018 片鱗
生きてます。
松原女子高校バレーボール部の面々が玉木商業高校で五校合同合宿を行うのが8月下旬。
そこから時間を3ヶ月ほど戻した5月下旬。
バレーボール部顧問、佐伯加奈子は大河奈央の育成方針に悩んでいた。
(初心者なのは仕方ないけど、もっとガツガツ来てくれないと……)
同じく初心者だった去年の村井玲子、立花優莉と比べると大河奈央は2人と同じように練習を真面目にやっているし、特段手を抜いているようには見えないが、限界まで追い込んでいるようには見えず、積極性にも欠けるように見えてしまう。
村井は僅かな時間を見つけては黙々と練習を積み重ねていった。
優莉は村井ほどではなかったが、それでも姉から聞いてきたというトレーニング方法を部にもたらし、本来は朝7時から始まる朝練を「自分は素人だから」と1時間早く来て自主練をするくらいの熱意があった。
この『1時間早く朝練を始める』は校則上でも管理上でも問題だったので中止させたが……
そもそも今年の2年生は全員が呆れるほどの熱意を持ってバレーボールに取り組んでいる。今年の1年生を見て改めて思うが、なんの特徴もない平凡な公立高校にあれだけの熱意と才能を持った生徒が複数人集まったのはまさに奇跡である。
これはこれでいいことなのだが、そのしわ寄せが悪い意味で今年の1年生に出ている。
ほぼ全員が先輩達には勝てない、と思っている節がある。
バレーボールは試合中に6人しか出れない。ならばその6人枠を奪いにいくのが当然であり、部員には「コートに出るのは最強の6人。そこに先輩も後輩もない」と指導しているが、2年生の熱意に1年生達は負けて委縮しているように見える。
自他共に体育会系だと認める佐伯としては下級生が上級生を敬うのは当然だが、委縮してポジションを譲るのは違うと考えている。
1年生唯一の例外は金森翼なのだが、むしろ彼女の存在が競争力を奪っていた。
去年の全中県予選の最優秀選手。確かに今年の1年生の中では頭1つ以上抜けて巧く、さらに一足早く入学前の3月から練習に混ざっていただけあって、他の1年生よりは練習にもついてこれている。
これもあってかどうにも金森は1年生の中で特別視されている雰囲気がある。
結果として「2年生5人と1年生からは金森、リベロも2年生の有村でレギュラーは決定。勝てないのは仕方ない。だって先輩達は天才だから」という風潮が出来上がってしまっている。
だが、1年生が思っているほど2年生は圧倒的な実力を持っているわけではない。
バレー歴の長い都平と有村は別として他の4人については身体能力と才能でごまかしているがバレー歴の短さ故に決して特別にバレーボールが巧いわけではない。むしろ1年生の方が長くバレーにたずさわってきた分、純粋な技術なら上手の者もいるだろう。
今は負けている身体能力にしても去年の今頃の2年生達と比べればむしろ今年の1年生の方が優れているかもしれない程だ。
なので闇雲に追従するのではなく、隙あらばレギュラーを奪取するくらいの気概を見せて欲しいと常々思っている。それが健全な競争を生み、やがて部全体のレベルアップにもつながる。
そう思えばこそ、なおのこと大河が惜しい。
彼女は今年の1年生で唯一の未経験者で、確かに技術面では劣っている。加えて去年の村井のような圧倒的な身体能力を持っているわけでもない。しかし、運動センスの良さというか、物覚えの良さ(あくまで運動面のみに限る)を感じる。
この大河が後ろから今の1年生を追い抜く勢いで練習に励み、レギュラーになろうと努力する姿を見せれば他の1年生に火がつき、2年生を脅かすようになる。そうなれば2年生もさらに精進するようになり、最終的にはバレー部に正しい競争が生まれるだろうに、大河はクタクタになるまで自分を追い込むことがない。周囲にあわせるように練習を続ける。常にどこか一歩引いて練習をしているようだ。
何かにつけて遠慮をして周囲にあわせる練習姿勢は協調性があると言えば聞こえがいいが、去年と違い部員が多い今年は闘争心無くして試合に出ることは出来ない。まして彼女には経験値という絶対的なハンデも背負っているにもかかわらずだ。
むしろなんにでもガムシャラにチャレンジするくらいの気概があっていい。
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その日の放課後、サーブ練習で佐伯監督が大河を注視したのはただの偶然である。10人にも満たない去年と違い、今年は部員が20名近く所属している。とても1人1人を丁寧に見ることなどできない。
また、サーブ練習中の事故で発生しやすく恐ろしいのは『ジャンプサーブを打った後、着地地点に他の選手が打ったボールが転がり込み、ボールを踏んでしまい転倒してしまう』である。
誰かが打ったサーブのボールが当たってしまう、というのも確かに恐ろしく、まして松原女子高校の部員のサーブは球速が並みの女子高生より速いので危険ではある。
が、所詮は並みの『女子』高生レベルであり、1人を除いて男子には球速で大きく劣るうえに、その男子とてサーブ練習のボールが飛んできて大怪我をした、などとは聞かない。なので気を付けるべきは、着地時に誤ってボールを踏んでしまわないか、だ。
特に松女はジャンプサーブに取り組んでいるものが多い。ゆえに注意してみるべきはジャンプサーブの使い手である。サーブを打つ前に足元にボールがないか、ネットの向こう側からボールが飛んでくる可能性はないか。そしてこれらを注意し、サーブを打っているか。こうした注意を促すことが指導者たる佐伯監督に求められている。
これに対して大河は普通のフローターサーブの使い手である。多少は放っておいても怪我はしない。また、大河がフローターサーブを打つことは別におかしなことではない。4月からバレーを始めてまた2ヶ月しか経っていないのである。基本に忠実になるとすれば必然のことである。
故に普段ならより注意しなくてはいけない部員を優先的に見るのだが、その日は本当に偶然大河を目で追ってしまった。
大河はサーブ練習を始める前になぜかネットの張り具合を確かめていた。続いてボールの空気圧を確認。
(あれは一体何を????)
