色褪せた日常
1
風が冷たい。
葉が枯れ落ちた木々は味気なく、冬の寒さをさらに助長させる。
ここはうちから五分ほど歩いたところにある、こじんまりとした神社。
名前は知らない。小さくてこじんまりとしていることから、ここら辺に住んでいる人達からは"まりも神社"なんて呼ばれているけれど。
小さいとはいっても、神社の前には小さいスペースがあって、公園のようになっている。
二つに並んだ鉄棒、そしてブランコなんかも置いてあって…。
それらもすっかり錆びてしまって、もう遊んでいる人は見ないけれど。
でも、私はよくここに来る。
なぜかって?
だってここには確かに、
--神様がいるから。
2
「神楽ちゃん!!来てくれたんだね。とっても嬉しいよ!」
満面の笑みで私の手を握り、振り回しているこの男。この人こそが、ここ"こだま神社"の神様だ。
「そんなに喜びます?一週間前にも来たばかりじゃないですか。」
「ええ!そんな!本当は毎日来て欲しいくらいだよ…。」
白い耳がしゅんと下に垂れる。
ぱっと見は若い男の人に見えるけれど、その頭には二つの白い耳がついていて、白い九つの尻尾も生えている。
おそらく狐…なのだろうか。神社に狐っぽい神様なんて、なんだか漫画のような話だけれど。
この人は綺麗だ。
まあ見た目もそうだけれど。
心が、綺麗だ。
「毎日って…。それは流石に無理ですよ。」
「むう。分かってるよー!じゃあね、その代わり。この一週間何があったのか、僕に聞かせて?」
この人は私が悩んでいる時は必ず、ここに来るまでの間の話を聞きたがる。
神様は直接的には聞いてこない。
でも、確実に、少しずつ、日常に溶かした私の悩みを掬い出していく。
「…分かりました。つまらない話ですけど、それでも聞きたいなら。」
「つまらなくない!!僕が聞きたいから聞くんだよ。」
「はあ、そうですか。それじゃあ、話しますけど。」
色のない、私の日常を。
3
「神楽ー!おはよ!」
「おはよう!美香。」
この子の名前は藤沢 美香。
高校のクラスメイトであり、行動を共にしている友達だ。
入学式の後、誰かに話しかけることもできずに自分の席でじっとしていたわたしに、唯一話しかけてくれた。
大事だ。とても。
「神楽さー、英語の小テストの勉強した?私全然してないんだけど!!」
「私も!ほんとやばいよ…。」
学校での私は、いつだって嘘つきだ。
性格や言動までも、すべて。
英語の小テストの勉強だって、昨日は遅くまで起きてやった。
私は要領が悪いから、長い時間勉強をしないとついていくことができない。
でも、そんなこと友達に言ってどうするの?
自慢だと思われるかもしれないし、嘘だと笑われるかもしれない。
そんな可能性を背負ってまでこのことを言う必要は、ない。
大事な友達。
私はつまらない、暗い人間だから、いつか捨てられるかもしれない。
怖いんだ、とても。
だから私は、今日も自分を偽っている。
自分を偽ることは、私にとって当たり前のことだ。
昔から自分を隠して生きてきた。
だけど、積み重なった虚無感や悔しさはどんどん自分の中で積み上がっていく。
一つ、二つ。
数えるのを諦めたのはいつのことだつだろうか。
私の中に積み上げられたものは今、まるで立派な塔のように高く、高くそびえ立っている。
4
「神様。友達ってなんですか?私、分からないです。
捨てられるのが怖いから偽る。でも、偽っていると自分が苦しくなる。」
「友達、かあ。僕は友達とかいたことないから、よく分からないけど…。
でもね、神楽ちゃんが苦しい思いをしているのは嫌だな。
その友達のせいで神楽ちゃんは苦しいの?」
「違う。違うんです、神様。
私は、本当の自分をその子に出せないから、それが辛いんです。
その子はとても良い子なのに、なんだか騙しているみたいで、辛くなる。」
神様は、純粋だ。
色々な人を見てきて、色々なことを思ってきたはずなのに、なぜか怖いほど、純粋だ。
「…神楽ちゃん。神楽ちゃんはさ、僕に、本当の自分を出してくれてる?」
「…?はい。神様は、小さい頃から私を見てくれてたから。
なんだか…普通でいられます。」
「そっかあ。じゃあね、神楽ちゃん。僕とさ、友達になってよ!」
二つの白い耳が、ピンと立ち上がる。
「神様と、友達に?」
「そう!」
「無理。無理ですよ。だって、神様ですよ?神様と友達なんて…。
今こうして話せているのすら、不思議なくらいなのに。」
そうだ。神様は確かにいい人だけど、神様だ。
私は神様に対してかなり雑な接し方をしてしまっている。
それだけでも結構なことだけれど、ましてや友達なんて。
こんなこと、この神様を信仰している人が知ったら、どう思うことか。
「無理って、そんな。僕悲しいよ…。」
「ちょ、神様!泣かないでくださいよ!」
さっきまでピンと立っていた耳は今、シュンと下がっていて、こちらまで悲しくなってくる。
金色の美しい瞳からは、大粒の涙がポロポロと流れてくる。
「僕、神楽ちゃんが友達になってくれないと嫌だよ。
神楽ちゃんがうんって言ってくれるまで、僕は泣き止まないよ!!」
「…っ!!もう、分かりました。分かりましたから!」
そういった途端、ぽろぽろと流れていた涙がぴたっと止んだ。
「やった!!じゃあ今から、僕と神楽ちゃんは友達だね。」
…やられた。
いつもそうだ。
神様は純粋だけれど、いつも私の一つ上をいく。
どうやら、今日から私と神様は友達らしい。
--神様と友達、か。
なんだか不思議な気分だ。
嬉しいようで、なんだか複雑。
罰当たりな気もする。まあ、神様相手に罰当たりっていうのも、なんだか違う気がするけれど。
神様はいつも突拍子もないことを言う。
だからだろうか。神様といると、自分の悩みなんてどうでもよくなっていく気がするのだ。
小さい頃からこうして悩みを話しているうちに、神様は私の唯一の心の在りどころになっていた。
そう、唯一の。
5
夢を、見る。
小学生の頃、私は虐められていた。
私にはその当時、仲のいい子がいた。その子には好きな男の子がいて、私はその子の恋を応援していた。
頑張ってその男の子と仲のいい子を繋げようとして、色々話をした。
でも、その男の子が選んだのは、私だった。
仲のいい子は泣いていた。周りの子はその子を慰め、私のことを睨んだ。
それからは、ひっそり、ひっそりと女子の間でだけ、私は虐められるようになった。
まあ、まだ小学生だったし、大したことはされていない。
無視されたり、物を隠されたり…その程度だ。
でも、その当時の私は随分と傷つき、沢山泣いた。
そんな私を見て神様は一緒に悲しみ、そして言った。
--君を、そんなに悲しませるのは何だい?何が君を、悲しませているの?
--クラスの女の子たち。あの子たちが私を、無視するの。
なんでかな?私はただ、その子と男の子が仲良くなれればって。それだけなのに…!!
--そうか。その子達が、君をそんなに悲しませているんだね。
分かった。分かったよ。もう、大丈夫だからね。
僕が、君のことを守ってあげるから。
神様の表情が翳っていて、よく見えない。
いつもとどこか、雰囲気が違う気がする。
--あれ…あのあと、どうなったんだっけ。
思い出せない…。
夢の世界は暗闇に溶け、そして消えていった。