013 いつか来る日
後輩達からまさかの百合疑惑をかけられたのが先週の話。
すでに期末テストは返却まで終わり、去年の今頃同様、生徒は半分夏休みモードで学校側もそれを承知して何かと行事ラッシュで授業の進みは特進クラスの俺達ですら遅い。
ま、そうは言っても無事に夏休みを迎えられない奴も2年生だけで全体の約1割にあたる20人くらいいるんだけどな。
それは中間・期末で悪い点を取ってしまったために夏休み中に補講を受ける連中だ。ちなみにこの補講を受ける奴に我等特進クラスの1組からは1人も出ていない。女子のネットワークというのはおそろしいもので誰が補講を受けるのか情報が出回っている。彼女達ははっきり、身も蓋もなく言ってしまえば日頃の努力が足りないから夏休みをふいにするのだ。
この高校に入ってきた時点で頭の出来は全員ほぼ同等。後はどれだけ自主的に勉強をするか、である。1組から誰も補講対象者がいないのはクラスに漂う雰囲気だろう。嫌な言い方になるが、これを言うだけの努力を1組の連中はしている。テスト直前だけでなくとも日頃からみんな授業前に予習はしているし、復習も忘れない。周りがそうだから同調圧力でクラス全体で怠ける雰囲気がない。俺の場合、さらに家でも陽菜の存在があるので中々手を抜けない。これはこれで大変だが、やった分だけ結果が出る。これは嬉しい。
反対に2年生の真面目組が軒並み1組に集まってしまい、相対的にぬるい雰囲気になった他のクラスでは悲惨な夏休みを迎える者がクラスに1名はいるという有様だ。進学して授業が難しくなったにもかかわらず、勉学が疎かになれば当然だろう。時々、明日香達に会いに4組の教室に行くと同じ高校か!と思うほど雰囲気が違う。
ちなみに緩い雰囲気に包まれている4組にいる明日香は40点未満があれば補講という中で、全教科50点以下40点以上というギリギリ低空飛行で補習を免れている。これを狙ってやったならある意味、学年1位を取るより凄いと思う。
ともあれ、授業はお気楽モード、今日も午前中だけで授業が終わる。だが――
「――っていうのに今日も朝早くから私達も真面目だよねえ」
「学業と部活は別物だからな」
7月も中旬の平日、朝7時前というもしかしたら普通の松原女子高生なら家でまだ寝ているかもしれない時間帯に俺達は部室で着替えをしていた。朝練が7時からあるのだ。もう慣れた。一方でこの部室を使うのはまだまだ慣れそうもない。
「うーーっす!」
と、ここで新たな生徒が部室に入ってきた。未来だ。
「未来、おはよう」「おはよう」
「おう。おはよう。優莉も玲子も相変わらず早いな」
「私達、自転車通学だからね」
「私も優莉も通学には20分もかからないし、電車を待つなんてこともないから、早くに登校できるんだ」
「あ~通学時間、入学前にあんま考えなかったことを後悔すんだよな。アタシなんか朝練ある時は毎日5時半に起きてんだぞ?もうちょっと近いところを選べばよかったなあ。ま、一番近いところは工業高校だから選択肢には最初から外れてんだけどな」
あっはっはと快活に笑う未来。なぜ未来が俺達と同じ部室にいるのか。それは学校に掛けられている懸垂幕と横断幕が教えてくれている。
【祝 全国高等学校総合体育大会 出場 立花 優莉】
【祝 インターハイ出場 陸上部(4×100mR 4×400mR)】
ちなみにこのリレーの選手は陸上部から4人ではなく、学校で短距離走の速い奴を4人集めたら俺、玲子、未来、そして陸上部3年生の御手洗 佳鈴さんという先輩の4人が選ばれたからだ。
祝福幕が教えてくれるようにバレーボールでは県予選の決勝で敗れてしまい、インターハイ出場を逃したがその裏の陸上では確実に勝ち進み、インターハイに出場することになっている。
……あの頃は土曜日にバレーボールの試合、翌日日曜日には陸上の大会というアホなスケジュールだった。なんで日程がダブらなかったのだろうと思ったら陸上とバレーボールとついでにバスケの偉い人達が忖度したらしい。ちなみにバスケ部はインターハイ県予選の準々決勝で県女王の陽紅高校と試合を行い、そこで敗れた。また、試合日程の関係でバレー部もバスケ部も試合に負けた翌日に副業の陸上でインターハイ出場を決めている。
未来も以前愚痴っていたが、正直本業の部活ではなく、陸上で全国大会に進むことに思うところはある。それでも出場するからには半端な状態で出る気もないのでインターハイまでは朝練は平日全部、放課後は火曜と木曜日は陸上の練習をすることとなった。
……リレーだけの玲子達ならともかく、計10種目以上出場する俺はそれでも圧倒的に練習が足りず、でも単純な身体能力で圧倒できるという不具合……
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「お前らが気持ちを上手く切り替えられないってのは、まあわかるつもりだ。」
着替えて朝練前に準備運動だ、と意気込んでいると陸上部顧問の田島先生が苦笑しながら声をかけてきた。
