079 賽の河原の石積を強要する鬼畜
全日本女子バレーボール代表
文字通り『全日本』つまり全ての世代を対象とし、その中から日本最強の女子バレーボールチームを作りだすのである。
今回召集された選手はたったの29名。
4ヶ月前の全世代、U-23の合同合宿では50名近くいたことを考えると、あの時からさらに約1/3の選手が削られていることになる。日本全国でバレーボールをやっている女子の数を考えるとどれだけ厳選された29名であるのやら……
「今回集めた選手は8月の合宿からの4ヶ月間、君達の活躍をこちらで確認したうえでさらに厳選させてもらった。そして君達を確認させてもらったからこそ言おう。
私は監督就任時にこう言った。「まずは世界選手権で8位以内の入賞、翌年のワールドカップでメダル獲得、翌々年の五輪で金メダルを取る」と。あれを撤回する。
私達は来年の、9ヵ月後に開催される世界選手権で、今君達が立っているこの体育館で行われる決勝まで勝ち進み、そして金メダルを取る。それだけの実力を君達は持っている」
本格的に合宿が始まる前、田代監督が選手、スタッフを集めて抱負を話す。
「また、集まった選手諸君には申し訳ないが、これが最終選考というわけではない。世界選手権に登録できる選手枠は20名+リベロ2名。ここからさらに7名が脱落する。あるいは下の世代が後9ヶ月のうちに猛アピールで割り込んでくるかもしれない。今回の合宿はその絞り込みのためにも集まってもらっている。油断をしていたらあっという間に脱落するぞ」
ふむふむ。まずメダルを取ることが出来ると選手を鼓舞をして、続いてまだ競争は続いているんだぞと警告してきた。やはり世界の舞台でメダルが取れると言われれば期待してしまうし、日本代表に残ってメダルを自分のものにしたい。そこに後7人脱落するぞ、と言われればなんとしてでも生き残りたくなるだろう。
上手い煽り方だ。
「と、まあ堅苦しい話をしてしまったが、まずこの29人に残ったことを誇りに思ってほしい。君達は日本で最高のバレーボーラーだ。だからこそ、あえて言おう」
田代監督はわざとらしく咳払いをし、こう言った。
「よくぞ生き残ってきた我が精鋭たちよ」
おぉ!!
なんかカッコいいぞ!
と、俺が感動しているとなぜかスタッフの一部(気のせいかこの一部は年配の方が多いような……)が噴き出していた。
せっかく監督がカッコよくまとめているのに笑うとは何事だろうか?
見ると監督は監督で顔色が赤くなっている。あれは怒っているのか?と言うよりはなんか恥ずかしがっているような……
俺があっけに取られていると選手の中ではチーム最年長にして唯一のアラサー……35歳だからアラフォーと言ってもいいかもしれない荒巻さんが監督にこんなことを言った。
「監督!無理ですよ!無理!ここにいる子、私以外全員25歳以下なんですよ?優莉ちゃんなんて今月の7日にようやく16歳になったんですよ!見てください!優莉ちゃん、ポカーンってしてますよ」
「あー……。そうね。今のは私が悪かった」
???
一体何のことだ?これは聞いてみるしかないだろう。
「荒巻さん、今のどういう意味があったんですか?」
「え?えっと今の『よくぞ生き残ってきた我が精鋭たちよ』っていうのは今から30年くらい前にTVで放送していたバラエティ番組の名台詞なの。で、それを使って笑いを取ることでみんなの緊張をほぐそうとしたんじゃないのかな?」
おぉ!
つまり、最初に選手を鼓舞し、続いて引き締め、最後にギャグで緊張をほぐそうという監督の心遣いがあったのか!
「そうなんですね!凄いです!」
俺は気がついたら拍手をしていた。いや、監督ってのは大変だ。こうして選手の心まで――
「あいたっ!」
なぜか理不尽に俺の頭上には拳骨が降ってきた。
「申し訳ありません。妹は日本に来て2年くらいしか経ってませんので、空気が読めない子なんです!」
なぜか周囲に謝り倒す美佳ねえ。俺が何かしたのか?状況確認だけだろうに。
「美佳ねえ!何するのさ!」
「いいから優は黙ってろ!本当に申し訳ございません。妹にはあとで姉からキチンと言って聞かせますので。ほら優!いいから黙ってこっちに来なさい!」
なんか知らんが俺は美佳ねえに連行された。解せぬ……
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こうして始まった全日本女子バレーボール代表合宿。
最初は準備運動から始まり、ダッシュやらジャンプやらの筋トレに近い体を動かす練習からのボールを使った基本的な練習……対人トスとかボールを使ったラリーだとか、要するに普段からやっているような練習だな。
野球なら少年野球だろうがプロ野球だろうが打者ならレベルや意識の高い/低いはあっても素振りはかかさないのと同じく、この辺はどんなスポーツも基本を大事にする、という点で変わらないということだ。
続いてスパイク練習というところで監督に呼び出された。
「立花。お前はここから個別練習だ。お前にはこの合宿中に後衛速攻を覚えてもらう」
……あぁ。田代監督は先日の春高予選で俺のことを誤解してる……
「監督。私、トスさえ上がれば後衛速攻できますよ?」
「ん?そうなの?まあ試してみましょう。川村!ちょっとこっち来い」
田代監督はセッターとして残った、というよりセッターは2名しか残っていないことを考えると、正かどうかはわからないが日本代表入りがほぼ当確している川村 沙月さんを呼んだ。
ちなみに沙月さんは美佳ねえの高校時代の同級生で、当時から世代最強セッターと言われていたらしい。そしてついに日本最高のセッターの座を射止めようとしている。
現高校最強のセッターと言われる舞さんとどっちが巧いのか美佳ねえに聞けば、「知り合いっていう補正抜きにしても沙月の方が上」とのことだ。
そして重要なのが、この合宿に参加している選手の中では常識人枠。間違っても同じく美佳ねえの同級生だった由美さんのように人の着替え中に背後から襲い掛かったりしない。
「呼びたてて悪いわね。ちょっと立花の後衛速攻の練習に付き合ってほしい」
「優莉ちゃんと後衛速攻の練習ですか?」
え~そこで不安そうな顔をしないでよ、沙月さん。
「ごめんごめん。でも優莉ちゃん、4mくらいまで跳ぶんでしょ?」
「4mは無理ですよ。最高打点は380cmに届かないくらいですから」
「その身長でその打点は十分おかしいからね。で、打点が380cmもあると私は普段より70~80cmも高くトスをあげないといけないの。これってセッターにとっては結構な負担よ。
ちなみにこの合宿に参加している選手で優莉ちゃんの次に打点が高いのは由美で、その由美でさえ最高到達点は310cmだからね」
あれ?全日本代表って意外とショボいのか?最高到達点310cmって玲子と変わらんぞ?
