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痛み

 ぶちぶちと髪の毛がちぎれる音が聞こえ、頭皮がはがれそうなほどの痛みに、私はごめんなさいと意味もなく繰り返し泣き叫んだ。髪を引く力は徐々に上へと向かい、それと一緒に私のかかとが浮いていく。

 助けて。

 誰か助けて。

 痛い。

 ぎゅっと目を瞑り、泣きわめきながら私を苦しめている手を咄嗟に掴む。

 痛い。痛い。

 助けて。

 ごめんなさい。

 誰か。


 どうにも無機質なほっそりとした手だった。自らの叫び声が自身の鼓膜を揺らし、鋭く痛む頭をどうにかしようともがきながら、私はどこかでその手の感触が変なものであることを冷静に感じ取っていた。


「その手を離して」


 彼の固い声が私の悲鳴に混じる。髪を鷲掴む手の主が、気味の悪い下劣な笑い声をもらした。


「早くその手を離して」


 二度目の声。そんな上品な交渉はいいから、早く私を助けてほしい。

 痛い。涙が止まらず、息が苦しい。

 私の背後の化け物が、シャロン、と腐り落ちるような声で彼の名前を呟いたのが聞こえた。

 知り合いだろうか。彼の仲間なのだろうか。それなら早く私を助けて。

 けれど私の願いは届かず、彼は自ら動く様子もなく――


「エディ・ヘデラ、あなたは今、誰の髪に触れているか分かっているの?」


 信じられない台詞を聞いた。

 エディ・ヘデラ?

 主様?

 この包帯だらけのミイラ男が、主様?

 彼は今、この化け物をエディ・ヘデラと呼んだのか。

 ありえない。

 嘘だ。

 彼の言葉に唖然とし、悲鳴をとぎらせた途端。


「離せ」


 びしりと硬く大きな音を立てて、彼の背後にあった窓ガラスにひびが走り、それに映っていた私と得体の知れない人物の姿が歪んだ。それと同時に床へと転がる身体。背中に壁をぶつけたせいか、思わずうめき声が漏れた。どうやら手の主に投げ捨てられたらしい。

 ようやく解放された私はずくずくと痛む頭皮を抑え、けれども立ち上がる気力もなく床に転がったまま。

 何が起こったのか。

 わからない。

 彼がガラスを割ったのだろうか。

 手も触れずに?

 思い出すのは、枯れたバラの花びら。

 ガラスも彼が割ったのだろうか。


「ああ、シャロン、怒らないでおくれ。シャロン、シャロン、だめだよ、怪我をしているんだから寝ておかないと。ぼくが巻いてあげた包帯もとってしまったのかい?」


 不気味な笑い声を交えて、間延びした声を出す得体の知れない人物。

 包帯だらけの化け物は、シャロン、と生ぬるい声で彼の名前を繰り返し呟きながら、ゆらりと彼に近づいていく。

 嘘だ。

 信じられない。

 けれどその声はたしかに、主様のものだった。五年のあいだ聞き続けてきた主様の。

 ぶかぶかの服に身をくるんだ顔じゅう包帯だらけのこの化け物が、主様。

 私は茫然と二人を見つめる。

 私の髪をつかみ上げ床へと投げ飛ばした化け物が、かつて私たちとともに食事をし、お庭で遊び、笑いあったあの主様。

 わかっていた。私が慕った主様は幻想なのだと分かっていた。何度もその片鱗を見てきたし、何度も怯えてきたから。

 けれどもそれが紛れもない事実なのだと認めるとなると、なぜか裏切られた気持ちが涙とともに心のなかから湧いてくる。私はどこかでまだ、微かな希望を捨て切れなかったのかもしれない。主様は私たちが思い描くとおりの優しいひとなのだという希望を。


「怪我は大したことはないし、血はもう渇いたよ」


 私の悲しみや戸惑いなど関係なく、彼はいたって冷静に、そして蔑むような表情で主様を見た。そんな彼に対して甘いため息をつき、ひざまずいたかと思うと彼のつま先にキスを落とした主様。


「シャロン、シャロン、美しい君を傷つけた者たちを殺してしまいたい。ああシャロンよ、何があったのか教えておくれ。その傷がどうしてできたのかを」


 異様だ。ぞっとするような光景に戦慄が走る。跪いた主様にも、それを冷ややかに見つめる彼も、何もかも異様だ。少年の足に、大人の男が縋りつくだなんて。彼らはいつも、部屋でこのようなことをしていたのだろうか。

 私は逃げ出すのも忘れて、その光景を見つめていた。吐きそうだ。混乱と恐怖と、そのほかのたくさんの感情が入り混じって頭がくらくらする。


「エディ・ヘデラ」

「カラヴァと呼んでおくれ」

「エディ・ヘデラ、僕にさわらないで」


 気持ちわるい、と。それはこの一年間近く彼といて初めて聞くような、嫌悪を剥き出しにした声音。

 ゆらり、ろうそくの炎が揺れ、主様が包帯だらけの顔をあげた。

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