088 当たっているようで当たっていない 少しだけ当たっている考察
昨日更新設定を間違えました
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春高3日目 夜
第3者視点
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「大友監督。少しいいですか?」
「おう。博か。ええで」
春高3日目の夜。
明日は一部関係者の間では『事実上の決勝戦』とも言われる龍閃山高校との一戦がある。
だが、それでも金豊山学園高校 女子バレーボール部の戦略・育成部門の部門長、沼田は大友監督を訪れた。
「かまへんで。選手は目先の事だけに集中させたらなアカンけど、首脳陣はもうちょっと先まで見るんが仕事やからな」
大友は沼田の鋭い観察眼に期待して明後日戦うかもしれない松原女子高校の偵察を指示していた。そしてわざわざ来たということは何かをつかんだのだろう。
「来たんは玲子ちゃんゆう子の事か?」
「玲子……あぁ。村井のことですね。彼女はいい選手だ。あれが競技歴8ヶ月とは思えない。飛田達が警戒するのもわかりますよ。私も後1年早くバレーを始めていたらと思うと恐ろしくて仕方ありません」
言い換えれば今は怖くない、ということだ。
「ということは優莉ちゃんのことで来たんか」
「そうです。早速ですが、以前飛田達が彼女の反応速度が速いと言っていたのを覚えていますか?」
「おぉ。なんやえらい言うとったな」
「なのでなぜ速いかを考察してみました」
「定性的なもんを定量化するのが博の十八番やしな」
「ありがとうございます。ところで監督は人間が外部からの刺激に対して反応できる速度の限界をご存知ですか?」
「知らんなぁ」
「視覚への刺激か、聴覚への刺激かで若干異なるのですが、0.2秒前後が一般人の限界とされます。人類の限界でも0.15秒辺りです。
ちなみに100m走などでは0.1秒以下の反応ではフライング扱いになります。ピストル音を聞いてから、ではなくあたりでスタートしたとみなされるからです」
「ほんで?」
「バレーボールはサーブを除き、よーいドンでスタートする競技ではないので正確ではないのかもしれませんが、見てください」
博は持っていたタブレット端末から今日の松原女子高校の試合のある一場面を0.05倍速で見せる。
「ここです。彼女は一見、相手がスパイクを打ってから動き始めたかのように見えますが、動画の世界は時間が1/20で動く世界です。この世界ですら彼女が動き始めたのはスパイクが打たれてから1秒後。現実世界なら0.05秒後から動き始めたことになります」
「は?ちょい待ちぃ。さっき自分が言うとったんて、え〜と、限界で…なんや、0.15秒?」
「はい。そう言いました。これは体の仕組みの限界のはずなんですよ。外部刺激に対し、反射ではなくきちんと脳まで信号伝達し、そこで刺激に対しての行動を処理してから体を動かすとなると、0.1秒未満で行動なんて出来ないんです」
「でも優莉ちゃんやっとるやん」
「私もこれを見つけた時は困りましたよ。どう考えても説明がつかない、と思っていました」
「た、っちゅうことは、今は説明つくんかいな。人が悪いやっちゃ。んで、何でなん?」
「先ほど私が言ったように、バレーボールはよーいドンでスタートする競技ではなく、常に動きがある競技です。つまり、あれはスパイクされたボールを見てから動いたのではなく、あたりをつけて動いているんです。
おそらく彼女は我々では気が付かないような小さな癖を瞬時に見抜き、事前に動いているんですよ。
それとこれは直接聞いた内容ではありませんが、彼女は以前よくフェイントに引っかかっていたそうです。
これも先ほどの『小さな癖を瞬時に見抜く』をある意味で裏付けてくれます。競技歴の浅い頃は精度が低かった予測が練習を重ねて精度を増したとするなら納得です」
