一年五組、慣れてくる
朝一番の柚希の叫びは、そのとき教室にいた生徒たちの口から広がり、朝のホームルーム前のひととき、彼女は沢山のクラスメイトに囲まれることになった。
「だから、わたしとじゃなくて、わたしに! に! 付き合ってって言ったの」
どうしても翔に手伝って欲しいことがあるのだと繰り返し言って、ホームルームが始まる時間にはどうにか誤解を解くことが出来た。
入学から二ヶ月ほどで何人かの女子生徒が翔に告白して玉砕した。
彼の人付き合いの悪さが知れ渡ってからは告白自体がなくなったが、いまこの時期、いままでまったく興味のなさそうだった柚希の告白疑惑は、クラスメイトの関心を引いてしまったらしい。
告白ではないと知ると、つまらなそうに退散していく。
まったく、見世物ではないのだから勘弁してほしいものだ。
否定して回るのも面倒だが、ここで怯んではいられない。
柚希の力一杯のお願いを「嫌だ」の一言で切り捨てた翔だが、彼女には彼を逃がす気は毛頭なかった。
「柚ちゃん、いったいどうしたの?」
「知穂」
隣の席の笹間知穂が、クラスメイトたちが散ったのを見計らって声をかけてくる。
今朝にバス停近くですれ違いざまの挨拶をした知穂には、その時の様子から柚希の必死さ加減が分かったのだろう。
高校でできた友人に小さく笑ってみせる。
「ちょっとね」
曖昧に答える柚希に、知穂が首を傾げた。
「手伝ってほしいことがあるなら、わたしがやろうか?」
「ありがとう。でも……」
「高坂くんじゃないと駄目なのね」
「……うん」
知穂は聡い。柚希が言葉を濁しただけで、納得したように引いてくれた。
それから数日、一年五組の教室では柚希が休み時間のたびに翔を追っかけ回す光景が定番となりつつあった。
相澤柚希は特異な体質をしている。簡単に言うと飛び出し体質だ。
セールと聞くと群がるおば様たちの中に突撃し、大きな物音でも聞くと何事かと真っ先にのぞきに行く。
考える前に脊髄反射で体が動くタイプの彼女は、快活な性格と活発な行動力で友だちも多く、クラスの中でも場を明るくする少女だ。
そんな彼女がクラスの中でも浮いている男子に付きまとい始めたことは、最初クラス内でも困惑を生んだ。
だが逃げる相手に構いもせず、止める周りに耳を貸さない特攻加減に、次第に「まあ相澤だし」という翔にとってはたいそう迷惑な結論に落ち着いたらしい。
クラスメイトからの援護を受けられない中でも、彼は上手い具合に柚希から逃げ回っていた。
翔はクラスに馴染めない生徒だが、学校生活に対して不真面目なわけではない。
朝は数えて片手に入る速さで来ているし、授業をサボることもない。団体行動をしなければいけない場面で、協調性はないが迷惑をかけるわけでもなかった。
いつも自分の机で本を読んでいるか外を眺めている彼だが、柚希が「付き合ってください」宣言をしてから、ホームルーム前や休み時間はどこかへと姿を消していた。
始業時間ギリギリに戻ってくる翔に、さすがの柚希も話しかけるわけにもいかない。
なにせ柚希は成績が赤すれすれなのだ。ちゃんと授業を聞かないとあっという間に頭が追いつけなくなりそうなのである。
お昼休み時間、気づけばいなくなっている翔を探して校舎を駆け回っていた柚希だが、午後の授業が始まる十分前に諦めて教室へと戻った。
「お帰り、柚ちゃん。これで何連敗?」
「……三十八連敗」
「ご愁傷様」
呆れたように言う知穂の机に自分のお弁当を置く。
前の席の椅子を反転させて向き合うと、もそもそとお昼ご飯を口に運び始めた。
知穂はとっくに食事を終え、お弁当箱を片してお茶を飲んでいる。
「本当にどうしても高坂くんじゃなきゃ駄目なの?」
「うん」
どうしても彼でなくては駄目なのだ。他の誰にも頼めない。
即答しながらも、いままでの彼の拒絶っぷりを思って鼻に皺を寄せた。
難しい顔でブロッコリーを咀嚼している柚希に、知穂が不思議そうに訊ねてくる。
「なにを頼むつもりなのかくらいは聞いてもいい?」
少しだけ逡巡して、柚希は答えた。
「……人捜し。一年くらい前から捜してる人なんだけど、彼なら見つけられるかもしれないって思って」
「高坂くんが?」
「彼、眼がいいみたいだから」
さらに不思議そうにする知穂に柚希は苦笑した。
意味が分からないだろう。別に視力の話をしているわけではない。
詳しいことを理解してもらうつもりのない柚希は、タコさんの形に切られたウインナーを口に放り込んで誤魔化した。