閑話 世界が知る
「なんとしてでも世界選手権には出場してもらうとして、その他は……」
「参加は難しいでしょう。来年の5月と6月にはそれぞれU-17とU-19の大会がありますが、どちらも誘ったところ『中間テストがあるから』と断られています。むしろ世界選手権だけでも参加に前向きであることを喜ぶべきです」
女子バレーボール全日本代表合宿が終了した翌日。
全日本の田代監督、U-19の橋波監督をはじめとするバレーボール協会首脳陣は来年のスケジュールとにらめっこをしながら選手選出……正確に言えばどこに立花優莉を参加させるか考えていた。
多くの競技がそうであるようにバレーボールも大小様々な国内・国際大会が1年を通じて開催されている。そして大会前には合宿もあり、その全てに参加していたら1年の殆どが埋まってしまう。
これがごく普通のプロ選手なら何の問題もなかった。しっかりと国からの補助金は出るし、代表選手ともなればプロ契約自体も見直され、高い評価で契約自体上向きになるケースが殆どだ。そうなれば断る選手などまずいない。
あるいは強豪私立校に在籍する学生でも問題なかった。やはりお金は出るし、学校側には正式に『公欠』として扱われるため、成績評価自体は低くなるかもしれないが進級や卒業には全く影響がない。
むしろ『国家代表に選ばれた』ということはバレーで進学、就職する場合においてはプラス要素でしかない。
が、今話題となっている立花優莉の場合は異なる。
本人がバレーで生計を立てるつもりがなく、バレーで名を上げるつもりもなく、『友達に誘われて、姉がやっているから』という理由でやっているに過ぎない。
彼女にとってバレーはあくまで部活動であって、本業は学業だと公言している。ごく普通の女子高生ならそれでよいのかもしれないが、彼女の突出した才能を活かすには――
「才能があるから、という説得方法はお勧めしません。彼女は自身の高い運動能力で自分の名前を広める気がありませんから。そしてその方法では最後は陸上にもっていかれます」
そう断言したのはスポーツ医学の若き英才、山下信彦。夏の合宿から立花優莉の圧倒的な運動能力の解析に取り組んでいる専門家の一人である。
「だったら何らかの方法でやる気を引き出さないといけないな……」
あきらめたようにつぶやくスタッフの一人。
なお、誰一人として『そんな面倒な奴なら立花優莉なんて呼ばなきゃいい』という者はいない。
バレーボールに限らず、ほぼ全てのスポーツにおいて高さや速さ、体格、膂力といった単純明快な能力は、一定以上のレベルを超えてしまうと途端に常人を寄せ付けなくなってしまう。
それが先の合宿で十二分に証明された。なにせ技量だけを評価するなら精々学生レベルの立花優莉のスパイクやサーブが、プロや世代代表相手にあり得ない程の決定率を誇っていたのだ。チームに加えれば確実に戦力になる。
「そもそも彼女は出場できるのですか?あ、国籍の話ではありませんよ」
「その点なら心配ありません。少なくとも昨日時点までで彼女から禁止薬物の類は一切検出されていません。必要ならばアンチドーピング機構の証明書もつけますよ」
立花優莉の圧倒的な運動能力は何らかの薬物によるものではないか。その場合、選手として出場できないのではないか。その質問に対し、心配はないと断言したのも山下だった。
8月に非公式とはいえ七種競技であまりにも規格外な女子世界新記録を打ち立てた立花優莉に対し、山下達は以来4ヶ月間、ずっと調査を続けていた。時には日本だけでなく諸外国から名医、専門家を呼んでまで立花優莉を徹底解明した。
さらに万が一にも調査をしている、つまり疑ってかかっていると彼女に知られれば、陰でこっそり使っている薬物の使用をやめてしまう危険性もあるため、極めて慎重にこの4ヶ月間調査を重ねていたのだ。
その結果が『彼女に薬物の使用は認められない』というものだった。
ここにいるバレーボール協会の人間は知らないだろうが、スポーツ医学界では立花優莉はすでに有名人だ。今知る常識の何かを変えるものを彼女は持っているのだ。
その超常現象ともいえる運動能力に対してすでに学説がいくつか上がっている。それらは彼女の生まれから想像されるものだった。
今でこそ日本国籍である彼女だが、2年前までは法的には無国籍、生まれは東欧にある小国だ。