疑問に思ったが、ルーティンワークの一環だろうとそのまま観察を続けることにした佐伯監督。続いて大河はサーブを打った。何の特徴もないただのフローターサーブ。
(まあ、教えた通りの基本に忠実なサーブね。慣れてきたのならもっと力いっぱい腕を振って球速を上げるとか、無回転サーブを狙うとかをしてほしいのだけど……)
球速は凡庸。コースは……
(白帯に当たってネットイン。ま、偶然でしょうけど狙いは良い。白帯を狙え、と常に言っていたのだからそこは守れている)
ボールは低く軌道を描いてネット上部の白い部分にあたりネットイン。サーブのネットインは今の高校生が生まれる前のルールでは失敗とされたが、今では成功とされる。
とはいえ、サーブのネットインなど狙ってできるものではない。良いものを見たと、そこで他の選手を見るのが妥当なのだろうが、その日は本当に偶然、大河を見続けてしまった。そして気がついてしまった。
大河の2回目のサーブもネットイン。3回目のサーブもネットイン。4回目のサーブになって初めてボールは白帯の少し上を通って普通にコートに落ちる。
そして、4回目のサーブを打った後、初めて大河は首をひねり、フォームを確認するように素振りをしだした。
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結局、佐伯監督は連続10回大河のサーブを見続けてしまった。その結果、なんと10回中ネットインサーブが7回、惜しくも白帯に当たらずそのままコートに落ちたのが2回、白帯に当たり自陣コートに落ちたのが1回。
……
たまらず佐伯監督は大河に声をかけた。
「大河!ちょっといいか?」
「?監督。なんでしょうか?」
「お前凄いな!ほとんどネットインサーブだったじゃないか!」
「?どうして凄いんですか?」
「ネットインサーブなんてそうそう出来るもんじゃないぞ?それを大河は狙って出来るんだろ?凄いじゃないか!」
「だから、どうしてそれが凄いんですか?」
「どうしてって――」
「私はいきなり力持ちになったわけでも背丈が伸びたわけでも体調が変わったわけでもありません。道具だってネットの張力がいきなり変わるわけでもボールの大きさ、形が変わるわけでもありません。
だったら同じ力、同じフォームで同じように打てば同じ結果になるのは当然だと思いますけど??」
――ナニヲイッテイルンダ??――
言っていることは理論的には正しいのかもしれない。が、人は感情の生き物で機械でもないから同じ動作を何度も全く同じに繰り返すことなどできない。
全くの同じ動作の繰り返しは不可能だと普通は考えるが、それを可能と言い切る大河に佐伯監督は驚いた。
そしてなけなしの体操に関する知識を絞り出して考える。
(そうか。大河が長くやって来た体操は練習で技の構成を決めて本番でそれを披露する競技だったな)
当然、体操も練習と同じ内容を本番でも披露できるとは限らないが、日本どころか世界トップクラスの体操一家である大河家の感覚が一般凡人家庭出身の自分と同じとは限らない。
おそらく、練習で反復した演技は本番でも出来て当然、なぜなら同じ動きをするだけだから、と無茶を道理とするような教育が彼女には施されているのだろう。
しかしこの考えはバレーボールには合わない。
バレーボールは体操と違い、最初のサーブを除けば常に第三者の動きに左右されて進むスポーツだからだ。そこに練習と100%同じ状況再現などは発生しない。
仮に一度習得したフォームを寸分たがわず再現できるとしたら向いているスポーツは弓道やゴルフ、ボーリングなどのスポーツになる。
では彼女にバレーボールは向いていないと辞めさせるか?
それは違う。
向いているからバレーをやって欲しいのではない。やりたいと本人が望んでバレーをやって欲しい。
少なくとも佐伯監督はそう考えている。
そして同時に思う。
大河は自分のように闘志を前面に押し出すタイプではなく、内に秘めて淡々と、それこそ試合中であろうと普段通りに冷静沈着に振舞うタイプではないだろうか?今までの練習も余力を持って行っていたのではなく、初めて行うバレーボールの練習に対し、自分なりに理解しようとし、解析し、学習しようとしていたのでは?
少なくとも何も考えていないわけではない。むしろ自分で理想のフォームを考え、それを実行させることが出来る様な子なのだ。入部して2ヶ月が経つというのにまだ部員のことを理解していなかったとかと内心軽く自己嫌悪に陥りつつ、かねてからの疑問を聞いてみる。
サーブ1つとっても努力の跡が見えるが、表面上は見えない。ひょっとしたら努力をしている姿を見せるのはかっこ悪いと思っているのかもしれない。
「――そうか。それは私が悪かったな。お前のサーブは凄いぞ。狙ってネットインが出来るならピンチサーバーとして十分に戦える。後はもう少しコートに入った時の武器が欲しいな。大河は――バレーボールでどんなことをやりたい?」
本当は奈央ちゃんのポジション確定のシーンまで書こうとしたのですが、長すぎたのでカット。