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裁きの時

「僕が悪いんじゃない! 僕はただ欲しかっただけなんだ! 美しくかけがえのないものが! みんなが羨むようなものが!」


 壁を這う焔が彼の肌をゆらゆらと照らし、その足元を這いつくばっている主様が罪の告白を始める。


「手に入れるために努力をしただけ。そう、僕は努力しただけだ!」


 夜叉の影をちらつかせて主様を冷たく見おろす彼。突き刺すような鋭さを持った赤みがかったすみれ色の瞳。片手で顔をおさえたままの主様のくぐもった声が部屋を揺らす。


「僕はその美しいものが欲しくて、それが大切にされていると知るとなおさら欲しくて…でもその宝石には持ち主がいたから。あいつらはその宝石を頑なに手放そうとしなかった。でもどうしても手に入れたかったんだ!」


 じり、と部屋を照りつける灯。鏡の破片が、炎の光を受けて多くの輝きを放っていた。


「僕はひと目見たときから分かった。美しいものは僕のそばに来たがっているのだと。助けて、あいつらから解放して、あなたの隣にいさせて、と。会話を交わすことがなくても僕にそう語ってきているのが分かった」


 混乱した私の理解力が落ちているのか、それとも主様が支離滅裂なことを言っているのか。床に這いつくばった主様は、訳の分からないことを口走りながら肩を震わせて笑う。


「助けなければと思った。あの宝石は僕のもとにあるべきものなのだとも思った。けれどあいつらは宝石の居場所を隠そうとする。だから僕は努力した! ときにはあいつらを刺してやった! ときにはあいつらの頭をかちわって、家に火をつけてやった! 街を盗賊に襲わせたときもある!」


 徐々に不穏な空気を纏い始めた内容に、血の気が引いていった。

 まさか。


 ――ある日その町が盗賊に襲われたんだ。何の前触れもなく、突然やってきた盗賊にね


 春めく夜のお庭で彼が語った、私の故郷のお話。アロイスと私を残して死んでしまった人びと。


「滑稽だった! あいつらは簡単に死んだ! 笑えたよ、人間がこんなにも脆いとは!」


 ――きみからおにいさまを奪った主様に、僕の両親は殺されたんだ


 主様の言う“美しいもの”とは。“宝石”とは一体何だ。

 それらは本当に、主様に助けを求めたのだろうか。


「ふふふ、そうだよ、シャロン。僕はあいつらから美しいお人形を助けなければならなかったんだ。何も間違ったことなどしていない。僕はなにも悪いことはしていない」


 記憶の中から姿を現したのは、夕日を瞳に映し窓際で微笑み続ける人形。盗賊から私を守り、いつも穏やかな微笑みを浮かべていたアロイス。

 アロイスを手に入れるために主様は街を襲ったのだろうか。

 シャロンを奪うために、彼のご両親を手にかけたのだろうか。


「僕は正しいことをしたんだ。だってあの子たちは僕の人形になることを泣いて喜んでいたんだよ。僕の名前を呼びながら、走り回って喜んだんだ」


 賤しい笑い声を交えて言い訳をする主様にぞっとした。背筋が凍る。指先が小刻みに震えた。

 違う。泣いて喜んだんじゃない。かつて人間だった彼らはきっと、恐怖に怯えて泣き叫んだのだ。助けを請いながら部屋中を駆け回り、カラヴァおじさんやめて! と悲鳴をあげたのだ。

 私をアミディアと柔らかく呼んだ兄も、その声を張り上げて逃げ惑ったのだろうか。藍色の瞳を恐怖に染めて、泣きわめいたのだろうか。同じお屋敷の中、私が笑っている間に。


「愛しい僕の人形たち。あの子たちを見るたびに僕は自分の醜さに幻滅した。だから僕もあの子たちと同じようになろうと思って、自らの手を落とし、足を切り、皮をはぎ、そしてやっと手に入れた理想の姿。美しい僕!」


 狂っている。主様は異常だ。

 床に散らばるかつては男の手だった破片。ひび割れた顔の皮膚から覗く化け物。

 この男は多くの人を殺めて子どもを奪い、自分の都合のよい方向へ歪んだ解釈をし。そして子どもたちを恐怖の底へおとしめ、自らの姿を偽り――

 

「ああシャロン…きみは清らかで麗しい。僕のお人形になりたいだろう? 僕に愛されたいだろう?」


 ゆらりと起き上がる化け物。パラパラと小さな屑が亀裂の入った顔面から零れおちる。


「おいで。僕たちの仲間に入れてあげる。紫水晶の瞳に僕を映しておくれ。永遠をあげるよ」


 それは男が残った左腕を彼の背中へと回そうとしたとき。


「もういい」


 全てを薙ぎ払うような力強い声。それはかつてない憤怒を孕み。


「自分の罪を認めない醜いあなたを、黄泉の世界に連れていってあげる」


 そして涙で震えていた。


 大きな爆発音。瞬きをする間もなく服を余していた足が布ごと吹き飛び、ガシャンといびつな音を立てて崩れ落ちる化け物。

 耳をつんざく獣の咆哮。

 怖い。怖い。

 青ざめた私の少し離れたところでは、一瞬にして足を失った男が血しぶきをあげてもがき苦しんでいる。


「ああ、付け根の方は生身の人間だったんだね、じゃあこっちはどうかな」


 炎に照らされた青白い肌に一筋の雫を流しながら、彼は魔を宿した眼をすうっと細めた。

 そしてひと際大きくなる化け物の絶叫。根元から姿を消した左腕。

 それと同時に本棚の近くに落ちた血だらけの布の塊見て、私は恐怖の悲鳴をあげた。

 割れた掌、ぺしゃりと平たく萎れた袖、そして真っ赤に染まった肩口。彼の言うとおり、義手は先の方だけで、腕の付け根が生身の人間だったのなら、あの塊はもしかして。

 ぞっと恐怖が背中を這いあがり、内から湧いてくる吐き気。


「痛い! 痛い痛い痛い! ごめんなさい! ごめんなさい!」


 四肢を失い這いつくばった男が、まるで何かに急き立てられているように謝罪を繰り返す。その身体は尋常じゃないほど震えていた。


「もう遅い。あなたの気持ちはよく分かったよ」


 目の前に広がる凄惨な光景から目を逸らしたいのに、まるで金縛りにあったかのように動けない。


「お人形にされた子どもたちの恐怖を味わってごらん」


 こわい。こわい。

 彼は化け物に何をしたのだ。

 嫌だ嫌だと血まみれになりながら泣き喚く男。その顔はこちらからは見えないけれど、部屋を反響する声は痛みに歪んでいた。


「親を、故郷を失った子どもたちの寂しさを感じて」


 けれどもその声はだんだんと小さくなり、かわりに荒い息が大きさを増す。それは男のものなのか、私のものなのか。

 寒い、助けて、と、掠れた声を絞り出しながら腹ばいになって彼に近づいていく男を、彼は蔑んだ仄暗い目で見おろした。


「僕を育てた両親の受けた痛みを思い知ってね」


 次の瞬間、おそろしい音を立ててひしゃげた身体。男ののど元から息のつまる音が聞こえた。そして力なく床へと沈んでいく血まみれの胴体。

 ゆらゆら、赤い炎がカーテンを呑みこんで揺らめく。


「さようなら、エディ・ヘデラ」


 ふわり、窓ガラスを滑り落ちる粉雪。

 部屋が静寂に包まれる。


「あなたは本当に、救いようがない人だったね」


 彼のほほから、ぽとり、一粒の透き通った雫が床へこぼれた。

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