり好きじゃないですねえ」
「……」
「ま、俺は佐伯監督と違って全国大会で準優勝まで生徒を導いたことはありません。そんな俺のバレー論なんて役に立たないかもしれませんけどね」
わははと赤ら顔でビールを呷る熊田監督。その様子を見ながら佐伯監督はある決心をした。
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合宿4日目。
佐伯監督は練習を始める前に大河を呼び寄せた。
「大河。前にこの合宿でお前のポジションを決めると言ったな。決めた。お前のポジションは――」
そこで一呼吸置き、伝える。
「――オポジットだ」
「オポジット?」
対する大河はオポジットの意味が分からず、頭に?を浮かべていた。
「セッターの対角に位置するプレイヤーのポジションのことだ。男子バレーの世界だとチームで一番攻撃力の高いスパイカーを配置して守備はさせずに攻撃だけに専念させる、攻撃特化のポジションだな」
「へ~……って!松女だと愛菜先輩のポジションですよね?愛菜先輩、優莉先輩とかと比べて決定率が高くないですし、そもそもあんまりスパイクしませんよ?」
「白鷺というか女子バレーの世界だとオポジットの意味が変わってくる。松女だと優莉だとか村井だとかが高い決定率を出しているから誤解すると思うが、女子バレーだと普通は決定率が4割を超えれば大エースだ。これは男女の筋力差から生まれるもので、エースの攻撃でもそうそう決まらない女子バレーではより繋ぐことを重視される。
だからオポジットには攻撃的スパイカーではなく守備的スパイカーを配置することが多い。白鷺はまさにこのパターンだな。
他にもセッターを2枚配置する『ツーセッター』を採用する場合は、セッター同士が対角になるように配置するぞ」
「――つまりチームの特性に合わせてスパイクが得意な選手を配置したり、守備の巧い人が配置されたり、場合によってはセッターを配置するんですね。で、私は何を頑張ればいいんですか?」
「全部だ」
「……へっ???」
「大河には全部やってもらう。前衛にあがればスパイク。後衛なら守備。サーブレシーブは前衛だろうが後衛だろうがやってもらう。セッターがトスを出来ないようなら代わりにお前がトスを上げる」
「そ、そんなのありなんですか?」
「ありだ」
大河にどのポジションに適性があるのかはわからない。どのポジションも同じくらい向いているような気もするし、どのポジションにつけてもしっくりこない気もする。
一方でどんな練習を好むのかははっきりしている。
大河は『正しさ』に拘り、筋トレや基礎練習では生真面目なほど型を守りきっちりやるが、淡々とまるで決められた作業をこなしているようにやる。
一方で『正しさ』を定義しにくいミニゲーム練習ではよく笑う。
合宿2日目で行った、松原女子高校ではまずやらない2VS2練習など出来ること、やっていいことがいくつもあったためか、実に楽しそうだった。
熊田監督に後押しを受けた形だが何でも屋のオポジットとして使うのが一番本人が納得してバレーボールに取り組めそうなことはわかっていた。
ではなぜ、ここまで決めなかったのか。
(大河のやろうとしているポジションは一番練習と経験が必要とされる。下手をすれば高校3年間かけても満足に試合に出れないかもしれない)
佐伯監督が最後まで迷った理由。それは大河が万能型のオポジットとして活躍するには必要とされる技能が多すぎる点にある。
優莉と村井が早くから活躍できたのは習得技能を限定したことが要因である。
チーム事情もあり、特に去年の今頃まではサーブとスパイクだけに専念した練習しかしてない。アンダーもオーバーも素人同然。ブロックは飛び抜けた身体能力でごまかしていたが、見るものが見ればただ高く跳んでいるだけ。コート内の動きは酷いもので他の選手とぶつからなかったのはチームメイトがフォローした結果に過ぎない。
それでも村井は世代別代表、優莉に至っては全日本代表に選ばれるところまで駆け上がった。
それは素早く戦力になる方法を選んだからだ。
満遍なく練習していたら規格外の運動能力を誇る優莉はともかく、村井は未だに無名の選手のままだったであろう。優莉にしても身体能力を取り沙汰されてバレーボール以外で注目されていたかもしれない。
大河も高い潜在能力を秘めているのなら少しでも早くに活躍できるようにしたい。そうなれば大河もバレーボールで進路が切り開けるかもしれない。
だが、それには課題がある。去年とは違い、それなりに選手がいる以上、選手間でレギュラー争いに勝たないとそも試合に出れず、注目されない。
誤った指導は出来ないと悩んでいたが、昨夜の助言で吹っ切れた。もとより彼女が試合に出れる可能性は極めて低い。ならば好きにやらせよう。
「いいか。大河。お前のやるオポジットは普通のオポジットとは違う。バレーボールで一番――」
――一番練習と経験が必要――
「――一番自由になんでもできるポジションだ。やりがいがあるぞ」
「はい!」
ただの返事だが声色に喜びが混ざっている。選択は間違っていないと思いたい。
「まあ大河が試合に出れる可能性は極めて低いが頑張れ」
最後に思わず本音をこぼす佐伯監督。
「むっ。それってどういう意味ですか?私じゃレギュラーが取れないってことですか?監督、前に言いましたのよね?コートに出れるのは最強の6人だって!