「……その話やと今はフェイントに引っかからへんみたいやけど?」
「少なくとも春高本選の3日間、計4試合分を観察した限り、彼女が囮やフェイントにつられたことはありません。巧くなってるんですよ。ですが問題はそこではありません。
彼女のずば抜けた身体能力にボールの飛んでくる方向を予測できる能力が加わるとこうなります」
何度かタブレット端末を操作し、再び大友監督に今日の試合のある一場面を見せる。
「見てください。スパイクを打たれる直前まで人がいなかったのに、次の瞬間では彼女はボールに対し正面でレシーブをしている。彼女の移動があまりにも素早いために一見『人のいるところにスパイクを打った』ように見えてしまうので特に歓声もなく試合が進んでいますが、これは驚異のプレイですよ。
見た目が派手なスパイクだとかに注目が集まりがちですが、『鋭い観察眼』から導き出される『未来予測に近い反応速度』も彼女の凶悪な武器です」
「……」
それが事実なら大事だ。『相手コートの空いているスペースを狙う』というのはバレーボールの基本だが、その基本が通じない。松原女子高対策をまた練り直さなくてはいけない。
「博。んで対策は?」
「ありません。どんな難しいボールも正面からレシーブされたらただのイージーボールです」
「待てや」
「待ちません。あの反応速度と運動能力を以てすれば、コート内のどんなボールも捕球可能なんですよ。
11月の県予選の頃は『反応速度が速いな』くらいには思えていましたが、今は『どんなボールでも下に入って腕ではなく膝で運べばいい』という基本を頭で理解しただけでなく体にも身についたようですね。
アンダーもオーバーも丁寧に膝を曲げてボールの下に入ってくる。腕の位置もいい。やっていることは教科書どおりのことなのですが、それをこの速度でやられると必殺技になりますね。
回転レシーブだとかはいらないんですよ。普通ならなんとかフライングレシーブするボールを正面からレシーブ出来るんですから最早反則です。
今はまだボール自体の勢いを殺す技術が足りていないので多少はレシーブミスをするようですが、それはボールが意図しない方向に飛ぶという程度がほとんどであって、失点につながるようなレシーブミスは本当に少なくなっています。お手上げですよ」
「お手上げで終わってもたらアカンやろ」
「終わっていいんですよ。バレーボールはチームスポーツです。わざわざ難しいところから点を取らなくていい。松原女子からは他のところで点を取ります。具体的には――」
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視点変更
同時刻
立花 優莉 視点
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まずは丁寧なブラッシング。絡んだ髪のもつれをほぐすだけでなく、髪や頭皮についた埃や小さなゴミを落とすために忘れてはいけない。
続いてシャンプー前にお湯でしっかり洗う。この作業で髪についた埃や汚れを落とす。
ここでいったん軽くタオルで髪を拭いて髪から余計な水分を取り除く。その後からシャンプーの出番だ。頭皮には優しく指の腹を使ってマッサージするように頭皮全体を揉み洗いする。俺みたいなロングヘアだと頭だけでなく、髪の毛単品も洗う必要があるのだが、今回は割愛。
それが終わったら次はすすぎだ。シャンプー剤は髪に残しておいてもいいことはないからな。これも全部洗い落とす。もちろん、大雑把にやってはだめだ。あと乱暴にするのもダメ。せっかくの髪の毛が傷むからだ。
そしてすすぎが終わったらトリートメントの出番だ。まず軽く髪の毛の水気をきって続いて髪の毛全体になじませるようにトリートメントを行き渡らせる。シャンプーと違って頭皮につける必要はないので髪をわしゃわしゃする必要はないぞ。
行き渡ったらすすぎ……ではなく髪にトリートメントの栄養が染み渡るまで放置だ。蒸らしたタオルをターバンのように頭に巻いて5分ほど放置。