「3人とも真面目過ぎて生真面目だから、やる気がないというか申し訳ない気持ちが全身から漂っている。はっきり言うがそんなもの気にしなくていい」
「そうは言っても優……立花ならともかく、アタシなんて多分ちょっと陸上に力を入れている高校の陸上部員より遅いですよ?それを無視して、ましてバスケの片手間にやっているようなのが出るのは……」
未来が当然の主張をする。そりゃそうだよなあ……
が、
「別に構わんだろ。昔から言うだろ?『運も実力のうち』。お前はチームメイトに恵まれた。それに前島はうちの陸上の短距離走の選手より速い。それはお前の日頃の努力の成果だ。日頃から脚力を鍛え、チャンスをつかみ、全国に行く。鍛えた目的は違うのかもしれんが、努力したことには変わりない。それのどこに非難される要素があるんだ?」
「それでも前島さんも私も陸上の専門家ではありません。立花さんは実力があるのでわかりますが……」
「そこで私に話をふらないでよ。フォームとか滅茶苦茶だよ?私。基礎だって出来てないじゃん」
「だが、立花が一番速く走れるし、一番高く跳べるし、一番遠くまで投げられる。スポーツの世界じゃそれが正義だ」
み、身も蓋もない……
さらに言えば田島先生らしくない。先生はよく『努力は必ず報われる、だから頑張れ!』が大好きな体育教師のはずなんだが……
「これから言うのは、教師田島ではなく、アスリート田島としての考えだ。世界一足の速いランナーが世界一練習したかと言えばそうじゃない。どんなに努力しても超えられない壁は存在する。報われない努力をするのならどこかで見切りをつけたっていい」
「えっ!田島先生!どこか悪いんですか?普段と言ってることが違い過ぎるんですけど……」
「普段は高校教師として、教育の一環での話をしているからな。特に陸上は自分との戦いだ。大会で勝つには他人に勝つ必要があるが、基本は以前の自分と比べてより速く、より高く、より遠くに、と練習を重ね、自己記録を更新する競技だ。そこまでの世界なら努力の分だけ報われる。けどな、県大会で上位の成績を目指す、とかじゃなくて全国大会で1位とかになると努力だけじゃどうにもならん。さらに『高校』って枠組みを外してもっと上の世界を目指すとなると、才能以外にも時代にも恵まれないとな」
「時代ってどうしてですか?」
「例えばな、陸上の世界じゃもう何十年も更新されていない世界記録ってのがいくつかあるんだ。つまり今、陸上の世界大会で1位になったからと言ってそれが歴代1位とは限らない。過去の偉人と同じ時代に生まれていたら世界2位なわけだ。反対に未来の超人がたまたま生まれていないだけで世界1位になれているのかもしれない。技術や素材だって日々進歩している。棒高跳びの棒は一番最初は木材だったが、そののちに竹材に変わり、今じゃカーボンだ。だが、その恩恵にあずかるにはその時代に生まれてなきゃならないし、そもそもその新技術に自分が合うかは別だ。この辺は全部運だ」
……そうかもしれないが、体育教師がぶっちゃけていいのかって話だよな。
「そのうえで、俺は努力することには意味があると思うし、尊いと考えている。高校までだぞ?スポーツで頑張った、が認められるのは。高校から先は頑張った先の結果が出て初めて認められる。社会に出れば嫌でも結果を求められる世界に――いや、これ以上は教師が言うべきことじゃないな」
本当に言うべきことじゃない。こう、教師ってもっと将来に対して希望を持たせる職業だと思うんだ。
「先生、なんかあったんですか?」
俺の聞きたいことを未来が訊ねる。
「何かあったわけじゃないが、一学期末に部活にたずさわっているとどうしてもな。ま、職業病みたいなもんだ」
「どんな症状の職業病なんですか?」
「ん~そうだな。なあ、前島。お前、バスケはいつからやってる?」
「は?なんすかいきなり?……隠すようなことじゃないから言いますけど、バスケ歴はミニバス含めると小学校4年からです」
「結構長くやってるな。で、そのバスケだが、後1年くらいで今みたいには出来なくなるぞ」
「へっ?????」
未来が驚きの声を上げる。俺もびっくりしているし、玲子も「何を言ってるんだ?」って顔をしている。
「あの、アタシ、別にどっか怪我してるわけじゃないですよ?なのにどうして後1年でバスケが出来なくなるんですか?」
「あぁ。前島自身は出来るだろうさ。ただ、1年後には同年代と全力でバスケをする機会が極端に減る。なにせ部活動をする機会がないからな。そんな中、どうやって人を集める?ボールは?コートは?」
「……」
「もちろん、趣味で気の合う友達と『遊び』でやる機会は将来いくらでもあるだろうさ。でも、毎日仲間と集まって練習して、なんて機会はなくなる。
仮に前島が高校の先の大学なんかでバスケをやったとしてもそれは高校のバスケとは違うものだ。知ってるかどうかはわからんが高校以降のスポーツ環境は大きく違うぞ。今まで以上に勝つバスケと楽しむバスケに2極化する。前島はバスケで進学するのか?
