閑話 善意という名の暴力
立花優莉と村井玲子がそれぞれ合宿に呼ばれている頃、松原女子高校の体育教師にしてバレーボール部の顧問である佐伯加奈子は職員室で春高用に宿から入手した複数の見積書を相手ににらめっこをしていた。
(朝食と夕食をつけると1泊あたり八千円はかかるわね。最後まで勝ち抜いたらそれが5泊分必要……)
この1泊八千円は最低限の価格である。上をみれば1泊一万三千円を超える見積もりもある。
そして安いには安いなりの、高いには高いなりの理由がある。
例えば朝食。
割安プランでは食パン1枚にコーヒー、それに小さなサラダがつく。食パンについてはセルフサービスでトーストにしたり、ジャムを塗ったりできるようだ。
一般的なサラリーマンならこれでいいだろうが、曲がりなりにもこちらはアスリート。軽食ではない朝食が欲しい。
対して1泊一万円を超える宿ではいずれも『ちゃんとした』朝食がついてくる。
例えば洗面台。
こちらは『女子』高校生。必要最低限欲しい大きさと数がある。副顧問の上杉先生はこの辺りがわかっておらず、彼が見積もりを取った宿はやたら洗面台が小さかったり、ドライヤーの使用数が限られていたりと泊まる条件を満たしていなかった。
12月も後半になろうというにも拘らず宿が決まっていないのも上杉先生が最初に集めた見積もりの宿ではちょっと……という事情があるからである。
(男の人にその辺をわかって欲しい、というのはさすがに無理ね)
確かに普段から化粧っけの全くない生徒達であるが、本当に何もしてないと思っているのはバレー部関係者では上杉先生だけだろう。
例えば立花優莉は入学以来、臀部まで届く癖のない長髪を維持し続けているが、これにどれほどの労力がかかっているのか、男性には想像もできないだろう。
限られた予算内でどこを妥協するのか、どこは譲れないのか。
最優先は安全だ。
先日TV取材を受けたこともあってうぬぼれかもしれないが一躍注目の的になってしまった。生徒の容姿を考えると不埒な輩が出ないとも限らない。防犯意識の高い宿がいい。
続いては食事か。
松女の選手は実のところ、全体的にアスリートらしからぬ華奢な見た目に反して食欲は旺盛だ。そうでなくともスポーツの祭典。きちんと栄養のあるものを食べて万全の状態で試合に臨みたい。
妥協できるところは間取り。
広いに越したことはないが、例えば本来は5-6人用の大部屋に生徒8人を詰め込んでも文句は出ないだろう。
宿代の他、東京までの往復の交通費、現地での交通費、昼食代、保険料、雑費……
学校や県から補助が出るとはいえ、まともに考えると1人当たり10万近くはかかるだろう。
それを保護者の方に軽々と出してほしい、とは言えない。ついでに自分の懐も10万円をポンと軽く出せたりはしないと佐伯先生は自覚している。
それもそのはず。バレー部の佐伯先生は今年社会人1年目なのだ。給与も知れているし、貯金はもっと知れている。
(あまり頼りにしたくないけど、正直まとまったお金が入っていると嬉しいわね)
そんなバレー部の心強い味方が一般市民からの善意の寄付金。
一昔以上前は近所の商店街や駅に募金箱を置いて募るのがせいぜいだったが、最近は便利な時代になっていてネット上から手数料は取られるがどこからでも誰でもこちらが指定した口座に寄付できるようになっている。
また、ここで効いてくるのが先日の雑誌やTVの取材だ。
春高進出を決めた直後、TV局からの取材依頼が届いた。
確かにネタにはなる。何の特徴もないごく一般的な公立高校。部員はたったの8人。このテンプレート的弱小校が県内の強豪校を倒して全国に出るのだから。
おまけに容姿には華がある。嘘か真かわざわざ芸能プロダクションから生徒にスカウト話があったとも聞いている。
その取材で、嘘ではないがTV的な演出もちょっと混ぜた。
『部員が足りなくて試合が出来なくなってしまいました。そこで仕方なくバスケ部を吸収したんですよ』
『自分も元はバスケ部の顧問だったんですよ。ところが3年生が引退したらバスケ部の部員は3人しか残らなくて――』
あの放送だけを見れば部員が足りなかった可哀そうなバレー部。そのバレー部より部員が少なく、故にバレー部に吸収されてしまったもっと可哀そうなバスケ部と見えただろう。
実際には両者公平な条件で勉学をもって吸収合併を決めたし、そもそも合併自体は両部員合意したうえでの出来事だが……
『本当はこっちの体育館も使えればいいんですけどねえ』
『松女は公立高校でして、部活動しか使わない施設にはお金を回せないんですよ。限られた予算を特定の生徒、特定の部活動のみに割り当てられませんから。だから第2体育館は照明が半分は使えないままですし、フローリングも傷んだまま補修もできません。
これじゃフライングレシーブをした時に痛んだ床材で生徒が怪我をするかもってことでこちらの体育館は使いません。もっぱらバドミントン部と共用で第1体育館の片隅を使わせてもらってます』
いかにも体育館を満足に使えなさそうな演出ではあるが、これも事実と少し異なる。確かに第2体育館は設備がぼろいが、使わない1番の理由は第1体育館と比べて遠いからである。バドミントン部と体育館を共用で使う場合も秋頃は半分、バレーコート2面分を使っていたが部員はたったの8人である。全体の1/4、コート1面もあれば殆ど何とかなる。なので今はアリーナの3/4は部員数が50名近いバドミントン部に使ってもらっている。