そりゃ私にも何でも屋のオポジットは難しいってわかりますけど、酷くないですか?」
「いや、酷いのはお前の期末テストの結果だ」
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佐伯監督と大河。両者の間に微妙な空気が漂う。
「え、えっと私、数学とか生物とか100点でしたよ?」
「凄いな。で英語は?」
「せ、先生たちは言ってました!今年の1年生はみんな勉強ができるから平均点が例年より良いって!だから仮にテストの点が平均点より低くても気にするなって!」
「それは知っている。安心しろ。松原女子高校は相対評価ではなく絶対評価で成績をつける。で、大河。お前の英語。絶対評価で考えるとどうなんだ?」
「……が、学年順位だって98位ですよ!バレー部に100番台の順位の子だっているんですよ!」
「大河。お前達が入部するときに私は言ったよな?一番は健康。二番が学業。部活動はその次だぞ?」
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「バレーボールと英語は関係ありません!!!!」
「高校生の学業に英語は切っても切り離せないんだよ!バカタレ!!」
大河 奈央
1年生1学期 期末テスト結果
国語総合: 98点
世界史B:100点
数学Ⅰ : 96点
数学A :100点
生物基礎:100点
コミュ英: 21点
英語表現: 23点
平均 :約77点
学年順位:98/216位
佐伯監督が大河をオポジットにした決め手
1年の1学期からテストがこの有様では高校3年間で公式戦に出場できる可能性は極めて低い。どうせ試合に出れないなら本人のやりたいようにやらせようと思ったため。ちなみに去年の明日香、ユキのように奈央ちゃんも補習テストを夏休み最初の週で受けるも爆死。明日香達と違い、夏休みに何日が補習を受けに行ったり、英語の宿題がマシマシになっていたり……
なお、バレー部で補習対象となったのは奈央ちゃんだけ。明日香は期末テストの時点できっちり全教科40点台を叩き出し、ギリギリ補習を免れている。
おまけ
1年生の学力(1学期期末テストより)
補足
1年生1学期の期末テストは国語総合、世界史B、数学Ⅰ、数学A、生物基礎、コミュニケーション英語Ⅰ、英語表現Ⅰの7科目。今年の1年生は入試時に高倍率だったこともあってか例年より学力が優秀。具体的には例年より平均点が1科目辺り10点前後高い。それがいつまで維持できるかは生徒の頑張り次第である。
金森 翼 :全教科95点以上。文系科目は陽菜レベル、理系科目は優莉レベルの成績。それでも学年三傑には入れず。
雨宮 結花:全教科平均+10点前後。なお、ここから飛躍的に伸びるバレー技術と反比例するように成績は急降下。
矢祭 笑留:全教科平均-5点弱。例年なら平均よりちょっと上になっている。昨年同時期の歌織より(ほんの少しだけ)成績優秀。本人は相当ショックを受けている。