月下の狐は人を化かす
妖狐と聞くと、ただ単純に狐の妖怪と思うのが一般的だろう。
俺は、生まれた時から人を化かして暮らしてきた。
それが楽しみでもあり、人間と交われる唯一の機会だったから。
でも、俺はお前に出会ってからどうしようもなく心をかき乱される。
俺がお前に「好き」という言葉を何度掛けただろう。
けれど、お前は俺の傍からどんどん離れていく。
それがどれだけ怖いことか、今の俺には痛いほど分かる。
「人間は、弱くてすごく脆い生き物だ」
俺は、それしか知らない。
お前のことを何一つ知らないのだ。
俺が狐だからか?
だからお前は、俺から離れていくのか?
化かして楽しむ俺が嫌いか?
だったら、大好きなお前を俺と同じ狐に化かしてやろう。
そうすれば、お前も俺の傍から絶対に離れられなくなる。
満月が空高くに上った夜。
俺は、お前を化かした。
俺と同じ狐の姿に。
「嬉しいだろう?」
そう俺が声をかけるとお前は、泣いた。
「嬉しくないのか?」
その言葉でも泣いた。
お前の声を聞いたとき俺はようやく自分の姿に気づいた。
お前は、俺が狐の姿でいるところをこの夜初めて見た。
だから、俺だと気づかなかった。
頭の中で俺は、こいつを傷つけてしまったと後悔した。
本当の姿をこんな形で見せなければならないとは、何とも悲しいことだ。
耳も尾もあるこの姿を見てお前はどう思った?
知りたい。正直な気持ちが知りたい。
「月夜の夜。満月が天高く昇る時、俺は再びここに現れるだろう。妖狐である俺が今夜、お前を狐に化かしたことは、誰にも言ってはいけない」
化かしの術を解くと、こいつは少し不安そうな顔をした。
「俺は、お前のことが好きだ。だから、お前も俺と同じ狐の姿に化かせばお前は俺から離れられなくなると思った」
正直に俺が告げると、こいつは笑った。
人間は、本当に不思議でならない。
「私もあなたのことが好き。だから、次に姿を見せる時は私も必ずあなたと一緒に連れて行って」
「狐の姿になってもいいのか?」
「構わない。あなたと共にいられるなら、私はどんな姿にだってなるわ」
「月は俺たちを必ずまた引き合わせるだろう。その時までは、お互い心で思うだけとしよう」
帰り際、こいつは俺に油揚げをくれた。
なぜくれたのかと問うと、幼いころお供えしてあった油揚げを食べてしまったからだと言った。
そうか、あの日俺の油揚げを取ったのはこいつだったのか。
だったら、なおさら運命というものを感じる。
次に会う時まで、俺も森で静かに過ごそうか。
「月下の狐は人を化かす」