この他、松女が偏差値60越えの、どちらかと言えば進学校であることをアピールしたうえで、成績学年10傑のうち、4人がバレーボール部員であることも公開し、『文武両道』であることを宣伝したりもした。
……実際には確かに8人中4人の成績は非常に良いが、残り4人のうちは2人はそれなりに優秀、1人は平均並み、残る1人はどちらかというと成績不良者だ。
嘘は伝えていない。だが、真実全てではない。
それでもTV局としてはネタが欲しいし、自分達としても少しでも寄付金が増えて欲しい。
そんな思惑があってとあるキー局のとある夕方のニュースの1コーナー向けに松原女子バレー部は取材を受けて1週間近く前には全国放映もされている。
(嘘はついてない。ちょっと取材する時間と放映する時間が足りなかっただけ。……それでもSNSの反響を考えると期待してしまうわね)
曰く
『顔だけだと思ったらスポーツも勉強もできるガチ勢だった』
『才能もあるのに用具がないから満足な練習が出来ないのか』
『こいつらに満足な施設を与えたらどんだけ強くなんのかね?』
『学生スポーツなんだし、本来は松女みたいな文武両道校が正しい姿なんだよ。バレーに限らず、スポーツで全国大会に出場する高校は共通の学力テストを受けて、成績に応じてあらかじめ点数ハンデをつけるべき』
等々の松原女子高校バレー部の努力を称え不遇を嘆き、二言目には『寄付した』『頑張りが報われますように寄付した』と寄付をしたとの書き込みが多数みられた。
中には『感動した。おじさんから少し早いお年玉として1人1万分寄付した』『8万とか半端だな。俺は10万寄付した』等、高額寄付をしたという書き込みもあった。
話半分だとしてもまさか寄付金の総額が10万にも満たないなどということはあるまい。
大きな期待をして佐伯先生が専用口座を調べると……
・
・
・
・
・
(……疲れているのね)
佐伯先生は目を覆った。いくらなんでもあり得ない。
そういえば今は12月。ただでさえ忙しいところに年明け早々の春高に向けて準備を進めているのだ。疲れていないわけがない。
空気だって乾いている。それで目がやられたのだろう。
引き出しの中から目薬を取り出し両眼に差す。その後、瞼の上から指で軽くもむ。
そしてもう一度ディスプレイに表示された寄付金の総額を確認する。
いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん……
水面に浮かぶ大艦隊が幻視された。その殆どが小型の野口級や中型の樋口級ではなく大型の福沢級だ。
それが1隻2隻ではない。水面を埋め尽くさんばかりの大々艦隊だ。数は……
「はわわわわっ!!!」
寄付用に開設した口座には想像よりはるかに多い額が振り込まれていた。成人とはいえ今年度24歳になる彼女が気軽に扱えるような額ではない。
「どうかしましたか?佐伯先生?」
同僚であり、先輩でもある教師陣が次々と佐伯先生の席周辺に集まり、ついで席のパソコンのディスプレイから驚きの理由を知る。
「こりゃまた凄い額ですね……」
教師の一人が何とかその場にいる全員の気持ちを代弁する。
「しかしどうしてまたこんなに集まったんですか?同じバレー部でも6年前とは比べ物になりません」
「おそらく母数の違いでしょう。前回は地元の商店街やOG会といったところから、所謂『昔からのやり方』で寄付金を募りました。対して今回はSNSも駆使した『新しいやり方』で寄付金を募っています」
この違いは当時すでに40歳半ばだった大谷先生が顧問だった6年前と、今年24歳になる佐伯先生が顧問である今との違いだろう。
「さらにバレー部は今年妹の方の立花が色々と目立ったこともありTVや雑誌の取材を受けています。これが大きいかと。
例えば先日バレー部を紹介した夕方のニュース番組ですが、あれの平均視聴率をご存知ですか?日々10~16%程度の視聴率です。
視聴率1%につき視聴者は平均すると50万人は超えるそうですので、松原女子高校バレー部の特集を見た日本人は少なく見積もって500万人。このうち寄付してもいいかな、と思った視聴者が100人に1人いるかどうか、全体の0.5%だと仮定すると2万5千人の寄付者が算出されます。この寄付者が缶ジュース1本分の100円を寄付しようと思えばそれだけで250万円です」
立花姉妹の担任でもあり、数学教師でもある榊原先生は淡々と寄付者の数を割り出す。ちなみに実際の寄付金額の合計は250万より多い。
「どどどどうしましょう?」
佐伯先生はあまりにも重い善意の金額に半ばパニック状態だ。
ちなみにもう一人の顧問、上杉先生は商店街に設置してある募金箱の回収に出かけている。
……こちらはこちらで大変な額になり、さらに善意という名の暴威を加速させることになるのだが、それはもうしばらく後の話。
「まずは寄付金が十分に集まった感謝とこれ以上の寄付金は不要だということをSNS上で公表しましょう。続いて寄付金の使い道ですが、これだけあれば保護者からの――」
師走も折り返しを迎えようとしているが、教師たちの苦悩と仕事量の増加は当面続く……