「――ってところかな?私の場合、髪が長いから10分近く放置するけど。それが終わったらお湯ですすいで次はコンディショナー。これもトリートメントみたいに髪の毛に行き渡らせて、最後にお湯ですすいでお終い」
「ありがとう。でも優莉って毎日これをやってるの?」
「もう少し適当にやる日もあるよ。トリートメントとコンディショナーはどちらか片方しか使わないとか。でも最低でも週に1回はフルコースでやってるかな?」
その1回は涼ねえが俺の髪を洗う日である。涼ねえ曰く、『保護対象だから保全するのは当然』だそうだ。
ちなみに俺の髪の毛は家族会議の結果、『保護対象とする。なので姉3人の許可なく勝手に切ってはならない』とお達しを受けてる。
保護対象ってなに?俺の髪の毛じゃん。好きにさせてよ。そもそも、姉『3』人ってどういうことだよ。という俺の至極真っ当な主張は数の暴力の結果、聞き入れられていない。
ここは春高遠征で利用している宿の大浴場。宿泊客は他にもいるはずだが、時間がそれなりに遅いためか大浴場には松女バレー部しかいない。
歌織から『優莉って普段髪の毛のお手入れってどうしてるの?』と聞かれたので、せっかくならと当人の髪の毛を使って俺が普段やっているガチバージョンの洗髪をやったところだ。
俺がというよりは立花家で、というべきか。
洗髪についても相当仕込まれたのだが、『だいぶ上達したけど、優莉がその量の髪の毛を洗うにはまだ未熟』と涼ねえから評価は未だに渋い。俺の髪の毛なんだけど……
下手くそだからと涼ねえや陽菜は本人曰く『善意』で頻繁に俺の髪を洗う。それじゃいつまで経っても未熟のままだと反論すれば『だったら私の髪で練習すればいい』と俺に髪を洗わせるのだ。
……
涼ねえも陽菜もキレイな野干玉の髪で、それを適当には洗えないわけで……
そりゃ俺なりに一生懸命勉強して練習したさ。その結果、高校に入った辺りからは涼ねえ達の髪を洗っても本人から文句を言われないところまでは出来るようになった。
それでも俺の髪については長さがネックとなっているのか未だに独り立ちを許されていない。1週間で3日、自分で洗えればいい方だ。
独り立ちの許可が下りない以上、涼ねえ達に比べ俺には何かが不足しているのだろう。この辺りは女性暦の長い涼ねえ達でなければわからないと思われる。
っと、話がそれた。
「まあ実際問題、ここまでガッツリやるのは週末ぐらいでいいと思うよ。後は普段の髪の状態を把握すること。
例えば、指で髪をくるくる巻いてみてすぐ元に戻るかどうかとか……
ごめん。歌織だと難しいね。えっと手櫛で髪を梳いたときの指通りとかでも確認できるよ」
「このシャンプー、トリートメント、コンディショナー、全部見たことがないんだけど……」
「ネットからだと簡単に買えるけど、ドラッグストアとかだとまず売ってないからね。ちなみに結構いいお値段だよ。3本とも1本で1人1回焼肉に行けるくらい」
とはいえ、一回使うと他の安物シャンプーには戻れないくらい良いシャンプーなのである。
ちなみに、一部の変態が俺をハグするたびにいい匂いがすると言うが、おそらくコンディショナーのおかげだろう。高級感あるいい匂いがする上に、俺の髪の毛は長い。
必然的にコンディショナーの香りは短髪よりは残りやすく、この香りをいい匂いがすると言われるのなら納得はする。
「あと私が気を付けているのは――」
歌織と美容の話で盛り上がる。まさか俺が女子高生とこんな会話が出来るようになるとは……
なお、他の部員はそれぞれ別のところにいる。
大浴場はそれなりに広く、普通の風呂の他、露天風呂とサウナも併設されている。
露天風呂では明日香と未来がなにやらはしゃいでいる。お前ら今日でここの利用は4回目だぞ?なんでそんなにテンション高いんだ?男子小学生か?
というか人の目がないからってマッパっていうのはどうなんだよ?前くらい隠せ。そんなに自信あんのか?
