異世界の領域
フリージア、リシアン、エイシー…
私は指さしで人形の名前を呼んだ。
けれど、煌びやかな衣装で着飾られた彼らは無機質な微笑みを浮かべたままピクリとも動かない。
――おはよう、アミー
かつてこのお屋敷で一緒に遊んだ友だち。1人部屋を与えられ、お茶会に呼ばれ、主様にご本を読んでもらっていた特別な人たち。主様のお気に入りだった美しい人たち。
彼らはみんな、私たちに何も告げず突然お屋敷から去っていった。
不思議に思う私たちに、主様は穏やかに言った。彼は親が迎えに来たのだ、と。彼女は養子に出たのだ、と。
私はそれを信じた。主様は本当に優しい人だったから。
それと同時に、1人部屋にあてがわれた人はいつかいなくなってしまうのだと薄々感じるようになった。確かに私たちは14歳を過ぎるとみんなに見送られてこのお屋敷を出ていく。けれど1人部屋を与えられた人たちはさようならも言わず私たちが眠っている間にいなくなってしまうのだ、と。
だからアロイスが1人部屋にされたとき、私は近い未来に来る別れが悲しくて悲しくて日が暮れた図書室のすみで泣いたのだった。
そしてそんな私をアロイスは簡単に見つけ出し、背中をなでて一生懸命なだめてくれた。アミディア・フィフィ、きみを置いていきやしないよ、と私を抱きしめ、約束のしるしとして額にキスしてくれたのを覚えている。
約束は破られたのだと思っていた。アロイスは私を置いていってしまったのだと思っていた。
それなのに、なぜ。
きらり。
太陽の光を吸いこんで、アロイスの大きな藍色の瞳が輝く。
彼は一年前と変わらず窓辺の椅子に座っていた。
最上階の北の大部屋の窓の傍へ寄るのは昨年ほど大変ではなかった。身体がひとまわり大きくなったからかもしれない。
一歩退けば遠くなった硬い地面へまっさかさまに落ちてしまうだろうこの場所へ、8歳の私はよく怖がりもせずに登れたなと感心する。
「久しぶりね、アロイス」
窓ガラス越しに話しかけてみるけれど、アロイスはどこか遠くを見つめて微笑んだまま動かない。
「私、もうすぐ10歳になるの」
大きくなったでしょ、と笑いかけてみても、彼が返事をすることはない。
「おにいさまは12歳のままね」
永遠に。
いつか私はアロイスを追い越す。
もう彼らは人間ではないのだ。
魔法をかけたのは主様。
彼らの美しさを永遠にしたいと思った主様の、あのふくよかで大きな手が彼らの時を止めてしまった。
異常だ。
確かに主様は綺麗なものや美しいものがお好きだった。
輝くものを集めるのがお好きだった。
けれどまさか彼らがその対象になるなんて。
一年前の記憶とは異なるアロイスの服に、怖気が立つ。主様は彼らを着せ替え人形にしているのだろうか。気持ちがわるい。
主様は化け物だ。
どうやって彼らを人形へ変えてしまったのか。
私たちに見せる慈愛に満ちた笑顔の仮面を剥げば何があるのだろう。
異世界の領域と主様が呼んだこの空間は、確かに私の知る世界とは全く違っている。
誰もが穏やかな表情を浮かべているにもかかわらず冷ややかで薄暗く、たくさんの子どもで賑やかなのに一切の音はしない。時は彼らの間をすり抜け、秒針は錆びて動きを止めた。
――アミディア・メイアス、フィフィ、おいで
――こら、アミーったら手は洗ったの?
懐かしい声やしぐさはいまだ鮮明に蘇るけれど、彼らが自ら動き話すことはニ度とない。
「シャロンという男の子が来たの」
異世界の領域に向かって私は話しかける。
「ねえアロイス、あなたならどうする?」
夕日に光るそのなめらかな肌はどんな手触りをしているのだろうか。
そのふわふわの猫っ毛は、私が昔引っ張って遊んだときと同じ柔らかさなのだろうか。
「ねえアロイス、私の名前を呼んでよ…」
窓ガラス1枚の距離が今はとても遠い。