そこは東西冷戦のさなか、西側諸国が東側との戦争を見据えて橋頭保確保のために民族紛争を煽って生まれた、『東側諸国のど真ん中に生まれた西側の国』であった。
故に公用語は英語。
東西冷戦真っ只中では周辺国からの威圧に対し、武装と軍備を積み上げて周辺国を逆に威嚇することで国を守っていた。この不毛なパワーゲームが出来ていたのは西側諸国の分厚い援助があってのもので、産業らしい産業は何一つない国だった。
そしてソ連崩壊と共に東側諸国の連携が崩壊。しかしそれでひと段落することはなく、むしろソ連崩壊後は西側諸国からの援助がなくなり、一方で東側諸国からは難民がなだれ込み、最終的には『核以外のあらゆる兵器が使用された』と言われる大規模な内戦が勃発。今でこそ規模は小さくなったが、未だにドンパチを続けている国である。
そこで生まれた立花優莉。その超人的能力の由来は以下の3案のいずれかであるとスポーツ医学では考えられている。
1.軍が秘密裏に開発した生体兵器
2.極限環境下で生活していたことで常人なら制限がかかっている体のリミッターが外れてしまい、高い運動能力が出せている
3.生物・化学兵器により遺伝子になんらかの書き換えがおこなわれ、超人となっている
山下個人としては立花優莉の運動能力に興味はあるが、かといって人道に反するような行為をしてまでそれを解き明かしたいとは思わない。
「それよりも私は来年以降を危惧します。彼女はスポーツで名をはせるつもりがないからまださほど有名ではありませんが、世界選手権程の大きな大会に出れば一躍時の人となりましょう。
その時までにバレーボールを心底好きになってもらえていない場合、他の競技に移るかもしれませんよ」
立花優莉の超人的能力が一部でしか広まっていないのは、『高校女子バレーボール』という極めて狭い世界の話で留まっているからである。
それがもし、世界選手権の様な大きな大会で知られることとなったら……
あるいはそもそも『バレーボール』という小さな世界ではなく、もっと世界的に競技人口の多いスポーツであったら……
彼女がお金だけで動くとは思えないが、お金は重要な要素ではある。大金を積まれれば他の競技に移る場合も考えられる。
(と、立場上ここでは言うが、多分他の競技に移るだろうな。彼女は理屈屋で求道者気質を持っている。向いている競技は個人スポーツだ。
この前、15キロを43分で走ったと聞いた時に、彼女の実力を考えればむしろ遅いとすら思った。案の定、ペース配分が滅茶苦茶だった。だからペース配分の大切さを教えて前半抑えて後半に上げる走り方にすればもっと速く走れると理論を交えて教えてたらずいぶん食いつきがよかった。
実際にペースを守らせて走らせたら、41分を切るところまでいけた。その時の嬉しそうな顔を思い出すとやはり個人でひたすら道を突き詰める方が彼女には向いている)
嬉しそうな顔で山下は思い出した。
(そういえば以前、春巻が好きだということでホテルの中華ビュッフェに連れて行った時はえらく喜ばれたな。高価なフカヒレ、ツバメの巣、蟹には興味を示さず、ひたすら春巻ばかりを食べていたのは子供らしいとは思ったが……
あれを餌にすれば彼女の嫌がっているマラソンにも出てくれるかな?)
この時の山下の予感は当たる。
少し先の話になるが、散々渋っていたマラソン大会への出場も山下が『マラソン大会で3時間半以内で走ってくれたらこの前連れて行った中華ビュッフェを1回、2時間半以内なら2回。優勝したら3回、世界記録を打ち立てたら5回好きな時に連れて行ってあげる』と言ったら喜んで参加すると言ってきた。
そして3月に行われたその大会で彼女は盛大にやらかす。
大会は男女混合で行われた。ビュッフェ3回の条件を山下は『女子の中で』優勝のつもりであったが、彼女は『男女混合で』優勝だと受け取っていたのだ。
同時に世界記録も『女子』世界記録でよかったのだが、彼女は『男子も含めた』世界記録だと受け取っていたのだ。
おわかりいただけただろうか。
中華食べ放題につられた立花優莉は体育館のフローリングの張り替えと春高終了後に部員が減ってしまい満足に練習が出来ないことが重なり、代わりに長距離走に一ヶ月間文字通り全力で取り組み、大会では2時間切りを打ち立てて周囲どころか世界を騒がせることになってしまう……
田島先生大勝利!