あるんだよなぁ。きっと。明日香はスタイルがいいし、未来は脚がキレイだ。
陽菜とユキは室内の風呂で肩の荷が下りたような顔でリラックスして湯につかっている。
そりゃ普段、両肩から1.5リットルのペットボトルを1本ずつぶら下げているような奴が風呂ではその重りが浮くんだから楽にもなるもんだろう。もげてしまえばいいのに。
玲子と愛菜はおそらくサウナだろう。あの2人はサウナが好きだ。玲子は健康というか疲労回復、愛菜は美容と目的は違っているが……
玲子といえば、ここに来てさらにバレーボールの成長が加速している。
試合が終わるたびにブツブツ言ったり、腕をふったり、ジャンプをしたり……
多分相手チームから何かを吸収しているんだろうけど、そんなに簡単に技をパクって成長しないでほしい。
同時期にバレーを始めて最近になってようやく
『あれ?ひょっとしてレシーブってボールの下に入っちゃえばどんなボールも案外簡単に出来る?』
などという基本に気が付いた俺の立場が――
ガシッ!
俺は振り向くことなく、背後から俺の胸部へ伸びてきた手を掴んだ。
「ちょ、なんで気が付いたの?優莉ちゃん、歌織と話してたじゃない!」
「邪な気配を感じたの。で、愛菜。人のおっぱい触って楽しいの?」
俺の背後から近づいてきたのは愛菜。いつの間にかサウナから出てきたようだ。
それは構わないんだが、気配を殺して忍び足で近づいてきてまで俺の胸部を触りたいものなのか……
気が付いたのは邪な気配を感じた、と言ったが正確には聴勁で愛菜の動きを察知したからである。
……
まあ多分功夫の専門家が見れば噴飯ものの聴勁なのだろうという自覚はある。なんせ漫画で知った知識だからな!
昔読んだとある漫画で武闘家が『人が動けば付随して様々な事象も動く。大気の動き云々』から始まり、視覚だけではなく、聴覚や触覚、嗅覚からも相手の動きを察することのできる武闘の奥義が聴勁だそうだ。
今にして思えば少年漫画特有のインチキ理論だ。
が、これを再現しようとしたバカがいる。俺のことだ。
異世界に行った時になんとか『気』で聴勁を再現できないかあれこれ工夫したら出来たんだが、こっちの世界では大気の『気』の力が弱すぎて使えなくなってしまった。
あの頃は特定の個人どころか周囲の気配、予備動作を読み取って未来予測レベルで相手の行動を予測し、先んじて行動できたんだが、今となっては例えばバレーの試合中のように相手に集中している時ですら『なんとなくあの選手はこっちにボールを飛ばそうとしている気がする』という勘レベルを超えない。
それですら昔は予測を誤ってフェイントだとかに引っかかっていたのだから、正直今となっては『無いよりはプラシーボ効果を期待できる分だけマシ』レベルの予測だ。
愛菜に気が付けたのも、本人は忍び足で来たつもりだろうが、『俺のおっぱいを触る』という意思が強すぎたためにそれをなんとなく俺が察することが出来た形だ。
無心で近づかれたら気が付かなかったかもしれない。前ならたとえ無心でも愛菜が動くと同時に動く空気の動きだとかから確実な予測をたてられたんだが……
「優莉ちゃんのおっぱい触るとすごく楽しくなるのよ!だからいいでしょ?」
「自分のは?愛菜の方が大きいじゃん」
「自分のを触っても楽しくないし、手のひらサイズの優莉ちゃんのがちょうどいいのよ」
……
イカン。お前のは片手で収まるくらい小さいと言われたような気がしてちょっとイラっとした。落ち着け。俺は平均より大きい。俺は平均より大きい。よし。自己暗示完了。
「ね。いいでしょ?減るものじゃないし」
「減るよ。私の中で愛菜への好感度は減っちゃうよ?」
「そ、それは困るわね。ちなみに私の好感度はいくつで、あとどれだけあれば優莉ちゃんと添い寝ができるの?」
……
一体愛菜はいつからこんな変態になってしまったのか。
俺は深~~~いため息をついた。