殿下の一存
「ねえ、おにいさま。いつになったらわたくしをおヨメさんにしてくれるの?」
フリルのたくさんついたふわふわのドレスの少女が無邪気に青年を見上げた。
「私の一存では決められないんだよ」
困ったように微笑む青年は17才。未来の王様になる予定のアレックス。
ツン、と頬を膨らませて拗ねているのはエリザベス。アレックスの従妹にあたる12才。
そのエリザベスの頬を実の兄が小突いた。
「殿下の嫁になりたいなら、そのマナーと妃教育をもっと真面目にやらないとな」
途端に目を怒らせ兄に文句を並べる少女とその兄を微笑ましく見守る殿下。
「でも、私もエリザベスがお嫁にきてくれると嬉しいな」
「おにいさま大すき!」
「おいおい、俺の妹まで誑かすなよ」
そして、またもや始まる兄弟喧嘩。
あのころのエリザベスには、それが全てだった。
大好きなアレックスに会うたびに纏わりつき、その隣を独占したいと願いそれは叶えられてきた。
兄が幼馴染として育ったせいで、アレックスとの距離は近く、おにいさまと呼んでも差し支えないほどに。
※※※※※
真面目で思慮深く知にも武にも優れ評価の高い、エリザベスの大好きな従兄のアレックス殿下。
だから彼の傍に居たいなら、大変な努力が必要だった。
血筋や家格ではエリザベスが群を抜いていたけれど、中身が残念なままなら他の令嬢たちにもチャンスはある。そのチャンスを潰すために彼女は両親に言われるままマナーに教養、ダンスを習得し、それどころか外国語・乗馬・帝王学といささか令嬢に不要なものまで修めた。
幼い頃のようには会えなくなったアレックスに会うと、彼女は決まってこう言う。
「いつになったらお兄さまのお嫁さんになれるの?」
するとアレックスも彼女を眩しげに見ながらいつもお決まりの答えを。
「私の一存では決められないんだよ、小さな姫君」
※※※※※
そうしてエリザベスは17才になった。どこから見ても美しい淑女になり兄でさえ褒め称えてくれるようになった。エリザベス自身も長年の努力の結果に満足していた。
その年の社交シーズンを前に王家から内密に使者が立てられ、アレックスの妃にと内示が下るのをエリザベスは湧き上がる喜びと共に受け入れた。
始まった社交シーズンはエリザベスの話題で持ちきりだった。どの夜会を訪れても好奇と羨望の眼差しに迎えられ、気の早い物に至っては祝辞を述べる始末。発表もしないうちから、おいそれと返事は出来ないので曖昧に微笑んでみたり謙遜してみたり。
「まったく、気の早い人たちね」
扇の陰で、エリザベスはこっそりとため息をついた。
「そりゃ、今一番のホットな話題だからな。おれだってあちこちで嫌味いわれたりするんだぞ」
すっかり逞しく精悍になった兄は、夜会に妹をエスコートするほど過保護になっていた。
その時、近くを通りがかった令嬢が小さな声であっと言うとへなへなと倒れてしまった。手に持ったグラスは落ちて割れ、赤い飛沫がエリザベスの青白いドレスに飛び散った。
すぐさま兄が、おい!とエリザベスを伺いグラスの破片から遠ざけた。給仕を呼び、後始末を命じ倒れこんだ令嬢を抱き起こすと彼女は小さく呻いた。気を失っている様子から後は主催者に任せ、兄とエリザベスは帰ることにした。汚れたドレスで居続けるわけにはいかない。
そんな中、くすりと笑う声を聞いた。エリザベスが目を向けると、伯爵令嬢のマーガレットが扇を弄びながら優雅に歩いてきた。エリザベスの傍まで来ると小首をかしげて扇で口元を隠し、微笑んで言った。
「残念な夜になってしまいましたわね?でも次期王妃となられるお優しい方ですもの。これくらいの不運はお許し下さいな?」
マーガレットの目が笑っている。エリザベスも笑った。
「あなたも気の早い方のうちのおひとりね?今夜倒れた令嬢は幸運でした。今の私のドレスが汚れただけですみましたもの。あなたもお気をつけになって?」
王妃のドレスが汚れたら、ただではすみませんものね?
言外に含ませた言葉に気付いたようだ。嫉妬そのものが顔に出ている。
「マーガレット姫、あなたはマナーをもう一度やりなおした方が良さそうですよ?伯爵家に泥を塗る前に」
兄が、家格が下の者から話しかけられたことに猛烈に不快感を示した。通常ならば彼女は話しかけられるのを待つ側だ。
「まあ、わたくしったら。申し訳ありません。エリザベス様とは殿下の妻になるもの同士と思い、親しみを感じておりました。どうかお許し下さいませ」
その後、エリザベスは何と言ったか覚えていない。マーガレットの勝ち誇った顔と言葉が頭から離れず兄の言葉も耳に入らなかった。屋敷に戻った途端に、兄の腕の中で意識を失った。
目を覚ましたのは、2日後────。すぐに侍女が母を呼びに行き、家族がエリザベスの目覚めを喜んだ。
兄からはマーガレットがマナー違反をしたという一点において伯爵家に抗議をし謝罪を受け入れたと聞いた。彼女は謹慎中で家庭教師をつけられマナーをやり直しているらしい。
あの時の話は本当なのかしら?