「……断っておくと、女子で最高到達点が310cmって相当すごいからね。多分日本人で最高到達点が310cmも出せる女子なんて10人もいないから」
マジか。そりゃ玲子がU-19に呼ばれるわけだ。
と、実際に俺との後衛速攻の練習をする前までは自信が無いように言っていた沙月さんだが、いざ練習が始まると――
「実際の優莉ちゃんの打点を目視で確認したいから何回かボール無しで飛んでみて」
から始まり、そこで俺の高さを認識したのか、いざボールを使った練習をしてみれば最初から欲しいところにボールが飛んできた。それだけでなく――
「優莉ちゃん、今のトスどう?」「あぁ。ごめん。もうちょっと高い方がいいよね」
などとトスに修正を入れ、最終的には――
「優莉ちゃん。バックアタックは普通のスパイクと違ってネットまでの距離もあるから単純に上だけに跳ぶんじゃなくて、前にも跳んでいいの。むしろ跳ばないとダメ。前に跳ぶことによって体重もボールに乗って威力の高い、エースのバックアタックに化けるの」
と、俺にダメだしするところまでたどり着いた。ちなみにここまでの所要時間はおよそ20分。
もう沙月さんは当たり前のように俺に対して後衛速攻用のトスが出来るようなっていた。もちろん前衛速攻用のトスだってできる。
陽菜や未来が数か月かけて出来なかったことがたったの20分。
「沙月さんってやっぱりすごいんですね!私のお姉ちゃんなんて8月から一緒に後衛速攻の練習をしてるんですけど、未だにファーストタッチからの通し練習だとトスの成功率は6割くらいしかないんですよ?」
「私は反対に8月から優莉ちゃんの後衛速攻練習に付き合って6割もちゃんとしたトスをあげられるお姉さんが凄いと思うけどね」
「??どうしてですか?」
「バレーのトスってね、本当に繊細なもので5cmも違ったら大変なの。なのに優莉ちゃんは本当に高く跳ぶからお姉さんは普通の人より1m近く高いトスを優莉ちゃんのためだけに毎日練習してくれてるんだよ。
それで優莉ちゃん、夏に私達と一緒に合宿した頃の最高到達点はいくつだった?確か350cmくらいでしょ?
そこからたった4ヶ月で30cm、単純に考えると1ヶ月毎に5cm以上高く跳べるようになってるんだよ?
そんなタケノコみたいに成長の早い優莉ちゃんにあわせて毎日、少しずつ調整していって、調整するたびに優莉ちゃんが高く跳べるようになって、それでも諦めずに調整をして、なんていう賽の河原の石積みたいな調整してはやり直しっていうのを4ヶ月も続けてその結果が成功率6割なんでしょ?お姉さん、相当な頑張り屋さんだと思うけど……」
……
ま、まあ、そんな学説もあるのかもしれない。
……
べ、別に俺が悪いわけじゃないんだよ。
……
そういえば陽菜の奴、都内のデパートで売っているプディングケーキが好きだったな……
あれは保冷剤込みで移動するなら半日以上もつからお土産にはなるか……
こ、これはあれだ。俺も女になって甘いものが好きになったし、多分大変だろう合宿の全行程を終えた際に自分へのご褒美として帰る前にデパートに寄ってプディングケーキを買うのはおかしいことじゃないな。
うん。どこもおかしくない。
それがたまたま陽菜の好物と一致していたとしてもそれは偶然であって決して陽菜のために、なんていうのはかけらもないわけだ。別に陽菜に後ろめたいなんて気持ちはかけらもない。そもそも、かの孟子も言っているように「長幼の序」というのがこの世には存在していて、格下の妹である陽菜が俺を敬うのは当然のことなのだ。そして格上の兄である俺は陽菜を慈しむのは当然なのだ。うむ。だから陽菜の好きなケーキを買って帰るのはどこもおかしくない。
実際問題、2018年の世界選手権で女子日本代表の最高到達点は長岡選手の308cmです。如何に玲子がぶっ壊れた存在であるか。一番身長が高いのは岩坂選手の187cmです。津金澤の197cmがどれだけぶっ壊れた存在であるかもわかっていただけると思います。
Q.未来「で、アタシへの詫び状は?」
A.優莉「テ、テスト前に英語の勉強に付き合ったからノーカンで(震え声)」