そうでないならお前が本気でバスケに取り組めるのは来年のインターハイ、粘っても12月のウィンターカップまでだ」
「……」
「それに競技人口もガクッと減る。なにもバスケだけじゃなくて、全ての競技でだ。どうしても高校生までだとイメージは出来ないだろうし、かつての俺もそうだったが、『同級生・先輩・後輩と一緒になって部活動に取り組む』なんてむしろ人生の中じゃ貴重な時期なんだぞ。中学から高校に進学するのと高校から先に進むのとはわけが違う。いつか競技から離れる時が来る。多くの場合、それは高校3年の夏だ」
……
そっか。それもそうか。
確かに雄太や祐樹からは『大学に入ってから運動する機会が極端に減った』と聞いている。部活動の経験が貴重なものだったとも聞いている。
一方で、中高と部活というか放課後に何かをやり続けるのは当たり前の習慣だったが、そうか。そうなのか……
「……なんかそう聞くと益々私達みたいな中途半端な陸上部員がインターハイに出るのは申し訳ないんですけど……」
思わず本音がこぼれるが、これを田島先生は一蹴した。
「いや、だからこそ才能のある立花は出るべきだ。言い方は悪いが運に恵まれた村井や前島もな。さっきも言ったが高校以降のスポーツ環境は大きく違う。
インターハイだぞ?全国大会だぞ?中には当然、この先も陸上でやっていこうって奴もいるはずだ。そんな奴らには才能の存在を見せつけてやる必要がある。どうせ8月に立花が見せつけなくともどこかで思い知るんだからな。それで折れるようなら悪いが陸上でやっていくのは無理ってことだ。むしろ進路修正が効く今のうちに教えてやれるのは優しさですらある。高校で陸上を終える選手には最後に世界レベルの選手と競えるんだ。逆に思い出になるってもんだよ。
それに個人的な意見だが、御手洗に最後の思い出を残してやりたい。知ってるかもしれないが、御手洗も8月で陸上はお終いだ。あいつも小学生の頃から走ってきた。それがあと一ヶ月もないうちに終わるんだ。俺が教師になって初めて短距離走で8月まで走れる選手なんだ。最後にやり切ったって、泣かないで終わって欲しい」
3年の御手洗先輩が8月で競技人生を終わるっていうのはなんとなく想像がついていた。本人から「親を説得するのに苦労したよ。でも受験勉強の遅れは精々一ヶ月だからね。なんとかゴリ押しできた」と聞いている。
御手洗先輩は確かに松原女子高校の生徒という中では俺の次に短距離走を速く走れる。一方で先輩自身の実力は県の最終予選で決勝まで残れない程度だ。つまり、まあそういうことなのだろう。
俺達の顔色がさらに微妙になったことで田島先生はボリボリと頭をかきながら苦笑した。
「悪いな。こんな辛気臭い話はするつもりはなかったんだが、進路が決まるこの時期ってのは俺にとっても何度経験しても憂鬱な気分になるんでな」
「??進路が決まる、ですか?まだ夏ですよ?進路が決まるのは年明けの2月3月では?」
「直接決まるのはそうだろうが、夏の決断が春で活きるだけだ。もちろん、これから半年どう過ごすかで大きく変わるが、進路の起点は夏だ。ここでの決断で将来が変わる。
立花、村井、前島。陸上に巻き込んだ俺が言うことじゃないかもしれないが、今を大切に過ごせ。いくつになっても部活の思い出は良いもんになるぞ。真剣に取り組めば取り組むほどな。さ、練習だ」
ここで手を打ち、練習に戻るように言う田島先生。
でもそうか。俺にとって中学校時代は当たり前のように放課後はハンドボールをやっていた。今は放課後に陽菜や明日香達と一緒にバレーボールをやるのは習慣となっている。
でもそれが崩れる日が来ると。
しかも後たった1年というおまけ付きで、だ。
実感がわかないが、その日は俺達の気持ちとは関係なく近づいてきている。