エリザベスはそのことが気になって仕方なかった。家族の誰に聞いても答えてくれない。夜会に赴けばひそひそと噂話が先行している有様で、どれが本当なのかわからず友人は噂でエリザベスが傷つかないようにと耳に入れないようその話題には触れない。
そんな渦中のエリザベスの元を、アレックスが訪れた。
久しぶりに会うからと美しく装い、優雅な所作で挨拶をする。ここは特訓の見せどころだ。
同じ部屋の、脚にまで彫刻が施された三人掛けソファの真ん中に兄がだらしなく座ってこちらを窺っている。せめて左右どちらかに寄れ兄。
─────少しやつれたかしら?
アレックスの表情に覇気がないように見える。
「殿下、お加減が・・・?」
エリザベスが訊ねるとアレックスは目を見張り、ふんわりと微笑んだ。とても優しい、女性なら勘違いしてしまいそうな微笑み。エリザベスは初めて見て、瞬間沸騰した。
椅子、イスに殿下をすすめなければ・・・と真っ赤な顔で、かなり文法のおかしなミッションを遂行しようとする。
ぶふっ、と兄の吹き出す声。
眼光鋭くにらみつけても、兄はのんきな声で手をひらひら振った。
「でんかー、うちの可愛い妹に本気出すのやめてもらえますぅ?箱入りなもんで、ソレ刺激が強すぎでぇす」
「そうかな?もう解禁だよね?」
男ふたりで、話が通じているようでエリザベスはますます首をかしげた。
「おれ、外に出とくわ。終わったら呼んで?」
兄はすたすたと部屋を出ていってしまった。
唖然と兄を見送ったエリザベスだったが、我に返ると慌てて侍女を呼ぼうとした。未婚の男女が密室に二人きりだなんて許されない。
けれども声はアレックスの大きな手に奪われた。
そっと後ろから抱きしめられ、耳元で低い声がエリザベスの頭の中を揺らす。
「静かに。少しだけ時間をくれないか?」
先ほどから沸騰中のエリザベスは、訳がわからないまま何度も頷いた。もはや涙目だ。
ありえないほど近くにいるせいで、アレックスの香りがする。
幼い頃から知っている、大好きなアレックスの好むジャスミンの香りがさらにエリザベスをくらくらさせて頭に血がのぼっているのが分かる。
「こちらを向いてエリザベス」
「無理ですっ」
悲鳴のような声が出てしまった。
恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!
殿下大好き、嬉しい、みっともない顔になってる見られたくない・・・
エリザベスの頭の中はぐるぐると渦巻き、唐突にキレた。
「今日のお兄様はおかしいわ!どうしてこんなことするの?いつものお兄様じゃないっ」
言ってから、頭が冷えた。火照っていた体までもが熱を失った。
─────私ったらなんてことを・・・!
「申し訳ありません殿下。不躾なことを申し上げました」
「さっきのエリザベスも可愛いよ。謝る必要などない。わたしは君に求婚しにきたんだ」
ぽかん、とアレックスを見上げたエリザベスが何も言えない間にまたもや捕らわれた。
至近距離で大好きな人に顔を覗き込まれ、じわじわと熱が戻ってくる。
「内示は出ているし、君とわたしの結婚は確実になった。でもわたしは君から返事を聞きたい」
エリザベスは驚きすぎて、ただアレックスを見つめるしかできなかった。その間、頬や髪をなでられたり、あちこちにキスが降ってきたりしていることに気付いているのに瞬きしかできなかった。
「わたしと結婚して?エリザベス」
頭が真っ白になって思考を放棄している。
「・・・殿下の一存で妃はきめられないのでは?」
───あぁ、我ながら可愛げのない言い方。殿下は、はいという返事を待っているのに。
「努力したんだ。わたしの妃になってほしい」
───殿下は理想的な人。思慮深くて優しくて、おまけにイケメンで誰もが好きになる。
「・・・マーガレット様は?」
殿下はにっこりと微笑んだ。
「彼女には子供だけ産んでもらおうと思ってる」
「はい?・・・今、なんて?」
───何だかおかしな言葉が聞こえたわ?
「エリザベス、君のことを愛してる。だからわたしと結婚して?」
「違うわ?マーガレット様が殿下の子供を産むと聞こえたのは・・・」
「大事な君にもしものことがあったらわたしはたえられない。君の代わりはいないのだから。その点、彼女の代わりはいくらでもいるだろう」
─────あれ?私のことを愛してるのよね?おかしくない?
「・・・私、殿下のお嫁さんは無理かもしれないわ」
「大丈夫、君以外わたしの隣は務まらないよ。さあ愛するひと、返事を」
私、どこで間違ったのかしら?
兄 「殿下、エリザベスはなんて?」
殿下 「無理かもしれないって言われたよ」
兄 「・・・その割にアンタ、にやけてるけど?」
殿下 「エリザベスが可愛すぎて死にそうだったんだ。もう内示も出て噂も広がっているし断れるわけないのにね?ほんと可愛い」
兄 「・・・んで、マーガレット嬢のことはどーすんのよ」
殿下 「ああ、もちろん産んでもらよ?2人くらいでいいかな。可愛いエリザベスを危険な目にあわせたくないからね」
兄 「・・・その思考が鬼畜だよアンタ」